岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(3)

2009-10-13 05:13:01 | Weblog
(今日の写真は岩木山を後景に戴いた、稲田の風景である。これは「棒架け」という天日乾燥の方法だ。場所は旧岩木町の愛宕さまのある植田辺りである。
 天日乾燥の「棒架け」や「はさ架け」はめっきりと減ってしまった。先日も自転車で郊外を走ったが、この「天日乾燥」風情には出会えなかった。
 殆どが「コンバイン」による刈り取りと脱穀である。整然と機械的に「稲刈り」が終わってしまうのだ。しばらく、その作業を眺めていたが、アホくさくなってやめた。そこには収穫を喜ぶ「人の営み」が見えなかったからだ。
 それにしても、よかった。台風18号が「気象庁、マスコミ、自治体」などの「大騒ぎ」をよそに、遠く太平洋の沖を通って、去ったこと…が。
 もし、やって来ていたら、この「棒架け」の稲束はどうなっていただろうか。)

◇◇気象庁、マスコミ、自治体だけが「台風」なみに大風吹かせた「台風18号」(3)◇◇
(承前)

 …いずれも、この「再発達」は北海道に近づいた時点でのことが多いので、これまで日本海を北上し、しかも深浦沖辺りを通過した台風も弘前市周辺には、それほどの被害を及ぼさなかったのである。それにはもう一つの理由がある。
 日本海の秋田沖や深浦沖を台風が進んでいる時、弘前市周辺は台風の「進行方向に向かって右の半円」に位置している。その位置は、「台風自身の風」と「台風を移動させる周りの風」が同じ方向に吹くために、風が強くなるのである。しかし、事実はこれまでも違っていた。風は強くないのだ。

 風向を考えよう。この場合、弘前市の「西側」または「北側」を「台風の中心」が通過することになるから、風向は「東→南→西」と時計回りに変化する。
 東から吹き込む風は、弘前市の「西側」に屹立している岩木山によって風流が堰き止められる。南からの風は県境の山々によって阻まれるが、高さがないのでブロックされず、かなり強い。
 西からの風は東に、「衝立」として構えている「岩木山連山」によって遮られて、弘前市に吹き込む風は弱いものである。さらに東に位置する「八甲田連山」も風力を弱める手助けをしてくれている。「八甲田山」もそうなのだが、「南北に走る稜線構造」なので岩木山も北からの風の場合は余り、「衝立」の効果は期待出来ない。

 ところが、例外もあったのだ。それは古いところでは1954年の台風15号(洞爺丸台風)であり、新しいところでは1991年の台風19号(りんご台風)である。
 1991年の台風19号(りんご台風)の19号の進路は、日本海を進み、秋田と青森県の県境付近に上陸して、大鰐、弘前、青森を通過してほぼ、青森県を横断して、太平洋に抜けていったものであった。
 すでに、お解りのことだろうが、この進路位置では、弘前も大鰐も「岩木山」や「八甲田山」に庇護されることはない。しかも、この19号台風は、北上して、寒気の影響を受けて「温帯低気圧」に変わった後に、再発達し、吹き返しの風が強く、通過後も強風が続いたのである。
 弘前では風速54mを記録したくらいであり、弘前周辺の「リンゴ園」は壊滅的な被害に遭った。だが、岩木山は北津軽の人たちを庇護していた。それは五所川原、木造、車力などの地域であった。「弘前が大変な被害だ」ということで、教え子のI君から電話があった。
 我が家も屋根のトタン板が全部剥がれてしまった。そのため「ブルーシート」が必要だったが、量販店も個人商店からも「ブルーシート」は売り切れていた。そのことを話したら「こっちはそのような被害はない。ブルーシートを買って届けます。」と言うのだ。助かった。
 岩木山は南や東風の「衝立」となって、「西北五」地方の風を弱めたのである。…

 さて、「台風18号」は8日午前5時過ぎ、愛知県・知多半島付近に上陸した。気象庁によると、中心気圧は955 hPa、最大瞬間風速は55m/sであった。
  そして、結果的には、「18号」は12時間かけて、8日午後5時ごろ、宮城県沖の太平洋上に抜けた。
 少なくとも、弘前では8日の日中は、曇り時々小雨ていどであり、時折吹く風は「冷たかった」が強くはなかった。8日の夜間も静かなものだった。どこにいるのか「台風18号」よ、テレビが大騒ぎをしている「台風18号」はどうなっちゃったのだろう。
 夜中に何回か目覚めたが、それは暴風吹き荒れるという「音」によってではない。外の様子は静かなものだった。
 そして、9日、おもての路上には「落ち葉」が1枚もないという「平穏」で、無風「静寂」な朝を迎えたのである。

 だが、この「上陸時点」でも「気象庁」は「伊勢湾台風」にこだわっていた。そして、「北北東」に進んで、やがて日本海に抜けた伊勢湾台風」の軌跡を18号の進路予想にあてはめていた。
 「上陸地点」の違いから、進路の予報を「伊勢湾台風」とは違うとするべきだったのだが、気象庁はそれをしなかった。何だか最後まで「伊勢湾台風」にこだわっていた。
 私は、この上陸した時点で、別な「進路予想」を立てていた。それは、「愛知、長野、群馬、茨城を通過して」午前中には「茨城県」から太平洋に抜け出ると踏んだものだった。
 私の「進路予想」は、その「出口」だけが外れたが、それは太平洋に出た場所が北に偏っただけで、「大約」においては「当たった」のである。

 その時、これで「津軽のリンゴ農家は救われる」と確信したのである。8日朝、5時過ぎのことだった。
私は、「リンゴ農家」である教え子に電話をした。私の「確信」を伝えるためである。
 彼は奥さんと二人だけで「リンゴ栽培」をしている非常に研究熱心で真面目な人間だ。農作業の省力化のためにいち早く「無袋栽培」に取り組み、無農薬栽培を取り入れ、流通における搾取に反対して、真っ先に「産直」事業を手がけた男でもある。二人の子供にはそれぞれ4年制の大学を終わらせてもいるという大した男なのだ。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、24回・連続1000日達成まではあと、33日]