岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

草花や樹木が教えてくれる新しい発見、F子さんにとって、それは驚きと感動だ

2010-07-08 05:04:03 | Weblog
(今日の写真は、ラン科キンラン属の多年草「ユウシュンラン(祐舜蘭)」である。岩木山には、この仲間で「ギンラン」、「ササバギンラン」が生えている。かつては、「キンラン」も見かけたことはあったが、今では目にすることがない。おそらく「盗掘」などによって絶滅したのだろう。
 「ユウシュンラン」は、北海道から九州の山地の林内に生育するが、その分布は非常に非連続的で全国的にみても稀であるといわれている。しかし、幸いにも岩木山には生育している。だが、出会うことが「希」であることには変わりはない。
 これは、「ギンラン」の一変種で、やや湿った腐葉土に生え、高さは10~15cmと小さい。葉は上部の1枚だけが大きく、その他は退化して鱗片状になっている。花は2~4個だが、花被片相互に少し間隔があって、距が著しく前に突き出るのが「ギンラン」との違いだ。5月から6月にかけて、ひっそりと林下で咲く。
 その様子を「白い妖精」と呼称する人もいる。「言い得て妙」とでも言おうか、新緑の林床で、「ユウシュンラン」が咲いている。小さい。だが、目を凝らすと間遠ではあるがあちこちで、「白い妖精」たちが手招きをしているのである。
 だが、個体数は非常に少ない。環境の変化に極めて敏感なので、生育地周辺の僅かな変異でも消滅すると言われている。
 開発等で何時の間にか消えてしまったり、蘭マニアによる乱掘、盗掘もあり、今や国や県のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類 (VU)に指定されてしまった花でもある。
 花名は、秋田生れの植物学者・工藤祐舜の功績を称えて付けられたものだ。)

◇◇ 草花や樹木が教えてくれる新しい発見、F子さんにとって、それは驚きと感動だ ◇◇

 転送されてきたメールを読んで、まだ眠りからすっかり覚めていない私の顔には、笑みが湧いた。それは顔面の筋肉を「ボコボコ」させながら、まるで顔面を痙攣させるかのように広がった。
 私はこのメールの発信者と面識がある。話を交わしたこともあるし、夏の岩木山、残雪期の岩木山にも一緒に登っている。
 現在、信州大学農学部森林学科で学ぶ女子学生である。2年生になったはずだ。名前はF子さんだ。何という成長ぶりだろうか。実に「素直」に成長している。あるものをそのまま見るという姿勢で成長している。そこには「雑念」はない。「雑念」や既成概念、社会通念、加えて既視感というものは、新しい発見を阻害する要因にさえなってしまうものだ。
 現代は、「素直」に「あるがまま」を見ることが出来るように育つには難しい社会である。そして、そのような人に育て上げることもまた、親にとっては、すごく難しいことである。だから、私は本人と両親に対して大きな拍手を送りたいと思う。
 無理な願いだが、私は、この世の家族が、すべて、この「家族」のようになってほしいと思うのだ。

 新しい発見は嬉しいものだ。自分を白紙にすればするほど、発見と喜びは増える。私にはF子さんの気持ちよく分かる。何故ならば、一介の国語教員いう門外漢の私が、草本や木本の世界に飛び込み、「自然保護」の世界に入り込んでしまったからだ。
 最初はすべて「未知」の世界だった。出会うこと見るものすべてが新鮮で、驚きと喜びと不思議が交錯する言いようもない混沌とした世界であった。そして、そこで「植物や動物、地質、地形、気象を含む自然」から、とりわけ草本や木本から、多くの「人生」を学んだ。 「不思議が交錯する混沌とした世界」に足を踏み出して驚きと感嘆の連続であった。そして、それは、今でも続いている。
 だが、最近気づいたことがある。それは、混沌とした自然界には、はっきりした「長い年月かけて彼ら自身が造り上げた」法則性があるということだ。
 この法則性は、人間社会に見られる「法」というほど適当で、我田引水に近いご都合主義で、曖昧で、権力者によってないがしろにされるものでは決してないのである。「自然の法則性」には「自分たちさえよければ」という考えはない。根底にあるのは「共存」である。
 F子さんは、毎日わくわくしながら目を輝かせて過ごしている。本当によかった。もしも私が長生き出来て、F子さんと一緒に岩木山の自然を護る活動が出来たらいいなあと、思ったりもした。

 それでは、F子さんのメールに添付されていたお母さんの序文も添えて紹介しよう。

…信州大農学部に在学中のわたしの娘から、おもしろいメールが来ました。是非、お見せしたく転送させていただきます。「森のことを学ぶと人生にもつよくなる」ということを実感いたしました。…

以下F子さんのメール
《 「花びらがばらばら」の話で、森林科のうんちくをご披露!!(^○^)
古い植物では、花びらの枚数ばらばらとか、葉っぱの数ばらばらとかいうのがけっこうたくさんあるんだよ!信大農学部の正門の並木に使われてるユリノキ、あれも、花弁、おしべの数、めしべの数が、全部、花によってめちゃくちゃなんだ!理由はわからん・・・。(信大のばらばらさ加減を象徴している?!)
 植物はすごくて、若いうちはオスだがそのうちメスになるとか、その逆とかもあるんだ。中には、1年ずつ、オスメス繰り返すやつもあるんだ。自家受粉を避ける方法らしいが、なんかひでえ・・・。
 山の花が白いのは、林床の暗闇で目立つようにするためらしい。「花は白、実は赤か紫が一番目立つ」という、信大の先生の実験結果があるんだ。実際、白い花、紫か赤の実がすんごく多いらしいよ。
 林床植物は、たいがい背を低くして葉を広げて、ほそぼそと確実に生き残る戦略を取るんだけど、中には、「おりゃおりゃと上に伸びてればそのうち明るい所に出るだろう」という、すげえ楽観的なのがいるんだ。マルチレイヤー型というんだが、わは、これをすんごく気に入ってるんだ。これ、「楽観的戦略」と銘打って、学術書とかにも出とる、ホントの用語なんだ。大笑いだ!! F 》

 F子さんのメールを直接読んで「あれこれは?」と思われる方もいるかも知れないので、次の項目について私なりのちょっとした解説を加えたい。
 「(信大のばらばらさ加減を象徴している?!)」
…信州大学は戦前の専門学校、高等学校が集まって新制大学に移行したものだ。だから、その場所がばらばらなので、「たこの足大学」と称されていた。ここでF子さんがいう「ばらばらさ加減」とはそのことを指しているのであろう。大学の体系、学問的な体系がバラバラであるという意味ではない。

 「花は白、実は赤か紫が一番目立つ」
…私の体験からもこのことは実証済みである。私は植物の「花の色」の原型はすべて「白」だったのではないかと推論しているくらいだ。赤い花が突然白花に変わることがあるが、私はその意味から「先祖返り」と勝手に呼んでいる。

 「マルチレイヤー型」
…植物界は、すべてが「マルチレイヤー型」である。だから種の保存が可能なのである。植物世界は未来世代を志向しない。ひたすら過去に戻ろうとする。「遷移」とはその現れである。

「6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(17)」は明日掲載する。

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