
1月13日(月)妻と二人で愛車プリウスに乗って群馬県高崎市の「少林山達磨寺」へ行って来ました。
観音山丘陵の端に位置する少林山達磨寺は黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗のお寺です。
この寺は達磨大師の教えを受け継ぐ縁起だるま発祥の寺として有名です。
高崎市は達磨の生産量日本一、全国のだるまの約80%を占めるとされています。

「総門」は平成9年10月に開創300年を記念して建立された門で、本山である黄檗山万福寺の総門と同じ様式で造られたそうです。
中央の屋根を高くし、左右を低くしたこの形式は中国の様式で牌楼式[はいろうしき]といい、漢門(からもん)とも言われます。

「総門」から大石段を見上げた時、内心「もう帰ろうか・・・」と思いましたが、長く急勾配の石段をやっとのことで上りきると、頭上には「招福の鐘」がありました。
「招福の鐘」は、心静かに2回つきます。
一回目は、自分の心が安らかでありますように、二回目は、みんなが幸せでありますようにと、祈りながらつくそうです。

「招福の鐘」の左手の「瑞雲閣」では各種ご祈祷の受付、達磨の販売等があり、大勢の人で賑わっていました。

「瑞雲閣」から振り返って山側に見えるのが、「観音堂」です。
当山最古の建物で、創建当時の姿を今に伝える茅葺きのお堂です。
このお堂は十一面観世音菩薩を祀っており、厄除け、縁結び、安産、子育てのご利益があるとして信仰されています。

「観音堂」から見た「瑞雲閣」です。
禅の教えを広め、精神文化の向上と発展に寄与するため、昭和50年に建設されました。
2階には坐禅室があり毎日早朝坐禅会が行われ、また結婚式や茶会など儀式や各種行事も行う事ができるそうです。

「観音堂」から更に階段を上ると「本堂(霊符堂)」で、お寺なのに神社の雰囲気もある建築様式です。
ここでは方位除けを始め、家内安全、商売繁盛、開運吉祥、受験合格等の祈祷法要を行なっています。

本堂の両側には御覧の通り、沢山の達磨が納められています。

本堂の隣にあるのが「達磨堂」です。
大阪府吹田市の方が沢山の達磨を寄贈されたのがきっかけで昭和61年に建てられたそうで、日本国中の達磨が所狭しと並んでいます。

「達磨堂」から少し下ったところに古い民家がありました。
ドイツ近代の世界的建築家、ブルーノ・タウトは、ナチスドイツの台頭を避け、エリカ夫人と共に国外へ脱出し、昭和8年(1933年)に来日しました。
当初敦賀に滞在した後、日本国内を転々としていましたが、昭和9年(1934年)からこの「洗心亭」で夫人と2年3か月間過ごし、日本文化をあらゆる面から研究し、著名な「日本文化私観」「日本美の再発見」などの著書の多くがここで執筆されたそうです。
余談ですが、この「洗心亭」は助監督時代の黒澤明が脚本化した「達磨寺のドイツ人」の舞台でもあるそうです。

達磨寺の最後は「招福の鐘」の右手にある「大講堂」です。
青少年の修養の場として昭和2年に完成した禅の道場です。
達磨大師を本尊にお祀りし、禅を通じて人格教育を行ない、禅の生活を体験する研修の場として利用されているそうです。

以上で少林寺達磨寺参詣を終えた私は、妻が兎の如く大石段を下りていくのを尻目に、亀の如く恐る恐ると下りていきました。
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