岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

陸奥小桜(ミチノクコザクラ)に思う

2008-05-25 09:23:16 | Weblog
(今日の写真は5月23日に赤倉登山道風衝地で撮ったミチノクコザクラだ。ここのものは岩木山で一番茎丈が短いといってもいい。また一番早く咲き出すと言っていい。例年(普通の年)は5月上旬に咲き出すのだが今年は20日以上遅い開花となった。)

 ミチノクコザクラというと「岩木山の特産種」である。言い古された形容と喩えでは「安寿姫の簪(かんざし)」と呼ばれ、その微妙な情趣を余すところなく表現していて、名付けた先人の感性の素晴らしさには感服するばかりだ。
 だが、ミチノクコザクラの生活を直接数年間続けて観察していると「特産種」とか「安寿姫の簪」いう一括(ひとくく)りで片づけることが出来ないように思えてくるのである。 それはミチノクコザクラに対して、私が特別強い「思い入れ」をしている訳だからではない。
 ミチノクコザクラは「雪消え」にあわせて花を開く。だから、場所を違えて雪渓や雪田の雪消えを追いながら観察してみると、その年の五月上旬から八月の半ばまで、約三ヶ月半岩木山の何処かでミチノクコザクラは咲いているのだ。ガイドブックなどではミチノクコザクラの開花期を六月中旬としているが、厳密な意味では間違いだろう。
 標高千五百メートルの場所で五月上旬に咲くものでも、岩場に咲くもの、雪田脇の水場に咲くもの、コメバツガザクラの咲く下部に咲いているものでは、その背丈はみんな違う。 花が葉にくっつくように短いものは風衝地に多く見られるし、花の色、葉の付き方などもみな違っている。
 真夏の七月中旬、西法寺森下部の残雪の傍に咲くものは、稲科の草と競って伸び、茎丈を長くし、風に靡いて「花」の波を見せてくれる。そして、その中には数本のまるで「ツマトリソウ」のように白の花びらに淡い桃色の縁取りをしたものがあったりする。
 八月上旬、南の空には、むくむくと鉄床雲(かなとこぐも)が湧き上がり盛夏を装う。だが、山頂直下にある沢の源頭部では既に秋の気配だ。アキアカネが岩肌に止まり、体を温めて里に降りるためのエネルギーを蓄えている。
 その傍には秋の花、シラネニンジンが花を咲かせている。そして、雪渓の雪が溶けて間もない沢の傾斜には、ウコンウツギの黄色い花、ナガバツガザクラの白い花、エゾノツガザクラの淡いピンクの花に混じってミチノクコザクラが咲いている。
 この、標高千五百メートルの世界は、八月上旬から中旬という短期間に一気に「春、夏、秋」という季節に彩られる。だから、これらの花も一気に三つの季節を生きるのである。
 同じ場所、同じ短い時を共有しても、そこには「受粉」のためのムシの奪い合いはない。光合成に必要な「日射し」の奪い合いもない。彼女たちは必死になって生きるけれども、互いに、競ったり争ったりはしないのである。
 彼女たちは、「それぞれの自分」をとにかく、ひたすら生きる。そして、全体として共存している。これは、みんなお互いの違いを認めていることだ。違いが認められているからこそ、それぞれが「個性的」でいられるのである。
 私たち人間も学びたいものだ。ミチノクコザクラには百の顔、いや咲いている分だけの顔がある。
        (森山入山禁止に関することは明日以降に掲載する)

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