岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

20年近く履いてきた靴の終焉(その1) / 水無沢両尾根登降山行 (14)

2010-04-25 04:51:55 | Weblog
 (今日の写真は、私が履いている厳冬期の登山靴だ。正しくは右側のものが履いている靴で、左のものはこれから履こうとする新品の靴、ドイツ「Meindl」社製のハイエンド高所靴「マッターホーン EX GTX」である。どちらも、「皮革製」の「高所登山用」の靴で、ドイツのメーカーのものである。
 右側は「HanWag」というメーカー製のものだ。これは1988年に「パミール」の7500m峰に出かけた翌年か翌々年に購入したものである。非常に高額の靴だった。これ1足で「軽登山靴」が4足ぐらいは買えたはずである。
 かれこれ、20年近く「履いて」来たことになる。だが、これもその使命を果たし終えた。靴底の摩耗と損傷ならば、張り替えて使い続けることが可能だが、皮革の部分と靴底部分と成体型をなしている「合成ゴム素材」か、または「プラスチック素材」の部位に細かい割れ目が多数出来て、いつパラパラと剥離するか分からないほどになっているのである。
 加えて、皮革部分もあちこちで「裂け」と「破れ」部分が目立ってきたのである。前位置には余り、その「破れや裂け」は目立たないが、後部には至る所に小さなそれらがあり、大きく裂けた部位には「テープ」を貼って補強しているほどなのである。青い部分がそれだ。
 これは、厳冬期の靴だ。この時期に履く靴は「防寒」という点では「完全無欠」であることが常に要求されるものだ。この状態では、もはや、厳冬期には履くことは出来ない。
 それにしても重い靴である。片足で大体1200gもある。老体にこの重い靴は堪える。それに比べると新しい「マッターホーン EX GTX」は900gないのである。老人にとっては有り難いことだ。)

◇◇20年近く履いてきた靴の終焉(その1) ◇◇ 

 この「HanWag」社というメーカー製のものは、厳冬期(積雪期)専用の靴である。だから、ビブラム底は殆ど摩耗していない。私は靴を、これを含めてある時期には5足持っていた。
 その1つが「パミール7500m峰」に出かけた時に履いた「プラスチック素材」の高所靴である。これは、インナーブーツと外側のプラスチックブーツがセパレートになっているタイプで、テントの中では皮革製の「インナーブーツ」のままで過ごせるという利点があったし、外側の靴は頑丈で「アイゼン」の装着も難なく出来るというものであり、非常に「履きやすかった」が、上に「超」が付くくらいに「重かった」のである。
 その上、「岩木山の厳冬期」に履くには少々「重装備すぎ」たし、何時、アウターのプラスチック靴が経年変化で「バリッ」と割れてしまうかも知れないという懸念があったので、それ以降は履くことはなかった。これは、予想が的中して、十数年前に「バリッ、パリッ」と割れてしまい、今はない。
 もう1足は「HanWag」社製の「厳冬期」を挟む前後の時季に履いていた皮革製の靴だ。これは、「厳冬期を挟む前後」に履いていたものだが、7000mを越える高所登山には使えないが、十分「厳冬期」に履くことの出来るものだった。そして、私が履いている「HanWag」社製の靴よりもうんと軽量であった。
 この靴は現在「相棒」さんが履いているのだ。何という偶然か、「相棒」さんと私とは「足」の大きさが同じなのだ。その上、「形状」までが類似していて、「扁平」さに欠けている。だから、日本人の足形に馴染まないと言われている「ヨーロッパ」製の靴に馴染むのである。これは、初冬と残雪期に履いていたのである。
 無雪期、つまり、夏場は山行回数が多い。靴底や皮革部分の損傷や摩耗が激しいので、同じ靴を2足持っていて、それを交互に履き替えて使っている。今もこの使い方は同じだ。
 その頃は「Meindl(マインドル)」社製の「マカルー」という皮革製の靴だった。2年か3年に1回は「摩耗したビブラム底」を張り替えていたものである。この1足も、現在は「相棒」さんが履いている。昨年、「ビブラム底」を張り替えて、「新品同様になった」と喜んでいた。
 この「マカルー」は構造上、スキーもはけるし、「ワンタッチアイゼン」も装着が可能である。だから、「夏山」での雪渓登りにも対応出来るのである。
 昨年、岩木山の大沢雪渓を、「相棒」さんと登った時には、2人とも、この「マカルー」を履いていたのである。(明日に続く)

◇◇ 水無沢両尾根登降山行…(14) ◇◇
(承前)

 …Kさんが言う「足を踏み出すとビシッと停まる」という「アイゼン」の機能を味わう場面は間もなくなくなった。
 積雪が少なくて、例年並みならば「出ていないはず」の狭い岩稜が、その大半を「累々」と見せているのだ。しかも、その岩の放射熱で、岩周辺は雪解けが進み、大きく「穴」を開けて、私たちが落ち込むことを待っているかのようだった。
 「アイゼン」の爪が摩耗する心配もあったが、何よりも「岩稜の上」をアイゼンで歩くことは困難である。だが、歩けないわけではない。
 私が行った高所登山では、「アイゼン」を着けたまで「岩の上」を歩いたし、「出っ歯の2本爪」を断崖絶壁の岩の小さな出っ張りにかけながら横に数10mも移動したこともある。だが、このようなことは「しないで済ませる」ことに越したことはない。
 2人は「アイゼン」を外して、「ワカン」に履き替えた。そして、Kさんは昨日の写真のようにザックに付けて背負ったのである。
 「一難去ってまた一難」とはまさにこのことを言うのであろう。この細い岩稜帯は下端でほぼ50度近くの急勾配をなしているのだ。積雪が多ければ、それによって覆われていて、滑落さえ防ぐことが出来れば「下降」は可能な場所である。だが、雪が少ない。その少ない雪も「腐って」いて、ブスブスと崩落する。
 まかり間違うと、その腐った雪と一緒に私たちが崩落していきそうなのである。(明日に続く)

最新の画像もっと見る