岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤トンボ(アキアカネ)を思う / 日本人はトンボをどのように見てきたか(2)

2008-11-04 05:53:57 | Weblog
 アキアカネ(赤トンボ)、成熟したオスは腹部を中心に赤くなり、メスは腹背が部分的に赤くなる程度だ。さて、今日の写真は四翅を振るわせて飛翔中のものだが、オス、メスどちらだろうか。
 体長は60~70mm、腹の長さは約24から28mm、後翅の長さは29から32mm程度だといわれている。
 「アキアカネ(秋茜)」という名前の赤トンボ、その名前から「秋のトンボ」という印象を持つが、実際、アキアカネが「ヤゴ」から羽化するのは6月末頃で、梅雨時である。他のアカネ属の赤トンボもこの時期に成虫になる。
 アキアカネは、平地や丘陵地にある「田んぼや浅い池」、河川敷などに見られる水貯まりで、また都市部では水抜きをしない貯水池や何と学校の水泳プールなどで幼虫(ヤゴ)が育つのである。
 羽化したアキアカネは全体的にオレンジ色をして、一見軟らかく弱々しい感じを与えるが、飛ぶ力は強く、曇っていて風のない日に「山」を目指して飛び立つ。
 これまで、6月から7月にかけて、無風で曇天の日に、空中を次々と一定の方向に飛ぶアキアカネの姿を何回見たことだろう。今年は、ついぞ、そのような「情景」を目にすることはなかったのである。
 梅雨があけ、真夏の太陽が照りつける頃には、アキアカネは「山」に移動してしまうのだ。アキアカネが暑い夏を過ごすのは、標高1000m以上の「高い山」なのである。

 数年前のことだ。こんなことがあった。…
 アキアカネが里に下りてきた。もう秋だ。それにしても今年は夏があったのだろうか。水稲の不稔が伝えられている。米の輸入も取り沙汰されている。農家の人は元気も出まい。悠悠自適、元気なのはアキアカネだけだ。
 数年前、私は同じようなアキアカネの群れを見た。木造町の北端にある亀ケ岡公園でのことだ。自転車で走ったその疲れをとるべく草地に寝そべって、天空をまともに見た。小一時間ほど見ていたが飽きることはなかった。私はアキアカネの翔ぶことの軽快さとスマートさ、そしてその静かさとに憧れている。
 思うと、そこにも水際があった。平滝沼やその周りの湿原である。

 「蜻蛉を踏まんぱかりに歩くなり(立子)」という俳句がある。この句は視点を低いところに、足元に置いてトンボの数の多さに驚いている。やはり、天空をのどやかに飛翔する、という視点に欠けて、スケールが小さい。
 そこで、ちょっと真似をして「天空」というイメージを加えての、私の駄作を紹介しよう。…
 「蜻蛉につつまれんほどの天女かな(章男)」
 私は天空を飛翔するトンボも大好きなのだ。

■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(2)■

 2.「アキツ」から「カゲロフ」ヘ・大陸文化の影響

 「秋津島」神話を作り上げた奈良時代の頃からトンボにおける「神性」はきわめて希薄になるようだ。少なくとも文学作品においてはそうである。
 「アキツ」はかろうじて大和に掛かる枕詞「秋津島」としての用例が見られるものの、もはや「稲魂」や「稲の精」としての「アキツ」の用例は見られなくなる。そして、「蜻蛉」の訓みは「アキツ」から「カゲロフ」に変化し、その象徴性は「はかなきもの」に変化する。
 蜻蛉は「トンボ」なのか「カゲロウ」なのか。この問題は国文学などにおいては古くからの関心事であったようであり、後の時代に「カゲロウ」と考証される枕草子や源氏物語のヒヲムシ、さらには大気現象である「陽炎」や子蜘蛛が糸に乗って分散する様子を示す道糸をも交えて、これまでにも多くの議論が重ねられている。
 とはいえ、その「蜻蛉」の読みが「アキツ」から「カゲロフ」に変化し、その象徴性が「豊穣」から「はかなさ」に変化した(少なくとも新しい意味が付与された)ことはやはり重大な問題である。
 それは、そこに大陸文化の影響を見ることができるからである。つまり、当時の中国において、「トンボ」は日本のように特別な虫としての地位を与えられていなかったのではないのだろうか。
 少なくとも歴代の支配者階級にとって「トンボ」に対する関心は中国におけるのと同様に、決して高くはなかったと考えられる。支配者階級に限っていえば、奈良時代以降の「トンボ」の希薄さは大陸の影響によるとみることができる。

 3.「アキツ」から「カギロヒ」に、そして(蜻蛉羽)「トンバウ」(トンボ)

 光にひらめき、きらめく「トンボ」の羽は、まさに「カゲ」であり、飛んでいる時の見えないトンボの羽が光を受けて見えている状態である。これが「カゲの両義性」であろう。
 きらめいて見えるは光の反射であるが、その前の瞬間には光を反射しない状態がなければならない。そのような光と陰の一瞬の交錯のくり返しを「カギロヒ」と呼んだのではないだろうか。
 このように考えてみると「微かに飛びちがふ」とは、トンボが群飛する様を言うのではあろうが、群飛することそのこと自体をいうのではなく、多数のトンボが羽を「ひらめかせている様」にこそ焦点がある言葉ではないかと理解できる。
 その光の一瞬の閃きを言うのでなければ「微かに」とすることの意味がわからないし、『源氏物語』の「かげろふの物はかなげにとびちがふを」における「物はかなげに」を理解することも難しい。
 私がこれまでくり返し見てきた光景、多数の赤トンボが山の麓を背に飛びかい、あちこちで羽をきらめかせている情景・様子こそが「カギロヒ」なのではないかと思っている。広辞苑には、トンボをカゲロウと呼ぶことについて「飛ぶさまが陽炎のひらめくように見えるからいう」とある。トンボは「カゲロウのカギロヒ」なのだ。
 「カギロヒ」と言うとき、それはトンボの羽に限らず、クモの道糸、陽炎、何であっても良い。ひらめいている「サマ」はみな「カギロヒノカゲロフ」なのであろう。「カギロヒ」にはさらに空が夕映えで茜色に染まっている様を表すなど様々な用例もあるという。(明日に続く。)

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