岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山・映える錦秋…(その7)私にとって「通過儀礼」とは…

2009-10-06 05:11:48 | Weblog
 (今日の写真は、10月下旬、岩木山山頂で早朝に見た「日の出」であるが、昇ってくる太陽とは正反対に位置する方向を写したものだ。
 写真左上隅には「月」が見える。まだ薄く明るさを残しているという意味の「有明の月」だ。あかね色の下に茫洋と広がっている黒灰色の色彩は「日本海」である。
 もう少し時間が経つと、この「黒灰色の日本海」の上空には、雲の峰々がその頂を太陽に晒(さら)して、眩(まぶ)しい白さに変わるだろう。そして、背後に見える針状の雲峰に比べるとそれぞれが丸みを帯びて柔らかに見えてくるはずである。
 それに接する「青空」も白いピンク色を漂わせてくるに違いない。とにかく、高く、遠いところのものは総じて明るい。
 ところが、その「黒灰色の日本海」上空には、山脈や陸地の暗色よりは、やや薄明るい「三角形」が張り出している。
 そして、その「いびつな三角形」の薄暗い蔭が、まるで、両手を広げて、山頂にいる私に迫って来るように見えた。時間をかけて眺めていて解ったことだが、三角形とは言うものの、頂点だけがはっきりしているだけで、対辺と底辺とで作るあとの二つの点は見えないという妙なものだった。
 しかも、その頂点は、正三角形のそれのように、低くなりながら、少しずつこちらに向かって、近づいて来る。
 昇ってくる太陽の位置が低い時は、頂点と底辺との長い、鋭角の「三角形」なのだが、太陽の高度が増すに従って、正三角形になり、最後は頂点が摩耗して、姿を消してしまうのだ。
 写真に写っている、このピラミッドみたいな三角形の影は、岩木山の影だ。昇ってきている「お日様」に照らされて、岩木山が「自分の影」を映じているものだ。
 山巓にいる私の影も映るかもしれない。しかし、小さくて見えないだろう。動きを加えると「微かな点」が蠢くかも知れないと考えて、「両手をかかげて振って」みたが、「影三角形のてっぺん」は微動だにしなかった。

 私の視界からは、「岩木山の影」は消えていた。それよりも「残照の月」に心が奪われていた。あの、煌々と輝く、青白い月はどこに行ったのか。あの澄み切った光は何処に消えたのか。
 その前の晩は「中秋の月」だった。これは、すっかり輝きをなくした十五夜の月なおである。
 光を失った白い月、沈むにまだまだ間のあることを恥じるように、自分から明るさを消して、太陽光の中にいざよう有明の月、それは哀れだった。しかし、自分の消え方や身の処し方を思うと、このような「ありよう」には強く惹かれた。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その7)「お山参詣」の様変わり◇◇ 

      …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。私にとって「通過儀礼」とは…(6)…
(承前)

 …昨日、「『岩木山厳冬期登山』、これが私にとっては「通過儀礼」だったのだ。」と書いた。「通過儀礼」の本来の意味は「未成年」が「つらくて苦しい岩木山登山」に耐えることで「成年」として認められることである。
 それでは、私は「何に、何を認められようと」この「通過儀礼」を40年近くも続けなければいけなかったのであろう。少なくとも「まともな男子」ならば1回の「お山参詣」で「通過儀礼」は終われるはずなのである。
 だが、私は今もまだそれを続けている。なぜか、答えは簡単だ。ずばり、「成人」になれないからである。
 「冬山」は生死に関わる危険だらけの場所である。私は、「危険」とは積極的に行動しながら避け、かわしていくものであろうと捉えている。これこそが「生き抜いていく力」になるものであるはずだからだ。
 安野光雅は、「危険に挑んで山に登るのは、すなわち、激しく生きることにほかならぬのである。」と言う。
 山の危険とは、何も無謀なものに「突っ込んでいく」ことを意味するものではない。学習と体験によって、事前に把握出来るし避けることが可能なものである。
 無菌室で育てた生物は雑菌の中では育たないし、「疑似体験(ヴァーチャルリアリティ)」だけでは、人生も自然を知ることにはならない。
 我々は科学によって保護されることで既に失いつつある「自然の中で生物、人としての進化」を取り戻さなければならない。そのためにはあるがままの自然と直接向き合うことがより大事なことなのである。          
 これが、私にとっての「通過儀礼」である。そして、何よりも大事なことは、「自由の前には危険がある」ということを認識することだ。これを忘れてはならない。

 また、「安住的な日常性の中では、人生で最も大切な日常は見えない」ということを実感しているから、「大切な日常」を求めて「冬山」に出かける。
 危険や遭難は「小さな死」であり、それを避けて行動しながら、あるいは「雪崩」に巻き込まれながらも、それを「小さな死」以下に留めて「生き返ったこと」を実感できるような日常、それが私には大切だった。
 「日常」を激しく生きるためには、より激しい「日常」が必要だったのだ。それが、永遠の「通過儀礼」でもあったのである。
 危険をくぐり抜け、乗り越えたその瞬間は「視界ゼロ」の猛吹雪の中でも「すがすがしい青空」を意識出来るのである。(明日に続く)

 字数の都合で「またまた残虐、車で轢いて、その上で『クマ』射殺・深浦」の最終回は明日掲載します。

[連続1000回ブログ書き達成まであと、31回・連続1000日達成まではあと、40日]