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岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

山頂にはトイレを設置しないが前提だ・排泄物の処理は山域にあった方法図るべき…

2007-11-04 09:54:36 | Weblog
(今日の写真は赤倉御殿という稜線上から写した山頂である。白く見えるのはダケカンバやミヤマハンノキについた霧氷である。残念ながら…私にとっては不浄なものが見えないので幸いだが…雲に覆われて山頂の「トイレ」は見えない。)

 Hさんから美しい写真付きのメールが届いた。その中で「トイレ」について触れている部分があったので、紹介したい。
…「10月3日、岩木山山頂に泊まった時に撮った写真です。アマチュアの下手な写真ですが、心から感動しました。翌、4日の朝も晴れて、八甲田の横岳付近から日が昇りました。朝8時頃、嶽に向け下山する途中、八合目P到着前、多くの登山者(広島から25名、大阪から16名)と出会いました。1つだけ気になった事は、トイレの粗末さです。青森県の主峰として、多くの登山者が訪れる山に相応しい環境であって欲しいと痛感しました。岩木山神社或いは弘前市と、調整が必要でしょうが、早急な対策が必要だと思いました。」…
Hさんが言う「トイレの粗末さ」とは具体的に何のことなのかよく分からないが、私なりの解釈で「山のトイレ」について考えてみたい。
 私は、これまで「登山口にはかならずトイレを設置し、それ以外は出来るだけ設置しない」ことを提唱してきた。
 「登山開始前に必ずトイレを利用する」こと、つまり家庭でもどこでもいいのだが、登山の前に「排泄」をしておくことが、登山者の常識的な観念だろう。これを登山者も登山客も常識的な「決まり事」として守らねばならないのである。
 一方で、数と場所が整合性に欠ける場合は適正な位置、利用状況などからトイレの整理をする必要がある。これは行政や「観光業界」がすべきことであろう。
 「登山口にはかならずトイレを設置する」という大前提が「岩木山」では守られていない。岩木山の場合、弥生登山道口と長平登山道口、松代登山道口には「トイレ」はない。それに加えて山頂までただの一ヶ所も「トイレ」はない。百沢登山道では岩木山神社大鳥居近くにトイレがある。また途中の「焼け止り小屋」にも「鳳鳴小屋」にも「トイレ」が設置されている。 赤倉登山道口には「トイレ」はないが、登山口手前の大石神社前の広場に「トイレ」があるので、利用が可能だ。
 岳登山道の場合は登山口の岳温泉に立派な「トイレ」がある。途中のスカイライン終点標高1250m地点にもある。スカイラインやリフトを利用する登山客はまず、この2ヶ所のいずれかで「山頂」に向かう前に「排泄」を済ませればいいのだ。それが、「山」に登る者の「決まり事」である。
 この登山道では以上に加えて、百沢登山道と一緒になる標高1450m地点の「鳳鳴小屋」にも「トイレ」がある。さらに標高1625mの山頂にもあるのだ。合計4ヶ所である。
登山口の標高が460mだから山頂までの比高差1165mの間に、距離にして5kmの間に、時間にして3時間半の中に4ヶ所もあることになる。これは明らかに「異常」である。この「比高差」「距離」「時間」から類推すると、その割合では、恐らく日本で一番、いや世界で一番「トイレ」の数が多い登山道と言えるかも知れない。

 岩手県の早池峰山にはじまり、最近はどこの山でも「山頂」のトイレは問題化している。「早池峰山」ではボランテアが中心になって、山頂にある「トイレ」から「屎尿」のくみ取りをして、それを山麓まで「担ぎおろし」をしている。それでも追いつかないので、というよりは「早池峰山」の自然を守るために「携帯トイレ」の活用を訴え、「携帯トイレ」を持参しない登山者には有料で頒布している。もちろん、それを利用する場所を設定してある。
 岩木山の山頂にある「トイレ」は本来登山者や登山客のものではない。夏場、山頂奥院管理のために2ヶ月ほど山頂石室小屋に寝起きする「岩木山神社職員」が利用するためのものである。だから、大勢の登山客が利用する構造になっていない。「少人数の利用」を念頭に置いて設置されたものだから、排泄された「糞尿」は、そのままの垂れ流しである。
もちろん、MT菌処理(糞尿を化学的に分解してしまう)などを施していない。大げさに言えば「山頂のトイレ」の「糞尿」は大鳴沢に流れ落ちているのである。
 「山巓(さんてん)には神が宿る」と考えるのは、日本をはじめとして世界の多くの人々に共通する観念である。「岩木山」も同じである。いや、岩木山は山容全体がご神体なのである。そして、その象徴が「山巓」であり、「山巓の奥院」なのである。
 よって、「山頂・山巓」は「神の磐座(いわくら)」であり、神の座す聖域なのである。もちろん、そこは常に清められた「清浄な地」でなければいけない所なのである。
 「トイレ」とは「トイレット」の略語であり、和製英語だ。「便所」のことだが、10人中9人までは「便所」と言わず「トイレ」と言う。それは「便所」の「便」に不浄を見るからである。その語を使うことに「後ろめたさを感ずる」からである。
 日本人にとって「便」は不浄なものなのだ。だから、「便所」のことを「ご不浄」ともいい、「用を足して」汚れた手を洗い清めるために「手洗い、またはお手洗い」というのだ。
 そこまで、「不浄」に拘る日本人が、どうして「神の磐座(いわくら)」や「神の座す」清浄な山頂に「不浄」なる「便所」の存在する山頂に違和感を持たないのだろうか。不思議である。
 それから、赤倉登山道、長平登山道、松代登山道方面からは「山頂」に座す四角で灰色の建造物「トイレ」がよく見える。山頂に向かって手を合わせる多くの人は、その「」を山頂で神を祀る「奥院」だと思っているのである。それが「奥院」でなく「トイレ」だと分かった時の落胆ぶりに「トイレ」設置者は思い至ったのであろうか。
 「焼け止り小屋」や「鳳鳴小屋」トイレの「屎尿」はMT菌処理(糞尿を化学的に分解してしまう)を施しているが、秋か春までの寒冷のために100%の分解までには至っていないのが実情である。
「登山口にトイレがあることの掲示板を設置する」こと、「登山口にはかならずトイレを設置する」こと、「山頂のトイレは撤去」または「山頂にはトイレを設置しない」ということ、「携帯トイレの活用」が趨勢ではないだろうか。
 岩木山の「山頂トイレ」は「撤去」を含めての善後策を「自治体」と「岩木山神社」、それに「岩木山を考える会」等が岩木山環境保全協議会の中で検討を始めている。
 今ある「トイレ」も当然、登山客の使用に際しては「都市感覚を捨て」て配慮すべきものだ。都市ではなく、限られた「山」という自然の中のことである。

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