岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「巨木の森」への道を歩く(7) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(11)

2010-07-02 05:02:47 | Weblog
(今日の写真は、いつものものとはかなり違う。なんたって「人物」写真である。私のブログ写真に「人物」が登場することは殆どない。その登場する多くは「自然」風景であり「花」である。そして、それらは「岩木山」に関係のあるものが99%を越えているだろう。
 今日の写真は、「巨木の森」から湯段沢を渡渉して、岳登山道に出る直前のところで、撮影されたものである。右に見える「枯れ木」は、「巨木の森」方向を示す標柱である。標柱の後にいる人は、顔が完全にふさがれている。もちろん、写し手も入っていない。
 いつも、参加メンバーを撮るのは私だから、「私」は写真には「入っていない」のである。そして、私は、その写真をメンバーたちにあげる時に「写真の裏に撮影者三浦章男と書いておいて下さい」と言うのだ。
 この写真はメンバーのIさんが写したものだ。写っている人たちは「巨木の森」から岳温泉へと歩いた「野外観察」のメンバーだ。当然、私も写っている。しかも中央にいる。このブログに私の写真が掲載されることは今回が初めてであるような気がする。観察メンバーを前にして「何かを話している」という感じだろう。そうだ。何を話したかというと「森のギャップ」のことだ。
 私たちの足元はブナの葉で覆われた「枯れ葉」が敷き詰められた「フカフカした」腐葉土の道である。ところが、写真奥に見えるのは「チシマザサ」の竹藪である。この「」の前にいくらか刈り払いをして「道」らしくしておいたので、藪にくびれが出来て「道」を示唆してくれるが、立派な「竹藪」である。さらに奥のブナ林帯に入ると「竹藪」は消えて「ブナ落ち葉」の道に変わるのだ。そこだけに「竹藪」が生えているのである。
 「竹藪」の上方を見てほしい。空間が広がっているだろう。森の中で、ブナなどが枯死したり、倒伏したり、あるいは人手によって「伐採」されると、それまで陽光を遮っていた樹木がなくなるので、そこだけは地表にまで「陽光」が射し込むことになる。
 そうなると、そこには「陽光」を浴びて育つ「陽樹」が生える。だが、この場所は、その陽樹の成長を抑えて「チシマザサ」が先に伸び始めたのだ。このような、森に出来る「空間」を「ギャップ」と呼ぶのである。
 ここの「ギャップ」は明らかに人手による伐採、つまり、この「巨木の森」への道を開鑿する時に、「登山道との分岐点」付近ということで、広めに「伐採」したことによって生じたものだろう。
 皮肉にも、「生物多様性」を配慮しないとんでもない「道開鑿」に伴う伐採が、今や、道を塞ぐほどの「藪」を造りだしているのである。)

◇◇「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、スギの植林地は違和感の極み…(7) ◇◇

(承前)…岩の道が途切れたところで左に曲がる。赤布を付けたスギの枝が目の前に見える。自然度100%の岨づたいの道から、伐採、植林という人工の手が加わった「スギの植林地」に出たのである。「興ざめ」とは、このことをいうのだろう。
 ブナの原生林から、最初の「興ざめ」である自動車道路を斜めに横断して、この「岨道」に入った。その途中の道路脇では「紫色」の小花を見た。岩木山ではこれまで出会ったことのない「花」である。
珍種か新種かと色めき立つことも最近はなくなった。「感興がなく、逆に興ざめを覚える」のである。
 それは、これまでの体験上から「出会ったことのない花とは外来種である」という既成の事実によるものである。
 この「紫色」の小花はアヤメ科ニワゼキショウ属の一年草である「ニワゼキショウ(庭石菖)」だ。日当たりのいい道端、芝生の中などに生えるというから、スカイラインの道路端はうってつけの生育地なのだろう。山菜採りか「」散策者が知らずに「種」を運んだものだろう。自動車で来るということは、途中で「種」をばらまかないで「そこ」まで運ぶということになるのである。
 「庭」という名を戴いているのだからもちろん「園芸種」である。しかも、明治時代の初期に渡来した帰化植物、「北アメリカ原産」の外来種である。名前の由来は、「葉が石菖というサトイモ科の植物に似ていること、また、庭によく生えること」による。
 そのようなものに出会って「興ざめ」はピークに達していたが、この「巨木の森」への道に入ったところで、竹藪と「イワナシ」の「歓迎」を受けて「興醒め」は大分消えていた。
 そして、「オオバスノキ」や「キソチドリ」に出会い、優しい「滑滝」に達して「興ざめ」は完全に消えて、本物の「自然の懐」抱かれているに気分に浸っていたのだ。
ところが、今度は「スギの植林地」を歩かねばならないのだ。(明日に続く)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(11) ◇◇

 (承前)…「弥生いこいの広場」に植えられたブナは根づいてはいるが非常に成長が遅い。ブナが植栽されている直ぐ下部は、「弥生跡地」西側の最上部になる。そこは表土が完全に剥離されてしまった場所でもある。だが、そこの樹木は「ハンノキ」、「アカマツ」、「オニグルミ」、「ヤマナラシ」、外来種の「シラカバ」など多種であり、どれもみな大きいのである。前にも書いたが「樹種」によって成長を同一視することは出来ないが、大きな「ハンノキ」は幹の直径が20cm以上であるし、樹高も15mクラスのものも生えているのである。
 片や30年近いブナの樹高は4m程度、幹の太さは5cmにも満たない。一方、「遷移」途上にある「荒地」の「ハンノキ」は15mの高さに育っている。 
 営林署が、30数年前にブナを伐採して「カラマツ」を植えた場所の「カラマツ」は一様に育たず、せいぜい樹高が5m程度である。だが、「ブナの切り株からのひこばえ」や「実生」から育ったものは「カラマツ」を追い越して樹高も15m以上になっているのだ。

 これらの事実は何を教えてくれているのか。それは、「ブナは親木の遺伝的な形質を受け継いで、親木のある場所で育つものである」ことを教えてくれるのだ。
 「弥生いこいの広場」下端部に植栽された「ブナ」は、少なくとも壁倉沢尾根に生えている「ブナ」の種、実生や幼苗を植栽して育てたものではない。どこか、他地域の、恐らく他県の「種苗」施設から、「園芸業者」任せで、取り寄せたものであろう。
 「ブナ」というものに対する「生物多様性」からの理解があれば、このような馬鹿なことはしないはずである。隣接するブナ林から「果実」を拾い集めて、「実生」として育て、それを植栽していたら、今頃は立派な「ブナ林」になっていたことだろう。
 この植栽も、やはり、自然破壊の何ものでもない。(明日に続く)

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