たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

長い一週間の始まり

2016年08月23日 21時26分44秒 | 日記
 三連休明け、今日は火曜日ですがわたしの中では月曜日。土曜日までの長い、長い一週間が始まってしまいました。ほんと長い。空気があんまりよくないので忙しくなくても疲れます。ただの寄せ集め。事前研修は全くと言っていいほど意味をもたないし、もらったマニュアルをみることもありません。すべてがフレキシブルな対応と少々の専門的な知識を求められる現実に合っていないし、元締めのところで具体的な方針が出ないことも多いので現場で決めていくしかない。いつの間にか指示が変わっていたりやり方が変わっていたり、抜けや間違いがあると誰がやったの?ってなって、わたしじゃありません、って主張するときはしないと言われっぱなしの悔しい思いをすることになります。いい空気なわけがない。でも他の現場よりはかなりマシみたいなのでガマン、ガマン。その日その日で流していくしかない、忘れていくしかないです。いろんな雇用形態が入り乱れている昨今の職場、カイシャに限らず風通しのいい職場なんてあるんでしょうか。わたしが悪い話ばっかり耳にしてしまうからそう思うだけなんでしょうか。どうなんでしょうか。前職のカイシャは長くいる間に、社員、契約社員A、契約社員B、嘱託A、嘱託B、非常勤嘱託、パートタイマー、アルバイト、あちこちの派遣会社からきている派遣社員等が混在するようになり、空気はぎすぎす、社内手続きも煩雑になっていく一方で、どんどんわけわかんなくなり、それだけで神経がすり減りました。昨今はどこもこうなんでしょうかね。

 お写真は本文とは全く関係なく、可愛い清史郎君。癒されます。12月に久しぶりに舞台に出演することが発表されました。大きなホールではなさそうだし、公演日程も短い。わたしも含めて清史郎君に会いたい人を全部収容できるのかな、今から心配です。みたいな、みれるといいな・・・。

 ムシムシしますがまたゲリラ豪雨がやってくるのでしょうか。いつ雷雨におそわれるかわからないし、電車のなかのキンキンの冷房とかほんと勘弁してほしい。きびしい夏はもう少し続きそうですが、夜になると秋の虫の音が聞こえるようになりました。もう少し、もう少し・・・。

 さっそく週初めのグチ日記でした。



 

『ルノワール展』に行ってきました

2016年08月22日 20時49分00秒 | 美術館めぐり
 オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵『ルノワール展』、行ってきました。

http://renoir.exhn.jp/

 今日はわたしにとって大切な土曜日。午後住まいの近辺は少し嵐がおさまった感だったので出かけました。六本木に着くと大嵐が吹き荒れていましたが美術館にいる間に嵐はおさまりました。人へのいつくしみと躍動感にあふれる絵との対話の時間は、心が満たされる幸せなひとときでした。がんばって行ってよかったです。明日から5日間連続勤務。頭がおかしくなりそうな仕事を前に朝から気がおもくって仕方なかったですが心のエネルギーをもらいました。来月、19日は父の命日、21日は妹の命日。妹の旅立ちから25年になるでしょうか。こうしてわたしが幸せだと感じる時間を少しでも多く持つことが、わたしに与えられたいのちの時間を妹の分まで生きることになるのだと思います。そんなことを想いながらルノワール最晩年の絵を観ていたら涙が出てきてしまいました。音声ガイドのナビゲーターが、元タカラジェンヌの大空祐飛さんというのも嬉しかった。宝塚とフレンチカンカンは切り離せません。ルノワールの次男で映画監督になったジャン・ルノワールの「フレンチカンカン」もほんの少しですが映像が流れていました。カンカンを踊る場面、心が湧きたちました。

 今日が展示の最終日。協力が日本航空となっているので、明日以降日航機でパリに帰るんでしょうね。すっごい保険がかかっていると思いますが無事にルノワールのいのちが宿るような100点余りの絵がパリに帰ることができますようにと祈ります。ほとんどがオルセー美術館からの出展でした。

 2008年にツアー旅行でパリに行った時は、一人でオランジュリー美術館に行き、モネの睡蓮を堪能しました。すぐご近所のオルセー美術館には行っていないし、オランジュリー美術館でも地下のルノワールの絵は駆け足になってしまったので、こうして観ることができてよかったです。フレンチカンカン、ムーランルージュ・・・。パリではモンマルトルの丘にも行きたかったですが、残念ながら丘はとてもいいけれど丘に行く途中の坂道が女性の一人歩きは非常に危険だという説明を受けたのであきらめました。今回、日本でこうして安全に、無事にパリの息吹を楽しむことができてよかったです。

 ルノワールとは20歳の時に、一つ年上のモネと出会い、一緒にのちに最初の印象派展と呼ばれる絵の展覧会を開いたのですね。ルノワール77歳、最晩年の「浴女たち」という絵に、モネの最晩年の絵に感じたものに通じる、あくなき探究心と生きるエネルギーを感じました。生きるには厳しい条件ばかりの中で晩年、「最善を尽くしきるまで死にわけにはいかない」と絵を描き続けたそうです。描き切った翌年78歳で家族に見守られながらルノワールは生涯を閉じました。

 74歳の時に、18歳年下の妻に先立たれ、第一次世界大戦で従軍した息子たちは負傷、自身はリュウマチを患い車いす生活を余儀なくされていました。でも「絵は楽しくなければいけない」というルノワールは哀しみ、苦しみを描きませんでした。生命力と躍動感に満ちあふれる生き生きとした裸の人間を描き切りました。先ほども書きましたが、絵の前で涙がにじみました。ルノワールの生命力が伝わってくるような絵でした。

 誰もが一度は観たことがあるルノワールの絵。でもこうして画家の生涯に触れながら絵と対話する時間をもつことはなかなかないですね。お写真もあるのでまた後日あらためて書ければいいなと思います。出勤日は残念ながら、「しばられてなにもできなーい♪」(『エリザベート』の中でルドルフが歌う一節)です。美術館めぐりのあれこれ、ゆっくりとお写真載せながら書きたいことがたくさんありますがなかなか追いつきません。少しずつ、少しずつです。

 三連休で少しは断捨離、進んだかな。ここまでという目標には到達できませんでしたがまあまあ。次回は日曜日。明日から5レンチャンでつまらないグチブログになると思いますが、よろしかったらまた訪問してください。






 

明日は土曜日なり・・・?!

2016年08月21日 22時20分16秒 | 日記
 明日はわたしにとっての土曜日、貴重な休日。そのあと火曜日から土曜日まで連続出勤。シフト表みるとたしかお昼休憩が火曜日は11時30分から、水曜日は13時30分からになっていました。木曜日以降はまだもらっていないのでわかりませんが、この2時間の時差は体のリズムがこわれて気持ち悪くなってしまうのでこたえます。休日のおそいお昼を食べるのとはまた別の話。いやはや、長いしぞっとします。また台風がきているみたいで明日は降水確率90%。また夜半から暴風雨なのでしょうか。すごくムシムシします。今年はいちだんとゲリラ豪雨が多いし、ほんとに大変な夏。父親とお別れとなった2010年の酷暑より気温は低いですが、慣れない就労場所で慣れない仕事をしているしきびしいです。来月七回忌。帰省の高速バスを予約せねばと思いながら気持ちが落ち着かずまだやれていません。いろいろと心配事ばっかり。断捨離でモノは減っているはずなのにまだまだなあ。モノが減っても折りたたみ出来ない収納用品が残ってしまい捨てることができずに困っています。もしこれから小さい家具を買うことがあれば段ボール製にしようと思います。畳めるし捨てられるし・・・。モノが減ったように見えないのは、モノが減ってスペースができたところを整理し切れていないせいもあります。まだまだがんばらないと・・・。明日はルノワール展、最終日。くじけるかなあ、行けるかなあ。どうでしょうか。昨夜は清史郎君の動画をあれこれみていたところから任侠ヘルパーの最終話にたどり着きました。1時間半余り、みてしまいました。リアルタイムでみていましたが、脚本がしっかりしているし、よくできているドラマだなあとあらためて思いました。8歳だった清史郎君の健気が演技に胸がしめつけられ、涙があふれました。高齢者の社会からの孤立、介護施設の利用者と職員の有り様、ドラマが放送された時よりもさらにリアルに社会の課題となっていることが多いし、続編をみたいなあ。たくましい少年に成長した清史郎君演じる涼太とアニキとの再会。今こそアニキの出番だと思うのですが無理でしょうかね・・・。

 というわけでお写真は、任侠ヘルパーの清史郎君とアニキ。(清史郎君のお写真をアップされている方のツィッターからお借りしました。)

 あれやこれやとひとりごとのつぶやきでした。夕方、もうひとつのブログを更新しました。


第二章_日本的経営と近代家族_⑨女性の役割は変わった?

2016年08月20日 19時32分49秒 | 卒業論文
 敗戦以後、日本人が作り上げた日本型企業社会とは、経営者と労働者との社会関係が構造的には温情主義的・ゲマインシャフト的な感情的相互融合を持つものであった。「終身雇用制」、「年功序列賃金」、「企業内組合」の三つを柱とした労使関係は、一見自主的に見えるが実は半ば強制的に長時間労働を行う男性の会社人間を作り上げた。会社本位主義は、高度経済成長期を経て、低成長期も乗り切ってきた。一つの目標に向かって、一つの集団が唸りを上げて突進してゆくさまは、血湧き肉躍るものがあった。家庭に妻と子どもを取り残して、壮年期の男性を中心とする構成員は、利益という獲物を鷲摑みにしようと躍起になり、かつ連帯してきた。

 しかし、1990年代の初めに始まった平成不況は、日本的経営システムの根幹を揺るがし、その経営体質の転換を迫っている。会社本位主義は揺らぎ、これまでのような日本的経営システムを維持することは難しくなってきているのだ。栄華を誇ってきた日本のリーディングカンパニーの多くが今や血液中にコレステロールをため、糖尿病の持病と闘い、自分の体の大きさをもてあましている。その様は百年かけて滅亡していったマンモスの姿に例えられる。1)
 
 バブル崩壊後の1993年初め、企業の希望退職、早期退職など雇用調整の動きがホワイトカラーの管理職をターゲットに本格化した。平成不況下の雇用調整は、縁辺労働力としてのパートや派遣を雇用の調整弁として活用しているが、この動向のなかで注目されるのが、女性労働者の活用とこれと裏腹な排除である。平成不況は、広い業種にわたり企業規模の別なく、その影響を拡大しつつあるが、女性労働に対しては活用と排除が表裏一体で進行しつつある。2)
筆者が現在勤務する建設コンサルタント会社では、立場の弱い派遣社員を削減する一方で、フレキシブルな労働供給である主婦のパートタイマーに依存する方向へと進んでいる。まず、女性が雇用調整弁として便利に用いられることを如実に物語るものである。

 日本型企業社会の出発点は、男女の性別で役割を固定化し、固定化された性役割にそった男女それぞれのライフコースを歩むことにあった。個人ではなく家族単位で社会保障制度や福利厚生が考えられてきたために、性役割を固定化することは日本型企業社会にとって都合がよかった。性役割を固定化することで、「個」よりも集団を優先する会社本位主義的な日本型企業社会は成り立ってきた。しかし、平成不況によって体質転換が迫られている現在、従来の「性別役割分業の上に立つそれなりの男女共生」と、現実の男女を取り巻く環境とのズレは、徐々に顕著になりつつあるのではないだろうか。これだけ変化が激しく先の見えない不安な時代に、性別によって最初に決められた役割分担だけでライフサイクルを考えることは難しくなってきている。性別を超えた、「個」としての生き方を男女共に問われているのではないだろうか。これまでのように、集団の前に「個」としての思いを押し殺すのではなく、まず「個」としてどう生きるか、環境の変化に応じた弾力性のある生き方をすることが男女共に求められている。

 しかし、永年つちかわれてきた男性中心社会は短期間には変わらないであろうし、持てる能力を社会ではなく、家庭のなかで発揮するよう期待され育てられてきた女性自身のジェンダーシステムの内面化という問題がある。性差別を主体的に受け入れ、「性別役割分業の上に立つそれなりの男女共生」システムの上に乗ってしまった方が女性にとって楽だという考え方がある。仕事という苦しみから逃れるために、結婚という幸せを望むなど、主体的に性差別を受け入れているということに気づいてさえいない場合も多々ある。そうした「被差別者の自由」を享受する女性労働者が最も多い階層として、この論文の視点である「OL」を捉えたいと思う。「OL」の多くは、今も日本型企業社会のシステムを知る機会にめぐまれていないのではないだろうか。第一章の最初に述べたように、「OL」はこれまで理想とされてきた女性と職業の関係を象徴する階層だと考えられる。

 現在の「OL」のジェンダーシステムの内面化を考えるために、次の章では、労働市場において女性を男性と異なる「性」として扱ってきた日本的経営システムと女性労働者との関係の、歴史的な流れを概観したいと思う。


引用文献

1)松永真理『なぜ仕事するの?』105頁、角川文庫、2001年。

2)藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』298頁、ミネルヴァ書房、1995年。


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 三年余りかけて参考文献を収集し、さあこれから執筆に入ろうとしていた頃前職のカイシャでは、一般職の常用代替として派遣社員の雇用をすでに加速化させていました。(昨年の派遣法改正の前は違法行為でした。)まさにこの卒論を仕上げようとし始めたのと同時にカイシャは大々的に派遣社員の雇い止めを行いました。各部署で、仕事は減らないのに一人ずつ派遣社員を減らしたのです。タテマエは業務のシステム化に伴う経費削減でした。わたしはその渦に翻弄され、二人分労働の完全オーバーワークの日々が始まりました。わたしが働き始めた頃には、部署内にもうひとり派遣社員をおいていましたが、経費削減のために派遣社員はわたし一人、もう一人がやっていた業務はパートタイマーの二人交代というかたちで代替されることとなったのです。連続性をもつことが多く、その日その日で完結していくような性質の業務ではありませんでした。毎日出社しないとわからないことが多いので本来パートタイマーが交代でやるような性質の業務ではありませんでした。そのために隙間からこぼれ落ちる膨大な量の諸々の雑務をわたしは一身に背負うこととなったのでした。タテマエだけの組織替えが繰り返される中でカイシャに翻弄されたわたしの完全オーバーワークは、結果的にその後七年余りに続くこととなりました。

 カイシャの渦に翻弄されながら書いたこの卒業論文。指導の先生が仰ったように、日々くすぶっていた怒りが書かせたのだと思います。違法派遣と完全オーバーワークは、自分から辞めるって言えなかったので、最終的に使い捨てのモノ扱いというかたちでピリオドが打たれました。その見返りがカイシャとの闘いであり、労働局の文書であり、さらには総務省から届いた文書だったということです。こうしてブログにアップするために読み返したら、また色々な想いが湧き上がってきてしまいました。まだまだ続きます。一人でも読んでくださる方がいらっしゃれば嬉しいです。




こんな本読んでみたい_『戦争中の暮らしの記録-保存版』暮らしの手帖社より

2016年08月20日 08時13分17秒 | 本あれこれ
以前にOTTVAで林田さんが紹介されていました。
太平洋戦争中の日常生活の記録。

過去のいのちがあって、いまのわたしたちのいのちがある。
いのちはつながっている。

断捨離が落ち着いてきたら手に取りたい一冊です。

戦争中の暮しの記録―保存版
クリエーター情報なし
暮しの手帖社

流れる雲は秋の色

2016年08月19日 23時06分09秒 | 日記
 昨夜も夕方ゲリラ豪雨。先ほどまた大きな地震があったし、週明けにまた台風がやってくるみたいだし、なんだかヘンな天候が続いて落ち着きません。お昼休憩でちらっと外に出たときはわりとからっとしているように感じたのですが、やはりムシムシしますね。遠く流れる雲は夏の入道雲から秋のいわし雲へとかわってきています。この空はプリンス・エドワード島に続いているんだ。そう思うと少し気持ちが元気になりました。昨夜はスパの帰り道、10時半ごろ道すがら聞こえてきたのは秋の虫の鳴き声。今朝7時20分頃、駅に向かう途中の道すがら聞こえてきたのも秋の虫の鳴き声。夏の終わりまでもう少し、もう少し・・・。まだまだ昼間は暑いですかね。 

 明日から三連休。そのあとのことを考えるとぞっとしてしまい、いいのかどうかよくわかりません。仕事自体はほんとにおもしろくない、地味すぎるぐらいに地味なので時間が長く感じられます。ものすごい言い方するおばちゃんたちと一緒はげんなり。寄せ集めでバタバタやっているだけなので疲れます。でも他よりはかなりマシなようです。あんまり考えない、気にしない。それしかないです。相も変わらず、休日は観劇予定がなければ部屋にこもって断捨離。誰とも話すことなくせまい部屋で一日の大半を過ごすことになるのでこれはこれで頭がどうにかなりそうな感もあります。でも部屋にいないと断シャリをやることはできないし、まだまだ雑然とモノがあふれかえっているのでもう少しすっきりするまでがんばりたいです。すっきり片付くまでまだまだ時間がかかりそうです。細々した書類を整理しきれないまま、捨てるそばからすぐに新しいものがやってきては増えていく。いつの間にか机の上に積みあがっています。捨てるのにけっこう頭を使うので疲れます。明日もやれるところからやっていきます。少しずつ、少しずつ。本も含めて残るモノを買わないようにしていますが(服は三年間買っていません。ダサいまんま古いものを着ています)、観劇のたびにプログラムは増えていくばかり。これはまだ断捨離できない。もう少し自分がこの世にいる間は楽しめるように残しておきます。減らしているのだからこれぐらいは増えてもいいかな・・・。ブログ更新もまた、あれやこれやとできる範囲でやれるといいなと思います。

 リオオリンピックの真っ最中ですが、世界に目を向ければ今この瞬間も命の危険にさらされている人々がいます。弱い立場の人々を踏みつけにしながら強い者が生き残っていくように社会の仕組みはなっているのです。わたしなんにもできませんが、わたしが想ったところでなにも変わりませんが忘れたくないです。

『ミス・サイゴン』の稽古が始まったようです。げきぴあのこんな記事。またあらためて触れられたらいいなと思っています。
http://community.pia.jp/stage_pia/2016/08/misssaigon2016-01.html

 いろいろと片付いていないことが多くてきりがありませんが夜更かしはきついのでこれぐらいでまた明日。明日の朝無事に目がさめるといいなと思います。またいつかこの世にいる間に秋のプリンス・エドワード島を訪ねたい。ささやかな願いのひとつです。おやすみなさい。





 

二連休でした

2016年08月18日 21時15分38秒 | 日記
 昨日の朝台風による混乱はなかったようですね。わたしは8時頃までぐっすり眠りました。それでも眠くてお昼寝もしてしまいました。出勤のことを心配せずにすんだのは、たまたまですが幸いでした。夜は宝塚OGによる『シカゴ』を観劇。終演後は、NY公演のアフタートークショーもあり、作品自体は好きになれないかなあと思いましたが楽しいひとときでした。物語性よりもほぼダンス公演といって内容でした。30代、40代になっているOGのダンスが素晴らしかったです。これが宝塚の力なんだ。すごい。詳しい観劇日記はまた後日書ければと思います。今日も休みを取ったので、翌日のことを気にすることなくゆるりとした気持ちで観劇できました。これで有給休暇の半分を消化してしまいました。マンションの水漏れで一日使ってしまったのは勿体なかったなあ。まだ先は長いです。

 明日出勤したら、来週の月曜日は次の土曜日出勤分の振替で休みなので三連休。休みばっかりじゃないか、ってか。火曜日から土曜日まで5日間連続勤務。それでもって日曜日だけ休んで月曜日から金曜日までの連続勤務は果てしなく長いのでまた休みを取るつもりです。こうやってなんとか時間が過ぎて行って、その後はどうなっていくんでしょうか。どうやってご飯を食べていくんでしょうか。今はわかりません。具体的にやりたいと思っていることの一つが、カウンセラーの先生から太平洋戦争の時の朝鮮半島からの引き揚げ体験を伺って、文章にまとめること。わたしにやれるかどうかわかりませんが、このブログに綴ることができれば、と考えています。あと『ロミオとジュリエット』『フランケンシュタイン』の観劇予定を入れました。来年のことですが、先行予約でチケットの販売がもう始まっているんですね。お金がでていくことばっかり。どうやって自分にご飯を食べさせることができるのか。いたずらに不安になっても仕方ありませんね。自分を信じて一歩ずつ・・・。

美輪明宏bot ‏@_miwa_akihiro 8月12日
先のことを考えすぎると、取り越し苦労をしたり、誇大妄想に陥ったりして、必ず人生を損します。大切なことはひとつだけ。明日の朝、もしも目が覚めなくても、後悔しないと思える今日を送ればいいのです。






ミュージカル『レディ・ベス』

2016年08月18日 15時23分25秒 | ミュージカル・舞台・映画
ミュージカル『レディ・ベス』


2014年4月-5月に帝劇で上演された『レディ・べス』の写真をこうやく整理しました。
よろしかったらご覧ください。

涙・・・

2016年08月17日 09時34分50秒 | 日記
卓球女子団体、銅メダル。おめでとうございます。よかった。三位と四位は残酷すぎるほどに違う。それぞれご本人たちにしかわからない想いがあると思います。愛ちゃんが自分を責める姿をみることにならなくてよかったとほっとしています。健闘をたたえ、お疲れさまでしたとねぎらいたい。


茂木健一郎 ‏@kenichiromogi 2時間
2時間前

参加した選手の方にうかがうと、4年に1度のオリンピックは、通常の国際大会とは違った、異様な雰囲気、プレッシャーなのだという。極限状況の中でパズルのピースがはまって流れる涙は、その当事者の選手だけでなく、観る者にとっても、一生忘れない、そんな特別な記憶になり、これからも育っていく。

茂木健一郎 ‏@kenichiromogi 2時間
2時間前

悲しい映画を見たり、悲劇のドラマを観たりしてもらい泣きする涙も、もちろんいいが、ほんとうにいい涙は、自分の人生で、さまざまなパズルのピースがはまった、その瞬間に流れる涙だろう。今回の愛ちゃんの涙は、そんな涙だった。

茂木健一郎 ‏@kenichiromogi 2時間
2時間前

巨人を熱望しながら、PL学園の同僚の桑田さんが入ったことで西武に行った清原選手が、二年目の日本シリーズで、その巨人を相手にあと1アウトで日本一、という時に、一塁の守備についている時に「清原が泣いています」と号泣した、あの涙は、まさに、ジグソーパズルのピースがはまった涙だった。

茂木健一郎 ‏@kenichiromogi 2時間
2時間前

涙にもいろいろあるが、さまざまな要素が揃って、いわば、ジグソー・パズルのピースがすべてはまったような、そんな瞬間の涙がある。そのような涙は、いわば、一生のメモリアルなのであって、ずっと記憶に残る。

茂木健一郎 ‏@kenichiromogi 2時間
2時間前

卓球の福原愛選手が、リオ五輪で団体の銅メダルを獲得したあとのインタビューで、泣いて、それを見ていたNHKの女性キャスターもまた、「もらい泣き」をした。このような時の涙は、いいものである。最高の涙だと言うことができるだろう。

台風通過中・・・

2016年08月16日 22時37分41秒 | 日記
 台風通過中。ものすごい湿度ですね。冷房のきんきんと外に出た時の、パラオに行ったときのようなもあっとした熱帯との温度差がものすごく体にこたえます。いやはやほんとにきつい。昨日はお昼休憩が13時半から。遅すぎるので少なめに食べるようにしています。今日は11時半から。早すぎるのでたくさん食べないともちません。2時間の時差でどかっと食べたのでなんか調子よくありません。なんというかリズムが安定しないのです。体に悪いですね。でもまあ、二年前の今頃と比べて体重が5キロも増えたのだから、前職ほど心身をすり減らしてはいないっていうことなんでしょうね。体重が43キロもあるって10年ぶりぐらいのような気がします。二人分労働と勉強との両立の日々。ずっと38、39キロあたりをさまよっていました。40キロを切ると体に力が入っていませんでした。気力で生きてきました。前職での完全オーバーワークの日々。自分ながらよく倒れなかったもんだとあらためて思います。一昨日エネルギーを振り絞ってカフェで、もうひとつのブログを久しぶりに更新しました。自分の部屋ではまともに読めない文書。いや外でもまともに読むのにはあたいしない文書だと思います。こういうものを読むのは、あんまり精神的によくありません。もう抜け出していかなければ、と思います。悪玉の顔を思い出すと今も吐き気がしそう、具合が悪くなりそう。こうしてわたしが元気でいることがいちばんの復讐なのだからもう抜け出していかなければ、と思います。ただ事実は事実。社会が弱い立場の人間を踏み倒していくようになっていることを知ってほしいという想いがあって更新しました。司法も行政も正義ではないのでどうしようもないんです、ほんとに。そもそもなにが正義なんだか・・・。考え始めると終わらないのでやめておきます。

 今日の帰宅時。女性の車掌さんが電車に乗って働く姿をみてかっこいいなあ、自分がはじめて就職した頃はこういう選択肢はなかったよなあ、ってふと思いました。最近は大型の路線バスのハンドルを握る女性の姿も見かけるようになりましたが、電車もバスも二十数年前までは男の職場でした。車掌も運転士も男の仕事でした。考えてみればなぜなんでしょうね。なぜこういう職種の選択肢が女性にはなかったんでしょうね。はじめて就職した時、職種を選ぶというよりは働く組織を選ぶようなそんな意識をおのずと持っていました。男の仕事、女の仕事、という意識も潜在的にありました。周りが全部そうでした。そういうことしか教えられませんでした。なんで女だから単純作業を押し付ければいいんでしょうかね。前職でくすぶり続けた怒りでした。

 出勤日は相変わらずの睡眠不足気味。あと15分早く就寝すればいいだけなのにちっともできない毎日の積み重ねであまり頭が回っていない状態からの徒然でした。明日と明後日はたまたま有給休暇を取っているので、明日の朝の出勤の心配をしなくてもいいです、ホッ!夕方には晴れるといいな・・・。