今日の午前中、職場で健康診断がありました。健康診断は毎回採決が一番緊張します。数年前、採血の後血の気がひいてしまいくらくらとなったことがあります。それ以来、採血は横になってやってもらうにしています。今日も過去に具合が悪くなった経験があることを申し出て、横になって採血してもらいましたが、案の定終わった後血の気がひいて顔色が悪くなってしまったようです。健診センターの方が心配してくれましたがしばらく休んでお昼もしっかりといただいたら回復しました。
振り返ってみると、ここ10年ほど前職の会社で完全オーバーワークの二人分労働をこなしながら、通信教育で大学を卒業し、その後夜間カウンセリングスクールに通い、その後精神保健福祉士の国家試験の勉強をして、と仕事も勉強も頑張り続けていたら、気がついた時には体重が40キロを切っていました。2時に就寝して7時に起床し出勤する日々。健康診断の度に39キロ前後を推移し、やせすぎと診断書に書かれ続けてきました。この身がすり減っていくような毎日を送っていました。二年前の3月に会社(名目上は派遣先)から使い捨て同然のモノ扱いを受けたので損害賠償を求めたら闘いとなってしまい、さらにさらに心身をすり減らしてしまうこととなりました。これまでの人生の中で経験したことがない極度の緊張感の日々を過ごすうちに、二年前の今頃はとうとう体重が38キロを切ってしまいました。気力で生きる日々でした。会社に責任を認めさせることができないまま、最後はズタズタになり気力が尽き果ててどうにも身動きのとれなくなった自分がいました。前職の会社は心身共に本当に私をすり減らしました。
今日は二年前から比べるとなんと5キロも体重が増えていました。ずたずたにすり減った日々のあったことがだんだんとうそのように自分の中から遠ざかりつつあることを実感しています。朝が早くなったので夜更かしすることができなくなったのも大きいかもしれません。あのまま前職の会社で働き続けていたら体をこわしていた可能性有。いつか終わりは訪れるべきだったのだと冷静に振り返ってみて思います。二年前の今頃は再び働く自分の姿を全く想像することができませんでした。それから二年。想定外の接客業、むずかしい責任者等々、ずたずたにすり減って自分が続けられるとは思えないような要因だらけですが、なんとか半年間続けることができました。仕事自体は面白くないので、まだあと5か月もあることを思うとうんざりですが、この仕事をしなかったら知りえなかったこともたくさんあって色々と勉強にはなるので、ここまできたら最後までやるしかないと思っています。
社会から孤立したまま怒りと悔しさのマグマだけが吹き溜まり自分で自分を持て余してしまっていた日々からここまで回復することができました。元のわたしに戻ったのではなく、はからずもそれまで知らなかった多くのことを知った新しいわたし。えらいですね。自分で自分をほめてあげます。そして、このまま前職の会社から使い捨てられたわたしだけで終わりたくありません。一年前ある方が言ってくださった、「会社は無傷で逃げ切ったようにみえてあなたが思っているよりも傷を負っているはず、ただ残念ながらあなたはそれを知ることができないだけ。きっとこれからどこかでだれかのためになっていくはず」という言葉をを思い出します。会社ときたない金でわたしを誹謗中傷した弁護士に対するわたしの最大の復讐はわたしが元気でいることなんだと思います。わたしが生き生きと過ごしていることなんだと思います。日本という国にあまり希望をもてませんが、それでも数々の苦労の経験値が無駄ではなかったと思えるような、そんな道が自分の前に開けてくることを信じたいです。
There was always the bend in the road!
「道には、いつも曲がり角があり、その向こうには新しい世界が広がっているのだ!」
(L・M・モンゴメリ、松本侑子訳『赤毛のアン』最終章より)
振り返ってみると、ここ10年ほど前職の会社で完全オーバーワークの二人分労働をこなしながら、通信教育で大学を卒業し、その後夜間カウンセリングスクールに通い、その後精神保健福祉士の国家試験の勉強をして、と仕事も勉強も頑張り続けていたら、気がついた時には体重が40キロを切っていました。2時に就寝して7時に起床し出勤する日々。健康診断の度に39キロ前後を推移し、やせすぎと診断書に書かれ続けてきました。この身がすり減っていくような毎日を送っていました。二年前の3月に会社(名目上は派遣先)から使い捨て同然のモノ扱いを受けたので損害賠償を求めたら闘いとなってしまい、さらにさらに心身をすり減らしてしまうこととなりました。これまでの人生の中で経験したことがない極度の緊張感の日々を過ごすうちに、二年前の今頃はとうとう体重が38キロを切ってしまいました。気力で生きる日々でした。会社に責任を認めさせることができないまま、最後はズタズタになり気力が尽き果ててどうにも身動きのとれなくなった自分がいました。前職の会社は心身共に本当に私をすり減らしました。
今日は二年前から比べるとなんと5キロも体重が増えていました。ずたずたにすり減った日々のあったことがだんだんとうそのように自分の中から遠ざかりつつあることを実感しています。朝が早くなったので夜更かしすることができなくなったのも大きいかもしれません。あのまま前職の会社で働き続けていたら体をこわしていた可能性有。いつか終わりは訪れるべきだったのだと冷静に振り返ってみて思います。二年前の今頃は再び働く自分の姿を全く想像することができませんでした。それから二年。想定外の接客業、むずかしい責任者等々、ずたずたにすり減って自分が続けられるとは思えないような要因だらけですが、なんとか半年間続けることができました。仕事自体は面白くないので、まだあと5か月もあることを思うとうんざりですが、この仕事をしなかったら知りえなかったこともたくさんあって色々と勉強にはなるので、ここまできたら最後までやるしかないと思っています。
社会から孤立したまま怒りと悔しさのマグマだけが吹き溜まり自分で自分を持て余してしまっていた日々からここまで回復することができました。元のわたしに戻ったのではなく、はからずもそれまで知らなかった多くのことを知った新しいわたし。えらいですね。自分で自分をほめてあげます。そして、このまま前職の会社から使い捨てられたわたしだけで終わりたくありません。一年前ある方が言ってくださった、「会社は無傷で逃げ切ったようにみえてあなたが思っているよりも傷を負っているはず、ただ残念ながらあなたはそれを知ることができないだけ。きっとこれからどこかでだれかのためになっていくはず」という言葉をを思い出します。会社ときたない金でわたしを誹謗中傷した弁護士に対するわたしの最大の復讐はわたしが元気でいることなんだと思います。わたしが生き生きと過ごしていることなんだと思います。日本という国にあまり希望をもてませんが、それでも数々の苦労の経験値が無駄ではなかったと思えるような、そんな道が自分の前に開けてくることを信じたいです。
There was always the bend in the road!
「道には、いつも曲がり角があり、その向こうには新しい世界が広がっているのだ!」
(L・M・モンゴメリ、松本侑子訳『赤毛のアン』最終章より)