岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤トンボ(アキアカネとナツアカネ)を思う / 日本人はトンボをどのように見てきたか(8)

2008-11-10 05:43:24 | Weblog
(今日の写真はトンボ科アカトンボ亜科の「ナツアカネ(夏茜)」である。大きさは4cm前後だろうか。夏の7月に羽化して、普通は10月下旬ぐらいまでは見ることが出来る。北海道から本州、四国、九州にかけて生息している。この写真は私が写したものではない。私はこのように上手くは写せない。それにしてもいい写真だ。
これはWEB[昆虫エクスプローラ]から借用したものだ。
 「アキアカネ」に似ているが、やや小さい。成熟したオスは顔から尾の先まで、この写真のように「全身が真っ赤」になる。名前の由来も、この色具合からのものであろう。平地や丘陵地の池、それに水田などで普通に見られる。しかし、アキアカネほど多くない。
 このように、「アキアカネ」に良く似た「ナツアカネ」は同じように「2匹がつながったまま」で産卵するが、「ナツアカネ」の場合は、尻尾を水面などに叩きつけることはない。何と、空中で連結した状態で上下動をしながら、「卵」を空中からばら蒔くのだ。
 稲刈り前の、稲穂が実った時期の田んぼに、卵を「空中散布」するのである。

 アキアカネは「水辺の水面」に直接産卵するので、産卵場所に学校のプールなどがなる場合がある。学校のプールは冬の間、水が溜められているので、干上がる心配はない。だが、ヤゴが成長し、あと少しで親になるという時期に、「プール開き」に向けて「プールの整備や清掃」が行われるので、せっかく育っていたヤゴはゴミと一緒に洗い流されてしまうのである。
 この地域のプールを持つ学校では、どのように対処しているのであろうか。それとも、ここ数年は「プールに産卵するアキアカネ」が減ってしまい、「対処する必要」もなくなっているのだろうか。)

 ■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(6)■
      11. 赤とんぼの歌の普遍性(その2)
(承前)

 感動は、この近景と遠景をつなぎ止める接着剤であり、ある種の感動や酩酊、エクスタシーの中で、つまり、個として、観察者としての自分の存在を消した上で(要するに「忘我の境」ということか)、遠景と近景とが一体化し、それが忘れがたい風景として体に刻み込まれる(結晶化する)のだという。津軽では当然、遠景や背景にはかならず「岩木山」がある。「景」としての岩木山は、まさに感動の中心に位置しているのである。

 水田を利用することでもたらされた「アキアカネの普遍性」が、「豊穣のシンボル」である「アキアカネの普遍性」が、実はこの歌を支え、多くの人に共感をもたらしていると考えられるのだ。それは「アキアカネ」を作り出した稲作風景の普遍性といっても良い。

 一方、日本人の根底には「古神道的自然観」がある。「混沌の中から天と地が別れ三柱の神が生まれた」(古事記)のである。その後も「カミ(神」)は次々に生み出され、森羅万象の中にあふれていく。
 「ヒト」と自然の不断の関わりの中から、「カミ」や自然観は形成され、その「カミ」に対する見方や自然観から「ヒトや自然」が見直され、「カミや自然観」も見直されていく。
 そのような「関係の総体としての風景」の中で私たちは生きているということを認識することがまず必要であろう。

 時代を超えて受け継がれてきた日本人における「虫と共感する感性」に注目し、それが芽生えるのは、子どもの頃に自然の中で、虫と遊んでいる時であり、また、その「感性」を得るチャンスは、その時しかないといっていい。
 自己を形成する空間としての「原風景」は重要である。日本人にとって、その「原風景」の主役は「トンボ」であり、「トンボ」を通じて「虫と共感する感性」が育まれてきたと言っても言いすぎではないだろう。

 子供時代を「トンボ」と過ごした大人達にとっても、日々の暮らしの一喜一憂の中に「トンボ」は近景として、また遠景として飛びかっていた。
 「虫と共感する感性」は虫を美しいと思う感性でもある。子供時代に培われた感性は、山の麓を背景に羽をひらめかせながら飛び交う「トンボ」を美しいと見たはずであり、安らぎを感じたはずである。
 そして、人は束の間アニミズムの世界に浸り、ささやかなカミを感じたに違いない。
 秋になれば決まって「アカトンボ(アキアカネ)」が飛び交う。その不変の風景こそ、安心感をもたらすものであろう。
 取り立てて珍しい風景ではなく、見慣れた何気ない日常的な風景こそ、いつか人が回帰してゆく風景であり、心の支えとなりうる。
 それは、国家体制がどのように変わろうとも、不変の風景である。大正期に作られた「赤とんぼ」の歌のもつ意味は、このような構図の中ではじめて理解される。

 このようなトンボの見方はひとり日本人だけのものであろうか。田を作り稲を育てる農民の視線の先をたどると、そこには「トンボ」がいるという構図は海を隔てても同じはずである。
 それゆえに、少なくとも「稲作農民の心意」において、「トンボ」は国を超えて時代を超えて、よく似た役割を果たしていたのではないだろうか。
 朝鮮半島における方言や比較的新しい文学資料などからは、「トンボ」に対して日本とかなり共通した親近感がうかがえるそうだ。
 中国でも、それは同様であり、こと「トンボ捕り」などの遊び方から見ると日本、中国大陸そして台湾と子供達の「トンボ」に対する受止め方に共通点は非常に多いのだそうだ。(明日に続く。)

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