若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

埼玉モダンたてものを見て歩くーその15-越谷市・草加市・さいたま市

2014年12月07日 | 埼玉モダンたてもの散歩


11月24日(月)妻と二人で愛車プリウスに乗って越谷・草加・さいたま市方面のモダンたてものを見に行くことにしました。

最初に行ったのが越谷市の「横田診療所」です。

日光街道の史跡を色濃く残している県道49号(旧日光街道)を走ると、越谷宿の真ん中に「横田診療所」はありました。

昭和初期には珍しいドイツ式建築で、建物が建設された当初は越谷市の郵便局だったとの事です。

昭和40年から2代目のお医者さんとして診療所を始められたそうです。

診療所を始めた頃から患者さんや通りを通る人が、珍しい建築物ということでよく写真を撮っていったとのことです。

街道沿いには、蔵造りの商家が今も残っています。



旧日光街道を上って草加宿に入ると「草加市立歴史民俗資料館」(旧草加小学校西校舎)です。

地元草加市出身で同校出身の建築家・大川勇の設計です。 

大正15年に建築された、県内で最初の鉄筋コンクリート造校舎で国登録有形文化財です。

現在では、草加市立歴史民俗資料館として、農具、里神楽などの民俗資料、土器や板碑、縄文時代の丸木舟を展示しています。



行きは国道122号から春日部経由で越谷、草加と来たので、帰りは国道17号でさいたま市を通って帰ろう、と言うことになり、「さいたま市立浦和博物館」に立ち寄ることにしました。

この建物は明治11年に建てられた旧埼玉師範学校の校舎であった鳳翔閣(明治天皇行幸の際、三条実美により命名)の中央部外観を復元した建物です。

見沼や見沼通船堀に関する展示、馬場小室山遺跡出土の人面画土器と土偶装飾土器、文化8年(1811)の浦和宿絵図[複製]、鳳翔閣に関する資料などがあります。

また、浦和レッズの現在のエンブレムにも鳳翔閣が描かれています。



次に行ったのが「旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫」(現・浦和くらしの博物館民家園)です。

大正8年、栃木県小山市で干瓢(かんぴょう)の倉庫として建設され使用されていましたが、昭和31年にさいたま市緑区三室に移され、米の倉庫として利用されました。



今日の「見て歩き」の最後は北浦和の閑静な住宅街にある隠れ家的高級料亭「会席料理 二木屋」(旧小林英三家住宅)です。

この屋敷の主は、保守が大合同した自由民主党最初の内閣(1955年)の厚生大臣・小林英三です。

昭和10年建築の軍人の家を戦中に疎開用として買取り、増築を経て今の形となったそうで、大正ロマンの和洋折衷の雰囲気漂う、国登録文化財のお屋敷です。

小林家は毛利家の家老の家柄で、広島県尾道で林を名乗っていました。

明治になり武家から商人に変わるとき、小林と改名しましたが、先祖代々の林を屋号に残し、林が2つの木であるところから「二木屋」を名乗り、缶詰食品業を創業したのが屋号の由来です。

この高級料亭は外から眺めただけでお腹が満腹になったので、さっさと帰路に着きました。(笑)


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