5月5日(金)妻と二人で滋賀県長浜市を歩いてきました。
北陸本線長浜駅を降り立つとすぐに「長浜城歴史博物館」が見えました。
姉川合戦の後、その功によって湖北三郡を与えられた羽柴秀吉は、天正2年(1574)頃、小谷(湖北町)から当地に城下町を移し、地名を長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城としました。
その後、山内一豊公など4人の城主が入りましたが、元和元年(1615)には廃城となっています。
昭和58年(1983)に城郭様式の博物館として再興され、長浜城歴史博物館として開館しました。
天守閣からは琵琶湖が一望できます。
湖岸道路から「明治ステーション通り」に入ると立派な庭のお屋敷が現れました。
国指定名勝「慶雲館」と言います。
明治20年(1887)、明治天皇行在所として実業家の浅見又蔵によって建設されました。
池泉回遊式庭園で、7代目小川治兵衛の代表作であり、近代日本庭園の傑作の一つとして有名です。
慶雲館の向かい側は「長浜鉄道スクエア」と言い現存する日本最古の鉄道駅舎です。
旧長浜駅舎は、明治15(1882)年に完成しました。
日本で初めて新橋~横浜間を鉄道が走ってから、たった10年しか経っていないころでした。
まだ「駅」がめずらしい時代だったので、たくさんの人々が陸蒸気(おかじょうき)を「一目見たい」「一度は乗ってみたいと」と長浜にやってきました。
館内では、文明開化でにぎわう当時の様子が見られます。
「明治ステーション通り」は湖上交通の拠点として栄えた通りで、港町の風情が残っています。
町並みは舟板塀をはじめ、文明開化の夜明けを感じさせるガス燈や豪商の邸宅が続いています。
「北国街道」を北に歩きます。
「駅前通り」を越えたあたりから観光客が一気に増えました。
北国街道沿いに続く古い街並の一角にある総称「黒壁スクエア」です。
明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなど魅力あふれるお店が、古い街並の中に点在しています。
写真は黒壁7號館 - 古美術西川(古美術、民芸品)です。
古美術西川の前の「芋平 元浜店」で、例によって妻が「芋きんつば」を買い込んだようです。
黒壁8號館 - 翼果楼(よかろう)の前には長浜名物「焼鯖そうめん」を食べようと長い行列です。
その昔、五月見舞いとして農繁期に実家から嫁ぎ先に焼き鯖を届ける湖北の習慣があり、長浜では「焼鯖そうめん」という郷土料理として受け継がれているそうです。
黒壁5號館 - 札の辻本舗
江戸時代、北国街道と美濃谷汲道が交差する交通の要衝であり、「高札」の掲示場であったことから、この「札の辻」の名が付いたそうです。
「札の辻本舗」は、この辻に建つ古民家を生かした物産店です。
黒壁18號館 - 96CAFE
黒壁ソフトクリームや近江牛カレーがお薦めのおしゃれなカフェです。
まち歩きに疲れたらここで一息どうぞ。
黒壁1號館 - 黒壁ガラス館(旧国立第百三十銀行長浜支店)
旧市街地の中心である「札の辻」に建つ「黒壁銀行」の愛称で親しまれてきた旧第百三十銀行(1899年竣工)の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築の保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター「黒壁」が1988年に設立されました。
「黒壁」設立の主目的である旧第百三十銀行の保存と再生は同建築が1989年に黒壁一號館「黒壁ガラス館」としてオープンすることにより達成されました。
さらに「黒壁」はこの一號館の周囲の古建築を、次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランへと再生してその数10館、「黒壁まちづくり」に参画する館を合わせると計30の古建築の再生に携わったのです。
400年の伝統に支えられた寂れた商店街と古い住宅街が、今や湖北最大の観光スポットへと変貌を遂げています。
町おこしの成功例として有名で、日本各地から視察が絶えません。
黒壁2號館 - スタジオクロカベ
黒壁1號館のすぐ隣にあります。
私は少し疲れたので、この館の木陰にあるベンチで小休憩。
黒壁11號館 - ステンドグラスショップ(1階)、黒壁12號館 - 太閤ひょうたん(2階)
黒壁スクエア散策もあと一息・・・(汗)
どこかのオジさんも疲れたのかベンチで休憩していました。(笑)
北國街道を右折して祝町通りに入り、妻は黒壁25號館 - 納安(なやす)というお店にに入り「ゴブラン焼き」なるものを土産に買い込みました。
黒壁スクエア散策の最後は黒壁20號館 - カフェ叶 匠壽庵(かのうしょうじゅあん)
ここで私たちは窓際の席に座り、道行く大勢の観光客を眺めながら、美味しい珈琲を戴きました。
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