岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤トンボ(アキアカネ)を思う / 私の庭でもめっきりその数が減った

2008-11-03 05:41:59 | Weblog
(今日の写真もトンボ目トンボ科アカネ属の「アキアカネ」だ。「アキアカネ」は九州から北海道、朝鮮半島や中国大陸にも分布する。
 餌はハエやカ、稲の害虫のウンカやヨコバエなどの小さな虫である。この写真のアキアカネは「里に下りて来た頃」のものだろうか。)

 私はトンボは好きだ。あの軽やかな飛翔には人間の「飛行科学」を越えたものがあるように思っている。4枚の羽を自在に操って、ホバーリングしたり猛スピードで飛翔することに、まだ人間の科学技術「文明」は追いついていない。
 トンボと人間との付き合いは長い。その長い歴史から考えると、これほど時間をかけながら、いまだ、「トンボ」の飛翔技術に追いつけないでいるのだ。
 それを見透かしたかのように「トンボ」は私たちの頭上や周囲を「スイスイ」と飛翔している。人間はそれを半ばあきらめ顔で半ば羨望の眼で眺めているしかないのである。
 だから、私はトンボが好きなのだ。「思い上がった」人間を揶揄し打擲してくれるトンボ、そして、ひたすら「我が道を行くトンボ」が好きなのである。今日の写真は私が写したものではない。私が写したトンボの写真は全くないわけではないが、「いいもの」がないので、このシリーズで使わせてもらうものは大体が「借り物」である。) 

      ■ 霜月、今は「アキアカネ」の終焉の季節 ■

 先月の半ば頃まで、庭先に見られたアキアカネたちは、秋天の中での二羽連翔で、水辺に彼等の子孫を確実に残したのだろうか。
 霜月も、つごもりとなり、師走に入る。雪が降ったり、積もったりしないまでも、寒さは厳しい。その頃になると、いくら日溜りで暖をとっても、もはや彼等の筋肉は収斂(しゅうれん)して動かないのだ。
 彼等の終焉は近いのだ。竹垣の竹、その中の一本の先端に停まり、全身に霜を置いている…、いやあるとすべきか…、それは、まるで永遠の生命のように見える。
 内側から、全身に力を入れ、己の筋肉を収縮させ、自ら形作った終焉である。肉が溶け、腐液が流れ、骨が砕けるという弛緩に満ちた生々しい死ではない。

 よく晴れた朝は「放射冷却」が強い。霜はその結晶をますますはっきりさせ、その永遠の生命は「小粒のダイヤ」に包まれたトンボ型のブローチにさえ見えるのだ。
 限りない静寂に出会い、その無言の中に緊張を聞き分け、その緊張さながらの内からの収縮、それには、自然を背負い、自然に没入していく力強さがある。
 霜柱の立つ朝、草むらの先っちょや、「猫じゃらし」の穂先や、垣根のてっぺんに霜を全身に置いた「トンボ」がある。それには、生命がそのままの形で内在しているのではないか、とさえ思うのだ。

 夏、山麓の小道で、羽虫を捕食するために、軽快に、敏捷に、小回りの利く飛び方をするアキアカネ。
 秋、天空に悠々と群れをなす2匹連翔の、堂々たる、しかも子孫を残しえたアキアカネ。
 冬、霜を全身に、弛緩のない永遠の生命を内在させながら、終焉を迎えるアキアカネ。

 私には、人生をかけたところで、アキアカネに学ぶところが沢山あるような気がする。
 駄作ながら「俳句」を作ってみた。
  ・永遠(とわ)を見せ背に霜を置く蜻蛉かな
  ・背に霜し氷河の中のアキアカネ
  ・輝けり生命(いのち)の霜よアキアカネ

 私は「アキアカネ」が好きだ。私は来年の秋を望んでいる。天空の無数の生命に早く会いたい。

■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(1) ■

 我が国、日本は昔、「秋津島」と呼ばれていた。ここで言う「秋津」とは「トンボ」のことだ。つまり、日本という国は「トンボ」の国なのである。
 まさに、「トンボの国」にふさわしく、日本国内には186種 の「トンボ」がいて、青森にも約「90」種もいるといわれている。

 明治期に来日した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は『日本雑記』の中に収められた「蜻蛉」では、「トンボ」に対する日本人の見方を次のように言う。

 …幾世紀もの間、昆虫の習性をながめ暮らして、それをこのような形の詩に詠んで、そこに楽しみを見いだしていたような人びとは、必ずやわれわれ西洋人よりも、生きることの素朴な楽しさをよく心得ていた国民に相違ない。
 たしかに彼らは西欧の偉大な詩人たちがしたように、大自然の魔力をつづるということはできなかったにしても、悲しみを超えて、この世の美を感じ、好奇心に満ちた目で、幸せな子どもたちのように、自然の美しさを楽しむことができたのである。…
  ・捨苗の束に生れし蜻蛉かな (碧童)

 西欧においては、悪魔の使いとされ、嫌われる存在であったトンボが、日本人にとってはなぜ好ましく特別な存在となったのだろうか。それについては次項に言及してみよう。

 1.トンボは稲魂・豊穣のシンボルだ

 古事記や日本書紀では神武記と雄略記の中で国号「秋津島(蜻蛉洲)」命名神話の主役として「トンボ」が語られる。この「トンボ」の古名「アキツ」を冠した「秋津島」は、時代が錯綜することになるものの、すでに「記紀の国産み」神話にも登場する。明らかに古代において「トンボ」は「特別な虫」であった。
「秋津島」とは豊穣を予約する国土の霊(国魂「くにたま」)だ。さらに、「アキツ」を「洪水によって運ばれた沃土が堆積し開けた新しい土地」としたり、「トンボ」を「田の神のつかわしめ」とする見方もあったとされている。つまり、稲の害虫を捕食する「トンボ」はまさに「田の神」であり、「豊穣の神」であったのだ。

「アキヅシマ」は文字通り「アキツムシ」すなわちトンボの多い豊穣の国といった意味を持っていたに違いない。「トンボ」を「精霊=祖霊」とし「田の神」とする見方である。稲の精あるいは稲魂そのものとして田の神がおり、トンボをその顕現とみる見方があったのである。
 古代における「トンボ」を稲の害虫の天敵(捕食者)としての役割に求める意見は多い。ある学者が調べた処によると、「トンボ」は一時間に843匹の虫を食べたという。(明日に続く。)

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