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10月9日(木)妻と二人で愛車プリウスに乗って、ふじみ野市・志木市・新座市の「埼玉モダンたてもの」を見て歩きました。
(写真は新座市にある「睡足軒」の室内です。)
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川越から国道254号バイパスを通って、最初に行ったのが、ふじみ野市の「福岡河岸記念館」です。
川越を起点とし、東京都北区の岩淵水門先で隅田川に合流する新河岸川。
江戸時代から昭和初期まで、江戸と農村を結ぶ舟運の中継地として賑わいました。
川越からは米・麦など農産物を運び、帰りは農村へ肥料などを運びました。
往時の様子を伝える貴重な文化遺産である舟問屋「福田屋」を「福岡河岸記念館」として公開しています。
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「福田屋」は、天保2年(1831)に福岡河岸の問屋株を借りて回漕業を始めました。
明治20年代には、回漕業の最盛期をむかえ、荒物・醤油の小売商も始めました。
明治28年に川越鉄道が開通するといち早く鉄道輸送も取り入れ、商売を広げていきました。
福田屋には、明治時代中ごろに十数棟の建物が築かれていました。
そのうち帳場が置かれた主屋と台所棟、文庫蔵、離れが現存しています。
県内でもめずらしい明治期の船問屋の様子を伝える貴重な文化遺産となっています。
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東武東上線の踏切を渡って、川越街道に入ると大井小学校の隣に見えて来た木造洋館風の建物が「旧大井町役場」です。
この建物は、昭和12年に大井村役場庁舎として建てられました。
寄棟形式の2階木造建築で、玄関ポーチの上部にはベランダが廻され、現在はトタンスレート葺きの屋根も建設当初はスパニッシュ瓦が葺かれており、一階は事務室、二階は村議会議場となっていました。
役場が落成した時には、「大井村と東京との間で一番ハイカラな建物ができた」と村民の手紙に書き添えられたと言われています。
昭和初期の官公庁の建造物が次々と姿を消していく状況にあって、川越街道沿いでは唯一残されているのがこの旧役場庁舎です。
平成14年2月14日に国の登録有形文化財になりました。
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次に、志木市役所まで足を伸ばし、市役所前の「いろは親水公園」に移築された「旧村山快哉堂」を見に行きました。
「旧村山快哉堂」は明治10年11月に建築された木造2階建て土蔵造りの店蔵です。
店蔵が座売り形式の商形態を残す点、一階中央部分の吹き抜け、鉢巻の2段構成、ムシコ窓とその枠回りなど川越の店蔵とは異なる特有の意匠構成が見られ、貴重な有形文化財です。
木曜日は残念ながら休館日で内部には入れませんでした。
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次は、志木街道を走って、新座市の「立教学院聖パウロ礼拝堂」です。
チェコ出身の建築家アントニン・レーモンド(1888~1976)は各地に素晴らしい建築物を数多く建てていますが、それらの中でも教会建築は目を見張るものがあります。
この礼拝堂は、白い貝殻を思わせるカーブを組み合わせて豊かな空間を生み出しています。
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本日の締め括りは、新座市の「睡足軒」です。
「睡足軒」の敷地は、国指定天然記念物平林寺境内林の一部であり、9,379平方メートルを有する緑豊かな景勝の地です。
電力事業に生涯を捧げ「電力の鬼」といわれた実業家である一方、茶道にも造詣の深かった昭和の大茶人・松永安左エ門(耳庵)氏が土地を購入し、屋敷地としました。
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近代の三茶人(益田鈍翁、原三渓、松永耳庵)と称される松永安左エ門氏は、昭和13年に、横浜三渓園で有名な原富太郎(三渓)氏の世話で、飛騨高山付近の田舎家を敷地内に移築させました。
これを草庵として、親しい友人を招き、「田舎家の茶」を楽しみながら囲炉裏を囲んで団欒する日々を楽しんでいました。
その後、昭和47年に茅葺の田舎家と敷地が、菩提寺である平林寺に譲られました。
近年、睡足軒は、無住状態が続きましたが、園庭や建物などは、十分活用が図られることから、平林寺老大師・野々村玄龍氏のご厚意により、平成14年に新座市に無償貸与されたものです。
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