岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

相棒との寄生火山めぐり…に思うこと(4) / コンピュータ、ダウンする…(3)

2010-01-10 05:02:37 | Weblog
 (今日の写真は、「踏み跡」だ。だが、「人」のものではない。雪が降り続いた日の翌日に、よくこの種の「踏み跡」に出会う。ただし、写し方によって「大きさ」と「深さ」が分からない。何か比較するものが傍にあるとそれらが分かるのだが、残念だ。これは「人」が歩いた「跡」ですよ、と言うと、そうだと思う人も多いはずだ。
 一見すると「人」のワカンか靴跡のように見えるが、そうではない。「人」のものでないとすれば、それは「獣」である。
 大体、大雪といわれるような気象条件の下では「獣」はひっそりと巣穴で「天気の回復」を待っている。そのような時に、巣穴を飛び出して「動き回る」ことはただただ「体力」の消耗、徒労に終わることを知っているからである。
 そのような時でも、むやみに動き回るのは「人」だけである。「人」だけだが、それも上に、「バカ」とか「あほ」という語が付く「人」だけである。たとえば、「腰まで埋まりながらラッセルを続ける者(?)」などがその類いだ。
 だから、そのような悪天の中では、滅多に「獣」の影を見ることはないし、「足跡」に出くわすこともない。獣の中では一番多い「ノウサギ」にすら会えない。
 だが、その悪天や荒天が去り、新雪の深く積もった朝には「獣」たちは一斉に動き出す。「ノウサギ」はもともと、夜行性なので天気がよければ夜中にも行動する。タヌキやアナグマ、キツネなども夜に行動することが多い。いずれも、「いい天気」の夜から朝方である。ただ、カモシカは日中に行動する。
 この「踏み跡(足跡)」は数種類の動物が「複数」で歩いた跡である。人もそうであるように、獣も「体力消耗」を避けるために「ラッセル泥棒」をするのである。外の仲間や他の獣がつけた踏み跡を借りて移動するのである。この写真はそのようなことを合わせて教えてくれるものであった…。)

◇◇ 相棒との寄生火山めぐり…に思うこと(4) ◇◇
(承前)

 …そこまで「酷い」沢跨ぎではないが、毒蛇沢までに渡った沢は2つある。雪庇らしからぬ「吹き溜まり」がそれぞれあって、右岸を乗り越える時は、トップの相棒は「股下」まで埋まっていた。その後ろを「喘ぎ」ながらついて行くのが私である。
 膝上を越えて股下まで埋まるようになると、それが「下から上へ」という「縦行動」だろうが「東から西へ」という「横歩き」だろうが、アルバイト量は変わらなくなる。どちらも、辛い。相棒が先に立ってかなり登った。そして、言った。「下から上へという登りは終わった。あとは横歩きだけ」と。
 私の体は「昨年の雪消え時の横歩き」の感覚を知っていた。それに比べると、この縦歩きも横歩きも比べものにならないほど、「無謀で、その上厳しい」ものであった。
 ようやく、前方が大きく開いた。毒蛇沢の左岸の縁に出たのだ。林から出て大きく開いた場所に出ると、同時に「明るくなった」という表現がされるものだが、それが出来ない。
 広々としてはいるが、やはり、「暗い」のだ。なぜならば、空は「黒い」雪雲に覆われ、激しく雪が降り続いていたからである。
 小森山の集落脇に自動車を置いて出発してから、「雪」は止むことを知らない。ひたすら、降り続いている。
 広い毒蛇沢の河畔に降りる。直ぐ下部には大きな堰堤があった。広いので、沢本流はほぼ真ん中を「細い流れ」となって下っていた。その流れに落ちないように慎重に「徒渉」して、「堰堤工事用の道路」と思しきところに出た。時はすでに11時を回っていた。(明日に続く)  

◇◇ コンピュータ、ダウンする…(3) ◇◇
(承前)

 …壊れた私の「電源」が入っていた「化粧箱」のような「箱」には、いかにも、誇らしげに「日本製コンデンサー使用」という文句が数カ所に印刷されていた。
 日本製コンデンサーは性能がいいらしいのだ。だが、1年少しで劣化してしまうのだから、「眉唾」ものではないのか。多数の中には不良品の1つや2つはあるさ、悪いものに当たった奴は「運が悪かった」で片付けられては、たまったものではない。
 また「箱」には「分解してはならない」とか「分解したら保証の対象にはならない」とかいう表記もある。これでは、「個人的に修理はするな」ということだろう。せめて、「電源」ぐらいは、自分で修理したいのだが、それも出来ない。
 この「不良となってしまった電源」だが、保証期間は切れている。だが、まだまだ「修理して」使いたいのだ。
 私は「不意」のコンピュータのダウンのために、「予備の自作機」を用意してある。こちらの方は今一、パワーに信頼性がない。少なくとも、700Wはカバーをしたい。現在入れてあるものは「ピーク」で550Wだ。
 修理に出しても往復の運送料はこちら持ち、当然、修理代も取られる。修理代というのが、これまた、摩訶不思議なのだ。
 先ず、「部品代」という項目がある。点検代というものや調査料という名称もある。部品を交換すると「交換料」が取られ、手数料が取られる。それら全合計に消費税がかかるという仕組みになっている。だから、自ずから「修理代」は高額になる。よって、だれも「修理」に出さず、「新品」を購入することになる。
 これが、アメリカ式「消費文化」なのであろう。そこには、「リサイクル」や「リユース」を大切にするという思想は存在しない。
 ユーザーに、修理する力があるのに、それをさせないで「金」を巻き上げる算段だとしかいいようがないではないか。これが、消費文化、すなわち、「大量生産と大量消費」という経済の仕組みである。

 気を取り直して、書いているが今のところ、トラブルもなく快適だ。だが、いつ何が起きるか分からないし、何かが起きてもすべて、登山と同じように「事故責任と自助努力」で乗り切ることが求められているのが「自作コンピュータ」のユーザーなのである。

 最近、私の「山の相棒」はコンピュータの自作マニアとなった。こちらでも、彼は、「相棒」の地位を確実なものにしつつある。昨年の末に「自作1号機」を完成させて、現在快適に使いこなしているのである。(この稿は今日で終わる)

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