岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(4)

2009-10-14 05:14:42 | Weblog
(今日の写真は昨日、13日の午後に写したものだ。場所は「弥生いこいの広場」の下部、アスファルト道路の脇にあるリンゴ園の傍から、岩木山を写したものだ。
 道路を挟んでリンゴ園が続いている。左の緑は、コナラやミズナラ、イタヤカエデ、それにクリなどが生えている細長い森だ。この森のかげには、またリンゴ園が広がっている。
 この雑木林は、リンゴ園になる前のこの辺りの様子を語っている。つまり、このような森が広がっていたということなのである。
 右に「色づいたリンゴ」が見えるだろう。この「リンゴ」の方角の上部に、通称「弥生スキー場跡地」が広がっている。「弥生スキー場跡地」とは、正しくは「弥生スキー場を造営しようとして、皆伐し、表土を剥ぎ取り整地した」が「スキー場の許可が得られず」、弘前市が撤退した「跡地」ということである。
 このために、市民は高い税金を支払った。多額の税金が費消された。だが、誰も、その責任をとろうとはしない。一体、市民の誰が「スキー場」を望んだというのだろうか。

 本会は、市民に「岩木山にこれ以上のスキー場は必要か」というアンケートをとったことがある。すでに、百沢スキー場がある時期のことだ。何と、98%の市民が「これ以上は必要でない」と答えたものである。
 あれから、15年ほど経つ。現在、「跡地」の植生はすばらしい回復力で、新しい森を造り始めている。「ヤマナラシ」、「ハンノキ」、「イタヤカエデ」、「ヤマグルミ」などの陽樹が「ススキ」を抑えて成長している。その周りには「コナラ」や「ミズナラ」の幼木も見られる。
 岩木山を見る。中腹部の褐色に染まった森は「ブナ」である。日ごとに山麓を目指して駆け下りてくる。
 ふと思った。もしも、「台風18号」が来たとしたら、この「リンゴ」は「ほろごられ」て、一個もついていないだろうと。) 

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(4)◇◇
(承前)

 私は、その教え子に「18号は大したことないから、急いでもぎ取る必要はない」ということを伝えたかったのだ。しかし、「真面目であるゆえに」、彼は、すでに「リンゴ園」に出かけて「もぎ取り」作業をしていた。
 家の電話は空しく呼び出し音を鳴らすだけだった。携帯電話を持たない彼には、私の「お節介ともとれる助言」を伝える術はなかった。

 一方、「テレビ」をはじめとするマスコミは、番組を変更したり、「台風」の「特番」を組むなどして、ただただ騒いでいるだけだった。台風が通過した被災地の映像を流すだけで、「18号」はどこに行くのか、行かないのか。被災しない地域はどこなのか、というテレビを見たり、ラジオを聴いている人たちが「一番に、もっとも知りたい」ことには、「一切」触れないのだ。
 地方の「テレビ」も「地方気象台」も「青森のリンゴ、落果の心配はない。大丈夫だ」とは一言も言わない。
 青森県や弘前市など、自治体行政も「大きな台風が接近」、「暴風域が広い」などということを繰り返すだけで、「直撃はない」、「影響は少ない」、「やって来る心配はない」、「大丈夫だ」「過剰な対応をする必要はない」などとは一切発表しないのである。

 沖縄まで入れると南北に長い「国土」である。当然「気候域」や「気象域」に違いもあろう。だから、「気象(天気)予報」はその国土に含まれる「地域」によって、たとえば、「海上」と「陸上」では違いがあるように、当然あるのだ。
 ところが、その「地域主体」の情報がない。すべて、「気象庁の発表では」ということになっていた。
 青森県は今回少なくとも、日本海側の地域と太平洋側の地域に大別した「情報」と「対応の仕方」を県民に与えるべきだった。また、その地域の自治体も「県からの情報や対応の仕方」を、当該自治体独自な、当該地域に適う「情報」として「編み直し」て「発表」するべきだっただろう。
 日本で一番広い「リンゴ園地」を抱える弘前市の対応はどうだったか。「園地」のある地形や地勢図に従っての細かい「指示」や「指導」、「情報」はあったのか。弘前市南西部に広がる「リンゴ園」と岩木山の東麓に存在する「リンゴ園」では、その対応は当然違わなければいけないだろう。絶対に、一視同仁的な「指示」や「情報付与」だけではいけないのである。
 各自治体にある「防災に関わる部署」や「農林漁業に関わる部署」はそこまでしなければいけないだろう。「気象庁の発表」を鵜呑みにして、それを「オウム返し」に繰り返しているようでは「部署」という存在性そのもに疑義が生ずる。
 もっとはっきり言わせてもらえば「もっと、地域に適った『気象』を勉強せよ」、「地域住民の生業まで考えた行政的な役割を果たせ」ということになる。
 そのように出来ない理由に「独自に出した情報に間違い」があると責任をとらなければいけない、そんなことで、いちいち責任をとっているよりは、全部「気象庁」の「所為や責任」としてしまえば、「我が身は安泰だ」と考えているのであれば、それこそ、住民という視点から乖離した「自己目的」的な組織でしかないということになる。
 私たちは「自己目的だけを大事にする組織」を温存させるために「県民税」や「市民税」を払っているのではない。(明日に続く)

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