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若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

我が街・行田の日本遺産・足袋蔵を歩くーその4 天満・向町など

2020年09月20日 | 行田市


「大澤蔵」から古墳通りを南に歩きます。

スターダストレビューの根本要さんの実家(根本医院)が左に見えますが、時差式信号あたりから八幡通りを境に西側が天満地区、東側が向町地区です。

天満には6棟の足袋蔵、向町には1棟の足袋蔵と工場があります。

天満から見ていきましょう。

時差式信号を渡って「みずしろ通り」の入口に見えるのが「松坂屋蔵」です。

昭和24年頃に熊谷にあった軍事施設のボイラー室を解体し、その建材を再利用して建てられたものです。

頑丈な造りの均整の取れたモルタル蔵で、現在も松坂屋建材の倉庫として使われています。



古墳通りを更に南下すると「あんど」という蕎麦店がありますが、これは「奥貫蔵」を改装したもので、ドラマ「陸王」のロケ地にもなりました。

「ほうらい足袋」、「栄冠足袋」の商標で知られた奥貫家が大正~昭和の初めごろに建設したと伝えられる足袋蔵(土蔵)です。



時差式信号に戻って、みずしろ通りに入ってすぐの小道を左に折れると、右手に見えてくるのが「栗原家モルタル蔵」です。

「福力足袋」、「双福足袋」の商標で知られた栗原正一商店が、昭和28年に館林市の農家の米蔵を購入して、ここに移築したものです。

昭和20年代後半の行田の足袋産業の隆盛を物語るモルタル造の足袋蔵です。

近年改修が行われ、外観が綺麗に整備されています。



行田名物フライ考案の元祖で、TVや雑誌で幾度となく取り上げてこられた「古沢商店」(今は閉店)の近くにも、奥貫忠吉商店の土蔵がありました。

これは大正時代に建設されたもので土蔵造り2階建ての足袋蔵です。

「ほうらい足袋」、「栄冠足袋」の商標で、足袋と被服を中心に手広く商売を営んでいた奥貫家は、市内数か所に多数の工場と足袋蔵を建設したようですが、この蔵もその一つです。



その南側にあるのが「草生蔵(くさおぐら)」。

「金楽足袋」などの商標で知られた金楽足袋株式会社が明治43年に住宅とともに建設した足袋蔵だと伝えられています。

市内で最も古い石蔵だと思われます。

現在は所有者が草生家に変わり、倉庫として使われています。



天満の足袋蔵のトリは「鯨井家倉庫」です。

明治41年に、行田随一の足袋商店であった橋下喜助商店より独立して創業した足袋原料商の鯨井商店は昭和3年にこの鉄筋コンクリート造2階建ての足袋蔵を建設しました。

陸屋根の小型の足袋蔵ですが、現存する行田市内で数少ない戦前の鉄筋コンクリート造の足袋蔵として貴重な存在です。



鯨井家倉庫の東側にある2階建ての大谷石造の足袋蔵が、「豊年足袋」などの商標で知られた豊年足袋本舗が昭和29年に建設した「小沼蔵」です。

基礎に長さ10尺の松杭を千鳥に打ち込み、杭頭に大谷石を立てて周囲をコンクリートで固めるなど、堅固な基礎工事を行っているそうです。

この年にナイロン靴下の量産が始まり、足袋の需要は減少していきます。

足袋産業の最後の栄華を伝える足袋蔵と言えます。



「小沼蔵」の北側に位置するこの工場は、現存する行田最大のノコギリ屋根の木造洋風足袋工場と元食堂です。

昭和初期に組合工場として建てられたものを、イサミコーポレーションの前身のイサミ足袋本舗が買い取り、現在まで足袋工場として使用しています。

足袋生産の拡大で、大規模工場が郊外に建てられていった昭和初期の行田を代表する足袋工場です。



次回(足袋蔵シリーズの最終回)は水城公園付近の日本遺産や足袋蔵を見て回ります。


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我が街・行田の日本遺産・足袋蔵を歩くーその3 新町アーケード街

2020年08月24日 | 行田市


旧国道125号を行田郵便局入口の交差点で左折して「八幡通り」に入ると、「小川源右衛門蔵」が見えてきました。

この大谷石の石蔵は、近江商人の小川源右衛門商店(現在のカネマル酒店)の商品倉庫として昭和2年に建てられたものです。

行田では数少ない戦前の石蔵で、現在も商品倉庫として使用されています。



カネマル酒店の隣が「笠原家住宅」です。

昭和6年建設と伝えられる元足袋原料商店の木造2階建て店舗併用住宅です。

その後、旅館「寶来館」、バー「よるのまど」と用途が転々と変わりました。

現在は住宅として使われていますが、戦前の昭和の足袋商店の姿をよく留めています。



病気平癒の最強パワースポットと言っても過言ではない「封じの宮」として、今や大人気の行田八幡神社の裏手にあるのが、「イサミスクール工場」です。

この工場はイサミコーポレーションの前身の鈴木勝次郎商店が開設した、行田で最も古い大規模足袋工場(現在は被服工場)です。

工場内には、大正6年建設のノコギリ屋根を持つ工場、大正7年建設の旧事務所、昭和13年建設の足袋蔵などがあり、戦前の大規模足袋工場の面影をよく留めています。

なお、このスポットは2017年10月期日曜劇場「陸王』(池井戸潤原作・役所広司主演)のメイン舞台となった「こはぜ屋」の撮影に使われたことでも有名です。



カネマル酒店まで戻り、大正時代の雰囲気を残す「長井写真館」など、レトロな建物が並ぶ小道を通って「古墳通り」(新町アーケード街)に出る手前に「今津蔵」(今津印刷所)があります。

今津印刷所は元禄年間創業と伝えられる老舗印刷所で、田山花袋の「田舎教師」の”行田印刷所”のモデルにもなっています。

嘉永年間に建てられた店蔵と味噌蔵が中庭を挟んで並んでいます。

店蔵は現存する市内最古級のもので、旧店舗部分が2階建てになっています。



古墳通りを南下すると、風月庵という和菓子屋の隣にあるのが「田代蔵」です。
 
この2階建ての店舗は「きくわ足袋」の商標で知られる田代鐘助商店が、昭和2年に建設したもので、1階前面だけが蔵造りになっています。

この後ろには大正時代建設の住宅、昭和2年と大正時代初期と伝えられる土蔵2棟(足袋蔵)が、細長い敷地に裏通りまで一列に並んでいます。



田代蔵から西に行くと曲がりくねった路地に突き当たりますが、この通りを「新店(しんだな)通り」と言います。

これは忍城に攻め込む敵の進行を遅らせ、先の見通せない曲がり角で迎え撃てるようにつくられた城下町特有の通りです。

この大谷石の石蔵は「孝子足袋」の商標で知られた大木末吉商店が、昭和26年に建てた「孝子蔵」です。

木材不足から戦後行田では、こうした大谷石の足袋蔵が多く建てられました。



「新店通り」を南下すると高い塀に囲まれた立派な足袋蔵が見えてきました。

「栄冠足袋」「ほうらい足袋」の商標で知られた奥貫忠吉商店の足袋蔵として大正5年に建てられました。

特に右側の「クチキ建築設計事務所」は行田唯一の3階建ての土蔵で、元は黒壁でした。

左側の足袋蔵ギャラリー「門」では、不定期ながら絵画展やコンサートなどの催しが開かれているそうです。



古墳通りから見てみましょう。

右側の蔵がギャラリー・パン工房KURAなどとなっており、左奥の3階建ての蔵がクチキ建築設計事務所です。



敷地内にあるカフェは、昭和5年棟上された初代行田市長・奥貫賢一氏の元邸宅で、現在は「cafe閑居」として運営されています。



古墳通りをさらに南へ歩くと、ルーブル洋菓子店の隣に見えるのが「大澤蔵」です。

「花形足袋」大澤商店の7代専蔵が大正15年に関東大震災の教訓を踏まえて竣工させた、2階建ての文庫蔵です。

行田唯一のレンガ蔵で、黒目のレンガと白い漆喰の対比がモダンな印象を与えます。


次回は天満・向町などの住宅街の足袋蔵を見て回る予定です。


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我が街・行田の日本遺産・足袋蔵を歩くーその2 旧国道125号線

2020年07月25日 | 行田市


埼玉りそな銀行の裏道には立派な足袋蔵が目白押しです。

”クリダイ”の名で親しまれている「栗原代八商店」の白壁の美しい足袋蔵です。

文化5年(1808)創業の老舗足袋商店で、「小町足袋」、「旗印足袋」の商標で手広く商売を営んでいました。

「栗代蔵」の一階は行田市内の見所や食べ物などのマップの配布や案内所になっており、二階は栗代蔵の歴史を感じられるギャラリーになっています。



「大澤久右衛門家住宅・土蔵」は江戸時代、藍染の綿布問屋を営み、行田町最大の豪商であった大澤久右衛門家が、江戸時代後期建設と思われる住宅と土蔵です。

土蔵は現存する最古の足袋蔵だそうです。



これが住宅です。

弘化3年(1846)の大火の際には、これらの2棟と、かつて南側にあった店蔵が、延焼を食い止めたと伝えられています。



「保泉(ほずみ)蔵」は、行田一の足袋原料商であった保泉商店(明治35年創業)の足袋の原料倉庫群です。

城下町特有の短冊形の細長い敷地に並ぶ、大谷石の店蔵、土蔵2棟、石蔵が表通りから1列見事に並んでいます。



棟方志功が『この饅頭 うまい! うますぎる!!』と激賞したと言われる「十万石ふくさや行田本店」です。

元々は明治16年(1883)棟上の元山田呉服店の重厚かつ豪勢な店蔵です。

後に足袋蔵に転用され、現在は埼玉県を代表する十万石饅頭の本店となっています。

他の足袋蔵にはない「なまこ壁」は改修の際に追加されたものです。



行田を代表する足袋メーカーである楽屋足袋が、昭和20年代後半に社長宅の隣に建設した大谷石の2階建ての足袋蔵です。

深い下屋を持つ長い大谷石の壁と一体となって建てられています。

戦後の行田を代表する足袋蔵のひとつでです。



武士から転身して創業し、「出世足袋」の商標で知られた森伴造商店の2棟の土蔵造りの足袋蔵です。

南側の土蔵は、佐野屋が嘉永3年(1850)に棟上した既存の土蔵を明治35年に譲り受けて足袋蔵に転用したもので、現在は私的な書斎兼民芸館「古蛙庵(こああん)」として活用されています。

北側の土蔵は明治45年(1912)に森伴造商店が棟上したものです。



次回は新町アーケード街付近の足袋蔵を見て回る予定です。



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我が街・行田の日本遺産・足袋蔵を歩くーその1 蓮華寺通付近

2020年07月15日 | 行田市


先ずは行田市の中央通りにある「武蔵野銀行行田支店」付近を歩きます。

この建物は忍貯金銀行の店舗として昭和9年(1934)に建てられた、行田市では数少ない近代洋風建築です。

冬場になると北西から強い風が吹き付ける行田の気候・風土を反映して、西側には出入口がなく、窓も東側に比べて極端に少ない造りになっています。

建物は忍貯金銀行が埼玉銀行に合併された昭和19年に、行田足袋元売販売(株)へ売却され、戦後は足袋会館としての使用を経て昭和44年より現在の武蔵野銀行の所有となり、再び金融機関の店舗として現在に至っています。

国登録有形文化財。



「力弥足袋」の商標で知られた「牧野本店」の店舗兼住宅です。

大正13年(1924)頃に建てられた行田を代表する"半蔵造り"の店蔵(見世蔵)で、右側が工場です。

工場は大正11年に建設された洋風の工場建物で、現在は「足袋と暮らしの博物館」として、かつての職人さんたちが裁断機やミシンを動かし、足袋づくりを実演している様子の見学などができます。



「蓮華寺通」には足袋蔵が続きます。

この通り沿いは、かつて蓮華寺町と呼ばれた蓮華寺の門前町です。

江戸時代に忍城主・安部正武が小見から蓮華寺を移し、松平家が忍城主になると、通りの両側に武家屋敷が造成され、蓮華寺町が誕生しました。

そして明治時代以降は足袋産業が進出し、昭和初期には足袋蔵や足袋職人長屋が軒を連ねるようになりました。



T字路の突き当りにある3階建てのこの土蔵は「かるた足袋」、「桜都足袋」の商標で知られた時田啓左衛門商店の足袋蔵です。

表通りに面した袖蔵形式で板張りの足袋蔵です。

スクラッチタイルを張った隣の主屋は、昭和15~16年頃に建てられた住宅で、モダンな建物です。



牧野禎三商店が、創業時の昭和15年に建設した木造二階建ての旧足袋・被服工場と事務所兼住宅です。

落ち着いた侘まいの住宅建築で、原形を良く留めています。

現在は、江戸時代から大正時代にかけて盛んだった、行田の藍染めが気軽に楽しめる施設となっています。



蕎麦屋として活用されている「忠次郎蔵」は、足袋の原料を商っていた小川忠次郎商店の店舗及び主屋として、大正14年の棟上式を経て、昭和4年ころに完成したと伝えられています。

行田市の足袋産業全盛期を象徴する建物の一つとして、市内で最初の国登録有形文化財となりました。



この土蔵も時田啓左衛門商店が昭和4年に棟上した足袋専用倉庫です。

時田啓左衛門商店は明治28年に創業し、山形・宮城・山梨県を中心に販路を伸ばして成功を収め、この大型の足袋蔵を建設しました。

昭和初期の行田足袋産業全盛期の面影を伝える近代化遺産といえます。


次回は旧国道125号(熊谷羽生線)沿い付近の足袋蔵を見て回る予定です。

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古代蓮が見頃ですよ!!

2020年06月30日 | 行田市


緊急事態宣言全面解除後、東京都に引っ張られる感じで、埼玉県も徐々にと感染者数が増加していますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

我が町・行田の「古代蓮の里」が見頃だというので、昨日(6月29日)妻と二人で行ってきました。



テレビなどで時折紹介されているので、月曜日にもかかわらず、駐車場はほぼ満杯で、やっとのことで駐車できました。

大宮・春日部・川越ナンバーなどが多く、県内で比較的感染者(4名)の少ない行田が手ごろな日帰りドライブコースであったのでしょう。



古代蓮池です。

背後には「見晴らしの丘」や「お花見広場」や「ローラー滑り台」などがあって、以前は郡山市に住む孫たちを連れて古代蓮の里で遊ばせたものです。

コロナ騒ぎの影響で、それもお互いに控えています。



孫たちも今は高校2年生と中学3年生になりました。



3蜜を避けるため、遠くの場所から眺めました。(笑)



「水生植物園」や「ほたるの川」がある池からの眺めです。

皆さん、緊急事態宣言全面解除とは言え、油断禁物です。

コロナに負けず頑張りましょう。

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