2016年8月22日、オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵『ルノワール展』にて。
写真の絵は「モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会にて」。
1876年/油彩、カンヴァス/131.5×176.5㎝/オルセー美術館所蔵。
「絵は楽しいものでなければならない」と考えたルノワールは、労働者、ブルジョワ・・・色々な階級の人々が集う酒場の様子を明るく生き生きと描きました。市井の人々に大きく光をあてた作品。『1789バスティーユの恋人たち』の舞台で描かれたフランス革命から87年後と考えると感慨深いものがありました。同じ酒場を外から描いたゴッホの絵も展示されていましたが抽象的でルノワールの明るい絵と対照的だと思いました。地面の木漏れ日がブルーで描かれたのは初めてのことで批判もあったという音声ガイドの解説でした。(記憶がちょっとあやふや・・・)。
「人びとの人生を生きる喜びが清新に感じられる一点である。クローズ・アップされてくるのは、人間的空間であり、人と人とのさまざまな触れ合いと交わりだ。人生を謳歌している人びとがルノワールによって描かれている。言葉を交わしている人たち、踊っているカップル・・・、人びとのさまざまなポーズや表情、まなざし、服装、帽子が目に入る。ざわめきが聞こえてきそうだ。
日常生活の光景、楽しみごとの一場面が表現されている。パリ、モンマルトルの丘にあった憩いと楽しみの場所、ムーラン=ド=ラ=ギャレットの情景と雰囲気が、みごとに描かれている。この絵をムーラン=ド=ラ=ギャレットにおけるパリの風景、あるいはモンマルトル風景を描いた風俗画と呼ぶこともできるだろう。
談笑している人びとが描かれている場面と、ダンスを楽しんでいる画面がはっきりと区分されている。画面の右上のコーナーから左下隅にいたる線を引いてみると、空間の相違が一目瞭然だ。姿をみせている人びとの向き、視線に見られる方向性と表情などにも、こまごまとした心くばりがおこなわれている。この絵の隅々にルノワールの目が光っている。右手前に横向きの男性が椅子に左手をかけた状態で描かれている。彼の肘のあたりに女性が手の先でつまんでいる花が描かれている。そして、なんとさまざまな帽子が描かれていることだろう。画面の左下隅には親子が描かれているのだろうか。踊っている人びとのポーズはさまざまだ。左手、奥の方に小さなステージがあって、楽団が姿を見せている。ダンス・ミュージックが演奏されているのだろうか。
ある意味では、これは人波の絵だ。街頭の人波では人びとはほとんど匿名の状態にあるが、この絵に姿をみせている人びとは、どれほど互いに面識があるのか。人間関係、人びとそれぞれのアイデンティティ(存在証明)が注目される絵だ。この絵には、カップルがどれくらい姿を見せているのだろう。友人関係にある人びと、恋人たち、親子など、日常的世界において人間のつながりが目に入ってくる。
右手前は木陰になっているが、木の葉をとおして光が射しこんできている。昼間の風景だが、夜は夜で別なにぎわいが見られたのだろう。この絵が描かれた当時、モンマルトルの丘にはまだ郊外の趣がいくらか、あるいは、かなり漂っていたのではないかと思われる。このあたりは行楽の地といった様相を見せていたのではないだろうか。パリの市中、特に中心部とはかなり雰囲気が異なっていたはずだ。
(略)
にぎやかな情景が描かれている。絵は音を発しないが、画面を注意深く眺めると、さまざまな音や響きがあふれていることが分かる。ルノワールは、ムーラン=ド=ラ=ギャレットの雰囲気と光景、人びとの生活情景、モンマルトルの風景を、音風景が感じられるほどみごとに描いている。」
(山岸健著『絵画を見るということ』NHKブックス、1997年第一刷発行より引用しています。)
絵葉書を購入しました。
写真の絵は「モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会にて」。
1876年/油彩、カンヴァス/131.5×176.5㎝/オルセー美術館所蔵。
「絵は楽しいものでなければならない」と考えたルノワールは、労働者、ブルジョワ・・・色々な階級の人々が集う酒場の様子を明るく生き生きと描きました。市井の人々に大きく光をあてた作品。『1789バスティーユの恋人たち』の舞台で描かれたフランス革命から87年後と考えると感慨深いものがありました。同じ酒場を外から描いたゴッホの絵も展示されていましたが抽象的でルノワールの明るい絵と対照的だと思いました。地面の木漏れ日がブルーで描かれたのは初めてのことで批判もあったという音声ガイドの解説でした。(記憶がちょっとあやふや・・・)。
「人びとの人生を生きる喜びが清新に感じられる一点である。クローズ・アップされてくるのは、人間的空間であり、人と人とのさまざまな触れ合いと交わりだ。人生を謳歌している人びとがルノワールによって描かれている。言葉を交わしている人たち、踊っているカップル・・・、人びとのさまざまなポーズや表情、まなざし、服装、帽子が目に入る。ざわめきが聞こえてきそうだ。
日常生活の光景、楽しみごとの一場面が表現されている。パリ、モンマルトルの丘にあった憩いと楽しみの場所、ムーラン=ド=ラ=ギャレットの情景と雰囲気が、みごとに描かれている。この絵をムーラン=ド=ラ=ギャレットにおけるパリの風景、あるいはモンマルトル風景を描いた風俗画と呼ぶこともできるだろう。
談笑している人びとが描かれている場面と、ダンスを楽しんでいる画面がはっきりと区分されている。画面の右上のコーナーから左下隅にいたる線を引いてみると、空間の相違が一目瞭然だ。姿をみせている人びとの向き、視線に見られる方向性と表情などにも、こまごまとした心くばりがおこなわれている。この絵の隅々にルノワールの目が光っている。右手前に横向きの男性が椅子に左手をかけた状態で描かれている。彼の肘のあたりに女性が手の先でつまんでいる花が描かれている。そして、なんとさまざまな帽子が描かれていることだろう。画面の左下隅には親子が描かれているのだろうか。踊っている人びとのポーズはさまざまだ。左手、奥の方に小さなステージがあって、楽団が姿を見せている。ダンス・ミュージックが演奏されているのだろうか。
ある意味では、これは人波の絵だ。街頭の人波では人びとはほとんど匿名の状態にあるが、この絵に姿をみせている人びとは、どれほど互いに面識があるのか。人間関係、人びとそれぞれのアイデンティティ(存在証明)が注目される絵だ。この絵には、カップルがどれくらい姿を見せているのだろう。友人関係にある人びと、恋人たち、親子など、日常的世界において人間のつながりが目に入ってくる。
右手前は木陰になっているが、木の葉をとおして光が射しこんできている。昼間の風景だが、夜は夜で別なにぎわいが見られたのだろう。この絵が描かれた当時、モンマルトルの丘にはまだ郊外の趣がいくらか、あるいは、かなり漂っていたのではないかと思われる。このあたりは行楽の地といった様相を見せていたのではないだろうか。パリの市中、特に中心部とはかなり雰囲気が異なっていたはずだ。
(略)
にぎやかな情景が描かれている。絵は音を発しないが、画面を注意深く眺めると、さまざまな音や響きがあふれていることが分かる。ルノワールは、ムーラン=ド=ラ=ギャレットの雰囲気と光景、人びとの生活情景、モンマルトルの風景を、音風景が感じられるほどみごとに描いている。」
(山岸健著『絵画を見るということ』NHKブックス、1997年第一刷発行より引用しています。)
絵葉書を購入しました。
絵画を見るということ―私の美術手帖から (NHKブックス) | |
山岸 健 | |
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