岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ゼンテイカとセンダイハギに想う / 岩木山や津軽の自然を愛してやまないある会員からのメール(1)

2010-06-13 05:17:03 | Weblog
(今日の写真は、岩木山に咲く花ではない。先日、つがる市の「ベンセ湿原」に行ってきた。これはその時に撮ったマメ科センダイハギ属の多年草「センダイハギ(先代萩)」である。)

◇◇ ゼンテイカとセンダイハギに想う ◇◇

咲き出したという情報に誘われてユリ科ワスレグサ属の多年草「ゼンテイカ(禅庭花)」を鑑賞しに行ったのである。花名の由来だが「中禅寺湖の庭に咲く花」との説もあるらしい。
 この花は、日光付近に多いことから、登山者が「ニッコウキスゲ」と呼び始めたことで、「花名」が変わってしまって、「ニッコウキスゲ(日光黄菅)」という呼び名が幅を利かせている。「キスゲ」とは花が黄色で、葉を菅「スゲ(カヤツリグサ科)」に見立てたことによる。
 この「ゼンテイカ」は山地から亜高山帯の草原や海岸、湿地に多く自生しているのだが、岩木山には生えていない。
 花は午前中に開いて夕方に閉じる1日花であるが、次々と咲くので、花期が長いように見える。学名には「1日の美しさ」という意味が入っていて、「花が1日でしぼむこと」に由来している。
「ニッコウキスゲ」は「亜高山帯の草原や湿地に多く自生」するのだから、岩木山に自生していてもいいはずなのだが、何故かしら「生えて」いないのだ。
 私は、この不思議を解き明かしたくて、ずいぶんと、しかも必死になって「探して」いるが未だに会えない。だから、最近は「湿原がないからだ」とやけ気味な解答を自分に与えて、どこかで諦めている。
 今日の写真のマメ科センダイハギ属の多年草(宿根草)「センダイハギ(先代萩)」は海岸に生えるので、岩木山に生育していなくても、諦めがつくのだ。
 「センダイハギ」は北海道や本州の海岸の砂浜や原野に自生し、茎の高さが40から80㎝ほどになる。一面に群生することもあるそうだが、「ベンセ湿原」のものは疎らである。
 茎の先端に遠くからでも、目立つ鮮やかな黄色の「蝶形花」をつける。花後に長さ10㎝ほどのさやの実をつける。マメ科の花らしく暑さや寒さに強く、非常に強い植物である。
 和名の由来は、仙台を舞台にした歌舞伎の「伽羅先代萩」(「伽羅」と書いてなぜか「めいぼく」と読ませる)に因るとされているが、実際は海岸の砂浜で船を修理する時に船を陸揚げして載せた台(船台)の周囲に咲いている「萩」ということによるものだろう。)

◇◇ 岩木山や津軽の自然を愛してやまないある会員からのメール(1) ◇◇

 「先日ある会員から私宛のメールを貰った。私信なので差出人のプライベートが侵害されない範囲で使用されている語句の訂正や削除をしたものを掲載したいと思う。
 それは、読んでみて、私なりにこれでこそ岩木山を考える会の会員であると思えたからである。ここに述べられている思いを出来るだけ多くの人たちと共有したいとの願いを込めて、紹介したい。なお、登場する固有名詞は出来るだけ割愛した。」

 …みんなでみんなで頑張らないと、すべての分野で津軽平野は、弘前は、ますます県都の影に薄れていくような気がします。
 いまや文学、演劇、美術の世界、そして大きなコンサートなどでもそのように感じられます。孫やその子らの世代たちに申し訳がない気持ちです。彼らは最初から生きる活力を持てないかもしれません。青森りんご、青森ねぶた、青森米、青森市の日本一津軽三味線、青森市の津軽弁、です。
 津軽りんご、弘前りんご、津軽米の言葉は消えてしまいました。県外の人は、「ねぷた」を誰も知りません。だから、例えば浪岡は県都に目を向けました。とても苦痛でした。

 すべての土台である郷土の自然、まずはそれを守り持続することが大切なのでしょうね。「岩木山を考える会」はそのことを教えてくれます。私は門外漢なのでよくわかりませんが、みんなみんなで頑張らないと。
 みんな一緒になって頑張らないと、いろんな点で古都はすさんでいくような気がします。私のように何も行動できず、ただ憂いているだけの者が一番みっともないのですが。

 豊かな自然があってこそ、人は自然から学び、癒してもらい、そこに農業があり祭りごとがあり、そして商売があり、いつも自然の中にありながら人々の豊かな交わりがあって、そこから文学や芸術が生まれるのかもしれませんね。
 それだけに、岩木山を考える会には深く深く敬意を抱いております。会報やブログを拝見するたびに、会の活動にただただ敬意を覚えます。また、花の識別や地形・植生の洞察などとても勉強になります。(明日に続く)

最新の画像もっと見る