岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

危険を感知できない生物…「人間」・森林、それはミニ地球である…(4)

2007-08-10 05:13:22 | Weblog
(承前)☆森林、それはミニ地球である…(4)

 環境倫理学の視点 

エネルギー、人口増加、食糧という人の生存と文化の在りように深く関わる大きな問題が、すべて地球環境を中心にして、互いに関係し合っていることは、どなたも「ご存知」のことだろう。
 環境倫理学はこのことを踏まえて、次の三つの主張を掲げている。
1) 自然の生存権の問題-人間、生物の種、生態系、景観(歴史的なものも含める)などにも生存と存続の権利があり、現在世代の意思によって勝手に、それらを否定(破壊や改造)はできない。
2) 世代間倫理の問題-現在世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある。
3) 地球全体主義-地球の生態系は地球だけで完結していて、太陽以外の他の宇宙からの働きかけをまったく受けない閉じた世界である。
 この三つの主張に基づいて、現代を含めたこれまでの価値(正義・権利・平等・自由など)の基本的な考え方や歴史(進歩主義・保守主義など)の基礎概念をとらえると、多くの点で疑問視されることがある。
 たとえば、現代は「権利」を生存している人間のみにあるとするが、環境倫理学の視点では「未来世代」にもあるとする。
 また、保守主義ですら、これまでの「現状維持を目的とし、伝統、歴史、慣習、社会組織を固守する主義。新しいものをきらい、旧態を守ろうとする考え方」から「現状維持を犠牲にすることと、まだ見えないより新しい未来への視点」を持たざるをえなくなるのである。
 そして、この三つの主張を推進するためには、当然、「生態学」が歴史や経済、価値の世界にまで深く関わることになる。
 また、一方では、未来の文化が「環境倫理学」に強く映しだされるはずである。
 そして、この環境倫理学は、もっとも身近な今と未来世代を持つ親世代(大人)が、子供たちに、自分の希望を生かして平和に暮らしていける未来を保証しなければいけないことを示唆(しさ)する。
 さらに、子供に将来を選択させるならば、その選択肢が「可能になる」という行動を今既にしていなければいけないことを要求するであろう。

 環境倫理学のことをEenvironmental Ethics(エンヴァイロンメンタル エシックス)という。この主題を要約すると、次のようになるだろう。
① 現在世代だけが安逸に暮らせばいいというのではない。未来世代の生存条件を保証すること。
② 世代間関係を重視し、未来の人間の生存権を確実に保証すること。
 この二項は「自然はいくらでも自由に利用していいとする人間」に「待った」をかけるものであり、さらに、現在の人間だけが生きる権利を持っているのではないことを教えている。
 まもなく、人類の長い歴史の中では1%にもならない短い年数の「近代と現在世代」が化石燃料を使い切ってしまうと言われている。そうなれば、私たちが未来世代にガソリンや灯油を使う権利を与えないことになってしまうのである。

 環境倫理学が求めることを津軽地方の事例で言い換えると、それは「津軽の人たちが、岩木山を自分の原風景として保ち続けようとすること」であるだろう。また、「森を伐らないで、これまでの岩木山のままであってほしいと願うこと」であるに違いない。このことは、「ただ在ることを求めるというひっそりした実につつましい行動に過ぎない」のだが、行政や企業はそれすら許さない。
 私には故郷(原風景の中)にずっと居続けている行政や企業たちが、この故郷を、故郷の山を壊していくことがとても許せない。
 それは、この上ない自己認識の欠如であるし、自分を含む故郷全体に寄りかかりながらの甘えた自助努力のない未来世代を食い潰す悪業のように思えるのである。
 それゆえに、「ただ在ることを求めること」こそが未来世代と現在世代の共存を可能にすることの原点だと思うのである。
 「昔からのそのままを残すこと」は、この場合は保守主義ではなく、「未来を見つめた進歩主義」であり、未来世代への優しい保証であると断言したい。

 未来への優しい保証とは、木を伐らないで残すことだけではない。この土地・地域に連綿と続いてきた山岳信仰登山も民間的な伝承信仰も文化である。文化は、残され伝承されることで伝統的なものとなる。これを、「先人たちの残してくれた貴重な財産」と言い換えることも出来よう。
 歴史とは「今」を介在させながら、今を未来につないでいくことでもある。先人たちは確実にこれを実践していた。先人たちは、今、つまり現在につながらない未来や将来など絶対にありえないことを知っていた。だから、今を自然とともに必死で生きた。そうして、つないできた。
 そのことを、我々は伝統と呼ぶ。多くの現代人は忘れがちだが、この生きざまは当然、現代の我々にも課せられているのである。道はその伝統に似ている。それを必要としなかったり、守らないでいるとなくなってしまうものだ。                                       (この稿は続く。)

 「NHKギャラリー」で7月31日から開催されていた「岩木山の花々」写真展・「花と随想」のコラボレーションは、今日の17時で終了である。何と昨日までに3回もやって来た人がいることなど、アンケートのことを含めた報告は、明日以降順次掲載する予定である。

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