岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤トンボ(アキアカネ)を思う / 日本人はトンボをどのように見てきたか(7)

2008-11-09 05:47:28 | Weblog
 (今日の写真もアキアカネの産卵風景である。刈り取りが終わった稲田の水溜まりにせっせと卵を産み落としている。この場所も、晴天の日が続き、用水堰が閉じられてしまうと、やがて「干上がって」しまうのである。そして、寒い冬、積雪に閉じられてしまうのである。
 水中に産み落とされた「卵」は、水が枯れてどうなってしまうのだろう。死滅してしまうのだろうか。それだと、あまりにも悲しい。
 私は、この「アキアカネの行為と結末」が不思議でならないのだ。そこで今日は「アキアカネの産卵」について先ず書きたいと思うのだ。
 なお、今日の写真は、Web小諸日記2007年10月31日「アキアカネの産卵」から借用したものである。)

         ●●アキアカネの産卵とその不思議●●

 オスは交尾相手のメスを探し、メスを見つけると「尾つながり」となって飛びながら産卵場所を探す。その場所を探しながら交尾をすませ、適当な産卵場所にたどり着くと、オスとメスがつながったまま産卵を始める。
 「アキアカネ」が好む産卵場所は、「泥がむき出しになったごく浅い水辺」であることが多い。
 雨の後のグランドや舗装していない道にできた小さな水溜まり、池の水際、稲刈り後の田んぼで水が溜まった窪みなどが産卵場所となる。これが私にあの「産み落とされた卵は水が干涸らびた後どうなるのだろうという不思議」を与えたのだ。
 連結した「オスとメス」はリズムを取りながら上下動を繰り返し、「メス」は尻尾の先を「水面や泥」に叩きつける。こうして、卵を産みつけるのだ。
 卵を産み終えた「アキアカネ」はやがて力つきて死んでしまう。例年ならば11月半ばにはまったくその姿を見せなくなるのだが、今年は何だかそれよりもずっと早い時季に、見えなくなったような気がする。
 卵を産み落とすことが出来たアキアカネは幸運なものだ。「産卵を終え」て死んでいく前に、野鳥、カマキリ、蜘蛛などに捕食されたり、自動車などの「動体」と衝突するという「人為的」な事故で死んでしまうものは非常に多いのである。

 秋に産みつけられた「卵」は、そのまま越冬し、春になると「卵」から「ヤゴ」がかえる。しかし、晴天が続くと直ぐに干上がってしまうグランドや道に出来た水溜まりに「産みつけられた」卵は、そこが春になって水が溜まらないような場所であると、死んでしまうのである。
 だが、「卵」は乾燥に強いため、田んぼのように冬のあいだは干上がってしまっても、春になると水が入り、初夏まで水が蓄えられている場所では、ヤゴが育つことが出来るのである。
 「卵」からかえったヤゴはミジンコなどの微少な生物を、大きくなるとボーフラやユスリカの幼虫などを捕まえて食べて育つと言われている。2ヶ月ほどで大きくなり、朝早く、水中から出てきて草などにつかまって脱皮をするのだ。

■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(5)■
(承前)
         11. 赤とんぼの歌の普遍性

「風景としての赤とんぼ」 

 夕焼小焼の、赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か

 山の畑の、桑(くわ)の実を 小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか

 十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き お里のたよりも、絶えはてた

 夕焼小焼の、赤とんぼ とまっているよ、竿(さお)の先

 以上が三木露風作詞、山田耕筰作曲の童謡「赤とんぼ」の歌詞である。これを少し分析してみたい。

 「赤とんぼ」は「祖先の霊の化身」だと信じられている。「夕やけ」が醸し出すさびしい気持ち、西方浄土があるといわれる夕焼けの「西の空」などと関連づけて考えると、これだけで私たち日本人は、茫々としたはてしない気分にひきこまれていってしまい、さらに「負われて見たのは/いつの日か」と幼児時代の「いつの日か」わからないところにまで、気持ちが引き戻されてしまうのではないだろうか。
 「まぼろしか」と歌うことで、「かけがえのないはずの思い出さえも、真実であったか幻想であったかわからないものになる」のであろう。
 十五(歳)で姐やが嫁にやらされる封建制を指摘しながら、結局その目が「赤とんぼ」に戻ってしまうのは、自然を生命あるものと信じる日本人の伝統的な自然観によるものだろう。
 この独特な「自然観」闘うべき時にも闘わず諦めてしまう日本文化の典型だとする人もいるのだそうだ。

 あるアンケートで「赤とんぼ」の歌のどういう点が日本人を惹きつけると思うかと質問をしたそうだ。
 大半の人がこの歌の魅力として「風景(光景、情景も含む)を思い描くことが出来ること」だと答えたそうである。
 その風景とは懐かしく感じる過去(少年時代)のもの、すなわち故郷の風景といえるものであるようだ。
 それはまさに「原風景」に他ならない。原風景を懐かしく思い出させ、人々にゆったりとした安らぎをこの歌は与えるのである。しかも、「故郷を持たない都会人」にも故郷のイメージを思い描かせる力がこの歌にはあるらしい。

 「虫と共感する感性」が芽生えるのは、子どもの頃に自然の中で虫と遊んでいる時であり、また、その感性を得るチャンスは、その時しかないかも知れない。
 その感性とはおそらく脳の無意識に機能している部分を中心に形成されるのであり、そして、当然その「感性」は虫に対するものに限られるわけではなく、様々な経験的な要素が折り重なって、いわば「原風景」という感性の核のようなものになるのではないだろうか。

 「原風景」には欠かせない3つの要素がある。それは「遠景」と「近景」、そして「感動」である。
 「近景」とは生活の場の周囲に生起する「生きものと自然」のドラマである。子供の遊び、木立、小川、草原、トンボ、セミなどなどである。
 「遠景」とは空、朝夕の茜色に染まった空。特有の色をした海、波、夜の闇、深緑の森。青くかすむ連山。遠景ないしは「背景」である。「遠景」の向こうにはあの世が、天国があるのだろう。(明日に続く。)

最新の画像もっと見る