たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

今日は金曜日でした

2016年08月12日 21時11分27秒 | 日記
 明日も出勤なので、朝わたしの頭の中は完全に木曜日になっていました。金曜日は紙ごみの回収日なので明日の朝出さなきゃと思いながらマンションを出るとごみ収集場所の前にはたくさんの紙ごみが・・・。今日は金曜日でした、と気づいた次第です。部屋に戻るだけの余裕はなく、わたしの部屋の資源ごみの回収は来週の金曜日まで持ち越しとなりました。長い間体にしみついた感覚ってすごいですね。かなり意識しないと変えることはむずかしいです。ましてや毎週同じリズムの繰り返しではないのでやはり大変です。気がつけばあと4か月半。長いなあ。やれるかなあ。ここまできたらやるしかないですけどね。わたしもおばちゃんですが、わたしよりもおばちゃんのわがままな方たちと一緒はほんとに大変。でも聞けばほかの就労場所では人間関係のこじれにより、就労開始から一カ月余りで辞める人が出たりしているそうなのでわたしの環境はまだマシみたいです。そもそも無理のある矛盾だらけのやり方なのでそういうケースが出るのも無理はないなあと思います。わたしはまだマシ。次へとつながる道があることを心から願うばかりです。

 朝は曇り空。お昼に外に出ると青空と雲。夏の入道雲じゃない雲。すぐ近くの神社で見上げながら春のプリンス・エドワード島で高い空を見上げたことを思い出しました。夕方業務が終わって外に出た時も青空。最寄り駅まで帰ってきて外に出るとなんとなく雨が降りそうな曇り空。夜になって雨の音。それでもって明日はまた30度超え。エリザベート上演中の福岡は36度の予想。急な雷だったりゲリラ豪雨だったり。地球が怒っているのではないかと心配です。明日はなんとか一日が無事に終わっていくことを願うばかりです。

 今日は鎮魂の日・・・。


熊沢誠『女性労働と企業社会』より(2)

2016年08月12日 09時57分28秒 | 本あれこれ
「あるOLの退職

 一九七年三月、高村由美(仮名)は高校を卒業して住友金属工業に入社し、約三年の勤務ののち、退社した。「より高度な課題に挑戦しやりとげ、自分の成長を実感する・・・喜び」が、「一日の大半を過ごす職場生活の中に・・・全くなかった」からだ。同期の新入女性社員は高卒四人、他は短大、大学卒の計二三人。彼女は二、三週間、電話の応対、パソコン使用、製造所への一日見学などの研修を受けた後、「中長期の経営計画や技術開発計画の立案、各製造所から申請された設備投資や遊休設備の廃却の承認、そして承認された各工事の予算面からの進捗状況の管理など」を業務とする「 管理部企業課」に配属される。しかし、高村自身の仕事は、各工事の「支出予算の半期ごとの集計、部長秘書、ワープロによる文書作成やコピーなどの男性の補助業務、お茶汲みなどの雑務」だった。

もっとも当時は円高不況のなか、資産のスリム化をめざす遊休設備の廃却の申請が例外的に多く、男性の担当者だけでは業務をこなせないところから、高村も入社一年くらいは、一週間に三―四件ほど設備廃却の起案を書いている。それは「私が在職中一番やりがいを感じた仕事だった」 。しかし同時に高村は、この仕事がよくこなすに必要なさまざまな設備の構造や役割に関する研修をOLはまつたぐ受けるこどがなかったことに気づかされる。その知識を会得させる懇切な指導もなく、わからないことにぶつかると、それまでやってきた起案は男性の担当者にまわされてしまう・・・。こうした焦立ちのうちに例外的な時期は終り、高村の日常の仕事 はふたたび、頼まれた文章のワープロ、コピー、フアイル、出張手続き、勤怠管理、会議の準備や後かたづけなど、補助業務と雑務に限定されるのである。「かなり年配の女性たち」もふくめて、能力や意欲にかかわらず、このようにかたい枠で区切られた補助業務・雑務を笑顔でこなすことが女性社員に求められる役割であった。

 電話番号の変更のとき、高村は電話機に各製造所の番号を記した新しいシールを貼る仕事を命じられる。彼女は、社員のなかには朝、非常に早くから電話で仕事をする人もいることを考えて、当日の朝に各自で貼ってもらおうと前日、各自にシールを配布する。その合理的な措置に対して、課長は「 これ(シール)を自分たち(男性社員)に貼れ、と言うのか? 君が貼らん か!」と激怒したものだ。「たかがシール 」である。しかし男社会、鉄鋼会社の男性課長には、されどシールだったのだ。

やりがいのない仕事への緊縛だけでなく、収入も低かった。学歴差別とその年の「一時帰休制」の影響があったかもしれないが、手取り賃金も最初の年は一0万円未満、昇給は年二〇〇〇-三〇〇〇円程度.それは「貧しい家庭に育」ち、「生活基盤を確立することの重要性を人一倍実感してき」た高村には、苦笑してすませられない水準だっ た。その上、たとえば宴会ではOLはばらばらに男性、とりわけ部長や課長の横に座るよう強制されるといった「セクハラ的常識」もいやだった。やはり男社会の労働組合が主催する新入社員歓迎会では、各自が口につまようじをくわえ(組合役員の男性もまじえて二列に並び、「各列毎に輪ゴムをつまようじからつまようじに渡してリレーする」ゲームも行われた。「おぞましい 」と高村は書いている。

長く勤めても仕事内容や賃金がさして 改善されるわけではないと悟ったOLたちの対応は、実にさまざまであると高付は言う。同期入社の女性のなかには退社してスチュワーデスに転職する人、また先輩のなかにはアメリカに留学する人もあらわれる。会社に残る人の なかには、「仕事で能力を発揮する」ことを諦めて 結婚・ 出産退職を待つ人もあった。はじめから結婚・ 出産退職を決めていたというよりは、そう考えるよう職場の体験が促したのだ。ストレスから過食になり、その後、拒食症になった女性もいた。「 退職する前の私も・・・出勤すると倦怠感と気分の悪さに 襲われ、帰宅するため会社を出るとスッキリするという毎日」だった。こうして 高村は、入社四年日に入るとすぐ退職を決意するに至る (以上、住友金属裁判 陳述書二〇〇〇)。」


(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第二章企業社会のジェンダー状況_五つのライフヒストリー、2000年10月20日、岩波新書発行、31-34頁より引用しています。)


ネットを検索したらこんなウエブサイトが。
住友金属男女差別裁判勝たせる会のホームページ
www.k2.dion.ne.jp/~sumikins



女性労働と企業社会 (岩波新書)
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