岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

オオバクロモジの葉と花の冬芽 / 豊かな生態系とは…

2009-02-01 05:27:40 | Weblog
(今日の写真はオオバクロモジの葉と花の冬芽である。今年は雪が少ないので、このように雪上で元気に葉と花芽が育っている。
 「雪が少ない」というよりは「少なさ過ぎる」というべきである。一昨日辺りからテレビもラジオも「大騒ぎ」をしている。低気圧が日本の東側に抜けて天気は大荒れだというのである。何も騒ぐことはないではないか。これが、「日本」の当たり前の冬型の天気なのだ。
 だが、確かに変である。この低気圧、太平洋側に雪を降らせ、風速30m近い強風を吹かせて「大暴れ」をした。それに反して「豪雪地帯」の日本海側は相変わらずの「少雪」なのだ。風も強風とは呼べるほどのものではなかった。
 私が「変だ」と考える理由は「この時季」、つまり、「大寒」中にこのようになるということである。
 異常でなく普通に季節が推移しているならば、「太平洋側」の大雪を降らせ、強風が吹き荒れるということは、「冬将軍の最後の大暴れ」であり、冬の終焉を告げる時季のことである。だから、普通には3月末頃に「起きる」気象現象なのだ。
 だが、今年は1月の末に「冬将軍の最後の大暴れ」が起きたのである。何と、季節は2ヶ月も速いペースで進んでいるのである。
 私はこの気象異常が「山の木々や草花」にどのような影響を与えるのかに対して強い関心を抱いている。
 今朝の写真をよく見て欲しい。この緑色の樹皮に黒い模様がついている。これを「黒い文字」に見立てたことが名前の由来である。この「黒い文字」模様の部分は季節が移っていくに従い、だんだんと濃くなっていくのだ。
 この花芽「硬い蕾」は残雪期に黄色い花を咲かせる。しかも、葉芽が開くのと大体、同時展開である。
 同じ仲間の「アブラチャン」が花をつけてから、葉を開くのに対して、こちらは花を咲かせながら葉を開くのである。咲く時季も、場所も同じでありながら、しかも同じ仲間でありながらの、この違いは一体何故なんだろう。
 違いがあるとすれば、それは「果実」が「液果」と「堅果」であるということだけである。「液果」は「堅果」に比べて、冬になる前に速く完熟して、「捕食者」である鳥たちに食べて貰い、種をまく必要があるからだろうか。「堅果」の方は堅い殻に収まっていて、長いこと「保護」されているから、急いで完熟する必要がない。だから、ゆっくりと成長するために「葉」が花の後に出てくるのだろうか。
 素人の私には、この程度の推理しか出来ない。案外この程度に単純なことかも知れないのだ。)

       豊かな生態系とは…

 このオオバクロモジが生えている辺りはミズナラ林の上端である。昨日紹介したツノハシバミもこの辺りの日当たりのいい場所に生えているのだ。
 これよりも上部にはダケカンバを中心とした樹木が主に生えている。そして、その中には「ブナ」も見られるのだ。
 岩木山はその山頂からおおざっぱに生えている樹木と草本類は…
山頂部ではミヤマハンノキ、ミヤマヤナギなどが見られ、次いでハイマツや低木のツツジの仲間であるガンコウランやコケモモ、さらに下ってコメツガが現れ、ダケカンバが現れて、この辺りが、いわゆる、森林限界である。ただし、百沢登山道尾根ではコメツガは現れない。森林限界から下方には低木の「ブナ」が登場する。標高にして1200mから1300mにかけて「低木」のブナが出てくる。そして、このブナ林は一様に背丈を増して、一気に標高600mまで駆け下っている。そこまで来ると、ブナは幹の周りが数mに達し、樹高も10mを超えるようになっている。
 さらに、その下方はミズナラやカエデ類が茂る雑木林だ。人の手が入り、人との関わりが深ければ二次林となり、「里山」と呼ばれるものだ。
 そして、その下方、つまり緩やかな裾野は「草山(採草地)」だった。ここはには、叢立ちの「ツノハシバミ」が小さな小さな「森」をつくり、ハギが叢立ちして、ススキが生えていた。春はワラビがおもしろいほど採れたし、草地の藪では夏の日中、「キリギリス」が「うるさい」ほどに鳴いていた。
 ススキやハギの藪下にはキキョウが咲き乱れ、雨の日や朝露に濡れたハギからは、露滴がキキョウの花びらに透明感を与えながら、垂れていたものだ。
 そのような草山は、現在の環状道路の上下に、岩木山の裾野を大きな円で取り囲むように広がっていたのである。
 だが、現在はそのような場所は「裾野」のどこにもない。その片鱗を探ろうとすれば、石坂洋次郎の小説「草を刈る少女」を読んで文章の中に、その風景を探るか、または吉永小百合主演の日活映画「草を刈る少女」を見て、その映像にひたるしかないのだ。
 一応、山頂部から裾野まで「樹木」や「草花」の分布域を見てきた。これら分布域は決して「断絶」しているものではない。
 このそれぞれの「分布生息域」で生きる生きものは、水平移動や垂直移動をしながら、または、移動しないものも「移動する」ものとの関わり合いの中で生きているのである。この生き方が「生態」であり、そのつながりが「系」なのである。
 「裾野」の草山が完全に「破壊された」岩木山には、自然の「生態系」は残っていない。加えて、百沢尾根では「ブナ」が皆抜されて上部に低木ブナを残すだけになっている。これも、「壊された生態系」でしかない。
 旧日本軍は「騎兵」を持っていた。その「馬」たちに「食べさせる草」を採取するために一部農民たちの「採草地」を奪ったのだ。他に、材木供給という目的もあったかも知れない。
 彼ら農民たちは、農耕などの作業の労力としての馬や牛という家畜に食べさせる草がないということは、まさに「死活」問題だった。
 その解決には「新しく」草山を造るしかない。その結果として、百沢尾根のブナ林は皆抜されて、標高1000m近くまでが一時期、「採草地」となったのである。
 望ましい豊かな生態系とは「多種多様」であるということだ。昆虫でいうと「多くの虫がいること」「多種類の虫がいること」「その虫が関わりを持って生きながらも、自分の個性や特性を十分発揮して生きていること」であって、「ある種の虫だけ」という世界では「多様な生態系」とは呼べないのである。
 『青森県津軽地方は「緑」が多くて「自然が豊か」ですね』といわれてその気になってはいけない。だが、多くの人は「その気」になっているだろう。
 ここで言われる「緑」とはその大半が「りんご園」のものである。これは自然が豊かなことではないし、厳密的には「非常に貧しい生態系」の中の緑でしかないということなのである。
 

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