5月25日(日)妻と二人で我が町・行田市の「モダンたてもの」を見て歩きました。
行田市と言えば、さきたま古墳群、忍城跡、古代蓮の里など数多くの史跡・文化財を抱える歴史のロマン漂う城下町です。
そして江戸時代後半から昭和30年代にかけては足袋づくりが盛んで”日本一の足袋のまち”として繁栄しました。
最初に行ったのが「足袋蔵まちづくりミュージアム」(旧栗代蔵)です。
この土蔵は栗原代八商店の白壁の美しい足袋蔵です。
栗原代八商店は文化5年(1808年)創業の老舗足袋商店で、「小町足袋」「旗印足袋」の商標で手広く商売を営んでいました。
現在は「NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」が運営する行田の観光案内拠点となっています。
次に行ったのが、行田市の中心部に位置する「武蔵野銀行行田支店」です。
忍貯金銀行の店舗として昭和9年に竣工し、戦時中に行田足袋元売販売株式会社が建物を買取、戦後足袋会館(足袋組合の会館)を経て、昭和44年より武蔵野銀行行田支店となりました。
足袋産業と深く関わる行田を代表する近代化遺産です。
武蔵野銀行のすぐ裏手の小路を北へ歩くと、「足袋とくらしの博物館」(旧牧野本店工場)です。
大正13年頃に建てられた豪勢な店蔵、大正11年棟上の木造洋風工場、明治~大正期の足袋蔵など土蔵3棟が残る牧野本店は全盛期行田の足袋商店の様子を伝える貴重な建物群です。
現在、工場群を「足袋とくらしの博物館」として足袋の製造実演や行田足袋の歴史の展示が公開されています。
小路を更に歩くと見えてくるこの土蔵は「かるた足袋」などの商標で知られた時田啓左衛門商店の「時田蔵」です。
行田では珍しい表通りに面した袖蔵形式の土蔵で、この奥にも足袋蔵が連なっています。
このあたりは旧足袋蔵が続きます。
足袋・被服工場と事務所兼住宅を改造した「藍染体験工房 牧禎社」の先に見えてきたのが、「忠次郎蔵そば店」(旧小川忠次郎商店店舗及び主屋)です。
平成16年に国登録有形文化財に登録された店蔵は、足袋の原料を商っていた小川忠次郎商店の店舗及び主屋として、昭和4年頃に完成しました。
行田の足袋産業隆盛期を象徴する近代化遺産です。
国道125号を渡って行田市の南部へ移ります。
行田郵便局の前に建つ2階建ての大谷石の石蔵が、「小川源右衛門蔵」です。
近江商人の小川源右衛門商店(現在のカネマル酒店)の商品倉庫として、昭和2年に建てられたものです。
行田では数少ない戦前の石蔵で、入り口部分の造りが個性的な雰囲気を醸し出しています。
新町(あらまち)通りを南に歩くと、シュロの木が似合う昭和の邸宅が見えてきました。
「Cafe閑居」と言うカフェです。
この店は、行田市の初代市長・奥貫賢一氏の邸宅を改装してつくられました。
店内は、靴を脱いで座敷でくつろげる和の空間で、料理とケーキは全て手作りだそうです。
同じ敷地内には足袋蔵を利用したパン工房やギャラリー、設計事務所もあります。
新町通りを更に100mほど南下すると、ルーブル洋菓子店の隣にあるのが「大澤蔵」です。
この蔵は「花形足袋」大澤商店の7代専蔵によって、大正15年に建てられた文庫蔵です。
行田唯一のレンガ蔵で、黒目の煉瓦と白い漆喰の対比がモダンな印象を与えます。
内部も贅を尽くした造りとなっており、「建築が第一の趣味であった」7代専蔵のこだわりが感じられます。
行田市の「モダンたてもの見て歩き」の最後は、新町通りを更に500mほど南下し、高源寺の交差点を右折してすぐに見える「和牛懐石 彩々亭」(旧荒井八郎商店)です。
この建物は「穂国足袋」などの商標で知られた荒井八郎商店の創業者荒井八郎氏が昭和元年から昭和10年に建設したものです。
荒井八郎氏は足袋業界の要職を歴任するとともに、戦後参議院議員に当選するなど政治家としても活躍しました。
その当時はこれらの建物が氏の迎賓館的な役割を果たしており、氏と交流のある政財界をはじめ多くの人々が訪れ、「足袋御殿」とも呼ばれていたそうです。
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