岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真から何が分かるか・それは全層雪崩発生位置の推移である

2008-11-14 05:47:08 | Weblog
(今日の写真は初冬の岩木山だ。毒蛇沢の山麓部から今月の11日に写したものだ。この写真から分かることがある。
 先ず、初冠雪後、消えないで残っている雪が見えるだろう。白い斑模様の部分がそれだ。それを探して欲しい。分かることとはその「白い斑模様の部分」にあるのだ。これは「全層(または底)雪崩」によって表土「火山灰地」を覆っていた根曲がり竹やダケカンバが「剥がされた」場所なのである。)

 「全層雪崩」は厚さ4~5mの雪層が上から下部へとローリングしながら下部にある根曲がり竹などを剥ぎ取りながら流下するものだ。そして、その痕跡として「根曲がり竹やダケカンバ」の剥離帯を形成するのである。
 この「斑模様」は、その剥離帯に降り積もった初冠雪からの「積雪」と剥がれた表土が示す「模様」なのである。
 写真の左側は鳥海山東斜面である。その中央部に大きな剥離帯と積雪を残す剥離帯が2カ所見えるだろう。これも全層雪崩の痕である。これは2002年4月に発生して毒蛇沢に流下した場所で、年々その剥離した部分が崩落を繰り返して広がっているのだ。
 その右下に見える2カ所の剥離帯は1976(昭和51)年、1986(昭和61)年、近いところでは2003(平成15)年4月22日に発生した全層雪崩の痕跡である。
 1976年4月初旬に、発生したものは焼止り小屋を跡形もなく破壊し、デブリは下方600mに達していた。これはかなり大きな全層雪崩で、西に偏りながら流れたものであった。
 それから10年後の1986年1月には種蒔苗代で雪崩のため4名が死亡した。そして、4月には「土石流に近い形態と大規模な雪崩」が、鳥海山の東尾根で発生したのだ。
 2003年の4月は「異常な高温」だった。足許にまだ数mの積雪を置きながらも、タムシバは咲き出し、例年ならば5月中旬でなければ咲き出さないイワナシがすでに咲いていた。
 私はその年の3月15日に「雪崩発生」について指摘し、注意を喚起していた。それが的中したのであった。
 しかも、その発生地点が今まで発生した場所よりも西(弘前から向かって左)にずれ、流路もその下部で大きく西に曲がって毒蛇沢へと落ち込んでいた。これも季節風の吹き出しの弱さの証明になるであろう。
 今回の雪崩跡をはっきりと視認したのは4月15日の午後である。その日は枯木平から二ッ森に登り、そこから北東のピークを辿り、黒森山(標高887m)を経て、ブナの根開きを辿っていた。まだ根開きが出来ていない高さまで来るとまたジグザグで南東に移動するという緩やかな横ばい移動だった。「イワウチワ」を探していたのである。持っていた気温計は22℃まで上がった。雪面は柔らかく、ツボ足だと埋まってかなわない。雪層が締まっていないのである。このような事象を見越してワカンを背負っていたので、道程の三分の一はワカン歩行となった。
「雪層が密でなく締まっていないこと」「微小な雪粒同士の粘着性が欠如」「凍結による固い雪層の成立とその数層構造がなされていないこと」等に因って埋まるのである。これが「その年の異常な積雪状態と気温異常」を指していたのだ。
 雪崩による雪層の剥離跡が視認されたが、それは、「いびつな心形」をしていて末端は毒蛇沢に流れていた。幅は300~400m。長さは7、800m程度である。
 この形態と流れ方が最近の気象的な特徴である「季節風の吹き出しが極端に弱いこと」「雪層が柔らかく締まっていないこと」「雪層に何重かのアイスバーン形成が見られないこと」「総じて暖冬であること」「3月から4月にかけて特に高温が続いていること」…などを示しているのである。
 さらに、雪崩の「剥離跡」には根曲がり竹が密生していた。99年や86年、それに76年のように根曲がり竹が根こそぎ剥離された部分が殆どないのである。
 これは雪層が「土石流のように大規模にローリングしたものではないく、小規模なローリングと単純に密集している根曲がり竹帯を滑り台にして、崩落した後で滑落した」ことを示しているのではないかと私は推測している。
 鳥海山東面尾根でこれまでに発生した雪崩の遠望される「剥離跡」は、76年のものは三角形(デルタ形)、86年のものは楕円に近い長三角形(デルタ形)、03年のものは上部にくびれを持つ「いびつなハート」形であった。

 さて、目を転じて大沢を挟んだ岩木山山頂尾根の下部を見てみよう。かなり広い範囲で「斑模様」が見えるだろう。これもすべて「雪崩痕」である。根曲がり竹だけでなく「ハイマツ帯」にも剥離部分が見えるのだ。この辺りは今年の春にも雪崩が頻発している。この場所からの剥離物は大沢に流下し、大沢の「登山道」を埋めたことは記憶に新しい。
 実はこの大沢左岸上部で雪崩が発生することは少なくとも1999年まではなかったのである。岩木山東面での「全層雪崩発生」は殆どが鳥海山尾根に集中していた。しかも、その周期が大体10年に一度であり、「暖冬」とされる春に限られていたのである。
 この1999年4月の雪崩発生の起点となった雪層の「亀裂」を、私は3月7日に確認していた。行政等が危険と考え「その場所に近づかないこと」を勧告したのは4月18日であり、その二日後に雪崩は起きてしまった。
 この99年4月20日から21日にかけて大沢上部右岸で発生した全層雪崩は、高位置を起点としたため距離では、76年、86年のものを遙かに凌ぐものであった。
 
 ところで、このようにここ数年、岩木山の東面尾根、特に大沢を挟む両尾根に「全層雪崩」が集中して発生しているのだが、その原因・理由は何だろうか。その答えはすでに以上の文中で「触れて」ある。考えてみて欲しい。ヒントは「暖冬」「季節風の吹き出し」である。もう一つ、「雪の吹き溜まり」である。

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