岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

そろそろ紅葉の時季だ!/ 自己中心「子供のまま」のバカ親たち(その5)

2008-10-13 05:47:33 | Weblog
(今日の写真はバラ科ナナカマド属の落葉高木「アヅキナシ」の黄変した葉と実だ。これは北海道から九州にかけて分布する。中国大陸にもあるといわれている。)
 ブナ帯の下部から低山帯まで広く生育しているが数は多くはない。
高木とされているが、あまり大きくはならないので、ミズナラなどの「優占群落」を形成する木々とは競合出来ない。
 だから、「林」の中で見ることはない。林の中でも、何らかの「攪乱」で、木々がなくなったような場所に生えている。もちろん、「林縁」にも見られる。
 この写真のものは百沢の山側の「リンゴ園」の傍に生えているものだ。高さは10mを越えている。アズキナシはこのように「高木」が多いので、花を「直近」で見ることがなかなか出来ないのだ。「白くて小さい、ナナカマドの花」に似ているという形容しか「遠目」では出来ないものだ。
 拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」では316ページに小さな写真でしか載っていないので、少し解説を加えたい。
 アズキナシの花は5月の上旬頃から咲き始める。枝頂に複散房花序を形成し、白色で直径が15mmほどで小さい。花弁は1枚1枚散ることはなく、長く花についている。
 特徴は雄しべが20本で基部で合着して、そこから蜜が分泌されるのだそうだ。その上、雌しべは2本もあることである。
 花名の由来は「果実がナシに似ていて、実が小さく色と形が小豆「あずき」に似ているいる」ことによる。
 ところで、アズキナシは「秤(はかり)の目」という別名を持っている。これは葉に見られる「等間隔の側脈」が、物差しの目盛りに見えるからである。
 葉には規則正しい波状の構造があり、明瞭な側脈が葉の裏側に突出している。このような「波板状の構造」は、若い頃の柔らかい葉の形を保つためには有効なのだという。葉の縁は重鋸歯となっていて、バラ科の特徴をはっきり示している。今日の写真からは「側脈」も「重鋸歯」も見られないだろうが「カラーガイド 岩木山・花の山旅」ではよく分かるはずだ。
 アズキナシの樹皮には小さく縦に割れ目が入る。枝は白紫色を帯びて、皮目が目立つ。
 今日の写真からも分かるだろうが、アズキナシの枝は、はっきりした短枝を形成する。長く横に伸びた枝から直上に短い枝をつけ、その先端に3~5枚の葉をつけており、一見輪生のように見える。
 これは毎年、「葉柄」が付着することができる程度しか伸びない。花序はこの短枝から出るのである。十分に陽光が当たる場所では短枝をつけて、枝への投資を最小限にしながら、効率の高い「稼ぎ」を目指しているといえるのだ。すごい「知恵」だろう。投資家もこの知恵に学ぶべきだろう。
 長く伸びる普通の枝(長枝)では、葉は互生し、枝は紫色の小さな皮目が目立つのである。短枝に比べると長枝は将来に向けての投資である。
 拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」316ページのものは若い個体である。だから、短枝はあまり見られず、長枝が目立っているのだ。

  ●自己中心「子供のまま」のバカ親たち●

 (承前)

 「子供に苦労させたくない」と思うのは親心でもある。だが、独り立ちするためには「独り立ち」する前の辛くて苦しい時期を経ることが「必要条件」である以上、親心としては「辛苦を経験させる」機会を与えることを設定しなければいけない。単純な親であってはいけない。
 人はみな苦しいことは嫌なものだ。子供がいやがることを避けるだけの、子供や生徒の、その「避ける」行為に迎合しているだけの親や教員であれば「バカ親」「バカ先生」という誹りは免れない。誹りではない。真実を突いた言葉だろう。

 「獅子の親は子供を千尋の谷底に突き落とす」とは「親が子供の独り立ちや親離れ」を促すための「ことわざ」である。「かわいい子には旅をさせろ」という「ことわざ」も意味を同じくする。
 私が子供や少年時代には「若い時にいい生活をすると、後々がきつくなる」とよく言われたものだ。当時の社会も親も教員も、あえて子供や生徒には「後々がきつくならないようにするために」と厳しかった。
 そのために、目の前にある辛く苦しい「課題に向かって」努力することが要求されたのである。その意味で私が出会った教員は1、2を除いて「教師」だった。今は、「教師」ではない。「教員」である。
 当時は「窮乏生活も勉強のうち」として、そこに価値を見いだして生活をしていたものだ。私は現在67歳である。

 …「背の高い子と低い子を並んで写真を撮られた。配慮に欠ける」と文句を言う親がいる、と聞いた。そんなバカな?…
 こういう文句を言う者は、小学生の親だろう。このような親の年齢は、仮に20歳代後半に「親」になったとしても30歳代の後半から40歳代にかけてだろう。
 となれば「生徒が学校に背を向けること」が許されはじめた頃に高校生であった者たちなのだ。「学校と教員と親の責任の解除」の中で育った者たちなのだ。つまり、「甘やかせられ」て「若い時に自立のための苦労」を放棄した世代なのである。まだもって自立できない「子供のまま」の親なのである。

(明日に続く。)

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