敗戦以後、日本人が作り上げた日本型企業社会とは、経営者と労働者との社会関係が構造的には温情主義的・ゲマインシャフト的な感情的相互融合を持つものであった。「終身雇用制」、「年功序列賃金」、「企業内組合」の三つを柱とした労使関係は、一見自主的に見えるが実は半ば強制的に長時間労働を行う男性の会社人間を作り上げた。会社本位主義は、高度経済成長期を経て、低成長期も乗り切ってきた。一つの目標に向かって、一つの集団が唸りを上げて突進してゆくさまは、血湧き肉躍るものがあった。家庭に妻と子どもを取り残して、壮年期の男性を中心とする構成員は、利益という獲物を鷲摑みにしようと躍起になり、かつ連帯してきた。
しかし、1990年代の初めに始まった平成不況は、日本的経営システムの根幹を揺るがし、その経営体質の転換を迫っている。会社本位主義は揺らぎ、これまでのような日本的経営システムを維持することは難しくなってきているのだ。栄華を誇ってきた日本のリーディングカンパニーの多くが今や血液中にコレステロールをため、糖尿病の持病と闘い、自分の体の大きさをもてあましている。その様は百年かけて滅亡していったマンモスの姿に例えられる。1)
バブル崩壊後の1993年初め、企業の希望退職、早期退職など雇用調整の動きがホワイトカラーの管理職をターゲットに本格化した。平成不況下の雇用調整は、縁辺労働力としてのパートや派遣を雇用の調整弁として活用しているが、この動向のなかで注目されるのが、女性労働者の活用とこれと裏腹な排除である。平成不況は、広い業種にわたり企業規模の別なく、その影響を拡大しつつあるが、女性労働に対しては活用と排除が表裏一体で進行しつつある。2)
筆者が現在勤務する建設コンサルタント会社では、立場の弱い派遣社員を削減する一方で、フレキシブルな労働供給である主婦のパートタイマーに依存する方向へと進んでいる。まず、女性が雇用調整弁として便利に用いられることを如実に物語るものである。
日本型企業社会の出発点は、男女の性別で役割を固定化し、固定化された性役割にそった男女それぞれのライフコースを歩むことにあった。個人ではなく家族単位で社会保障制度や福利厚生が考えられてきたために、性役割を固定化することは日本型企業社会にとって都合がよかった。性役割を固定化することで、「個」よりも集団を優先する会社本位主義的な日本型企業社会は成り立ってきた。しかし、平成不況によって体質転換が迫られている現在、従来の「性別役割分業の上に立つそれなりの男女共生」と、現実の男女を取り巻く環境とのズレは、徐々に顕著になりつつあるのではないだろうか。これだけ変化が激しく先の見えない不安な時代に、性別によって最初に決められた役割分担だけでライフサイクルを考えることは難しくなってきている。性別を超えた、「個」としての生き方を男女共に問われているのではないだろうか。これまでのように、集団の前に「個」としての思いを押し殺すのではなく、まず「個」としてどう生きるか、環境の変化に応じた弾力性のある生き方をすることが男女共に求められている。
しかし、永年つちかわれてきた男性中心社会は短期間には変わらないであろうし、持てる能力を社会ではなく、家庭のなかで発揮するよう期待され育てられてきた女性自身のジェンダーシステムの内面化という問題がある。性差別を主体的に受け入れ、「性別役割分業の上に立つそれなりの男女共生」システムの上に乗ってしまった方が女性にとって楽だという考え方がある。仕事という苦しみから逃れるために、結婚という幸せを望むなど、主体的に性差別を受け入れているということに気づいてさえいない場合も多々ある。そうした「被差別者の自由」を享受する女性労働者が最も多い階層として、この論文の視点である「OL」を捉えたいと思う。「OL」の多くは、今も日本型企業社会のシステムを知る機会にめぐまれていないのではないだろうか。第一章の最初に述べたように、「OL」はこれまで理想とされてきた女性と職業の関係を象徴する階層だと考えられる。
現在の「OL」のジェンダーシステムの内面化を考えるために、次の章では、労働市場において女性を男性と異なる「性」として扱ってきた日本的経営システムと女性労働者との関係の、歴史的な流れを概観したいと思う。
引用文献
1)松永真理『なぜ仕事するの?』105頁、角川文庫、2001年。
2)藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』298頁、ミネルヴァ書房、1995年。
*************************
三年余りかけて参考文献を収集し、さあこれから執筆に入ろうとしていた頃前職のカイシャでは、一般職の常用代替として派遣社員の雇用をすでに加速化させていました。(昨年の派遣法改正の前は違法行為でした。)まさにこの卒論を仕上げようとし始めたのと同時にカイシャは大々的に派遣社員の雇い止めを行いました。各部署で、仕事は減らないのに一人ずつ派遣社員を減らしたのです。タテマエは業務のシステム化に伴う経費削減でした。わたしはその渦に翻弄され、二人分労働の完全オーバーワークの日々が始まりました。わたしが働き始めた頃には、部署内にもうひとり派遣社員をおいていましたが、経費削減のために派遣社員はわたし一人、もう一人がやっていた業務はパートタイマーの二人交代というかたちで代替されることとなったのです。連続性をもつことが多く、その日その日で完結していくような性質の業務ではありませんでした。毎日出社しないとわからないことが多いので本来パートタイマーが交代でやるような性質の業務ではありませんでした。そのために隙間からこぼれ落ちる膨大な量の諸々の雑務をわたしは一身に背負うこととなったのでした。タテマエだけの組織替えが繰り返される中でカイシャに翻弄されたわたしの完全オーバーワークは、結果的にその後七年余りに続くこととなりました。
カイシャの渦に翻弄されながら書いたこの卒業論文。指導の先生が仰ったように、日々くすぶっていた怒りが書かせたのだと思います。違法派遣と完全オーバーワークは、自分から辞めるって言えなかったので、最終的に使い捨てのモノ扱いというかたちでピリオドが打たれました。その見返りがカイシャとの闘いであり、労働局の文書であり、さらには総務省から届いた文書だったということです。こうしてブログにアップするために読み返したら、また色々な想いが湧き上がってきてしまいました。まだまだ続きます。一人でも読んでくださる方がいらっしゃれば嬉しいです。
しかし、1990年代の初めに始まった平成不況は、日本的経営システムの根幹を揺るがし、その経営体質の転換を迫っている。会社本位主義は揺らぎ、これまでのような日本的経営システムを維持することは難しくなってきているのだ。栄華を誇ってきた日本のリーディングカンパニーの多くが今や血液中にコレステロールをため、糖尿病の持病と闘い、自分の体の大きさをもてあましている。その様は百年かけて滅亡していったマンモスの姿に例えられる。1)
バブル崩壊後の1993年初め、企業の希望退職、早期退職など雇用調整の動きがホワイトカラーの管理職をターゲットに本格化した。平成不況下の雇用調整は、縁辺労働力としてのパートや派遣を雇用の調整弁として活用しているが、この動向のなかで注目されるのが、女性労働者の活用とこれと裏腹な排除である。平成不況は、広い業種にわたり企業規模の別なく、その影響を拡大しつつあるが、女性労働に対しては活用と排除が表裏一体で進行しつつある。2)
筆者が現在勤務する建設コンサルタント会社では、立場の弱い派遣社員を削減する一方で、フレキシブルな労働供給である主婦のパートタイマーに依存する方向へと進んでいる。まず、女性が雇用調整弁として便利に用いられることを如実に物語るものである。
日本型企業社会の出発点は、男女の性別で役割を固定化し、固定化された性役割にそった男女それぞれのライフコースを歩むことにあった。個人ではなく家族単位で社会保障制度や福利厚生が考えられてきたために、性役割を固定化することは日本型企業社会にとって都合がよかった。性役割を固定化することで、「個」よりも集団を優先する会社本位主義的な日本型企業社会は成り立ってきた。しかし、平成不況によって体質転換が迫られている現在、従来の「性別役割分業の上に立つそれなりの男女共生」と、現実の男女を取り巻く環境とのズレは、徐々に顕著になりつつあるのではないだろうか。これだけ変化が激しく先の見えない不安な時代に、性別によって最初に決められた役割分担だけでライフサイクルを考えることは難しくなってきている。性別を超えた、「個」としての生き方を男女共に問われているのではないだろうか。これまでのように、集団の前に「個」としての思いを押し殺すのではなく、まず「個」としてどう生きるか、環境の変化に応じた弾力性のある生き方をすることが男女共に求められている。
しかし、永年つちかわれてきた男性中心社会は短期間には変わらないであろうし、持てる能力を社会ではなく、家庭のなかで発揮するよう期待され育てられてきた女性自身のジェンダーシステムの内面化という問題がある。性差別を主体的に受け入れ、「性別役割分業の上に立つそれなりの男女共生」システムの上に乗ってしまった方が女性にとって楽だという考え方がある。仕事という苦しみから逃れるために、結婚という幸せを望むなど、主体的に性差別を受け入れているということに気づいてさえいない場合も多々ある。そうした「被差別者の自由」を享受する女性労働者が最も多い階層として、この論文の視点である「OL」を捉えたいと思う。「OL」の多くは、今も日本型企業社会のシステムを知る機会にめぐまれていないのではないだろうか。第一章の最初に述べたように、「OL」はこれまで理想とされてきた女性と職業の関係を象徴する階層だと考えられる。
現在の「OL」のジェンダーシステムの内面化を考えるために、次の章では、労働市場において女性を男性と異なる「性」として扱ってきた日本的経営システムと女性労働者との関係の、歴史的な流れを概観したいと思う。
引用文献
1)松永真理『なぜ仕事するの?』105頁、角川文庫、2001年。
2)藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』298頁、ミネルヴァ書房、1995年。
*************************
三年余りかけて参考文献を収集し、さあこれから執筆に入ろうとしていた頃前職のカイシャでは、一般職の常用代替として派遣社員の雇用をすでに加速化させていました。(昨年の派遣法改正の前は違法行為でした。)まさにこの卒論を仕上げようとし始めたのと同時にカイシャは大々的に派遣社員の雇い止めを行いました。各部署で、仕事は減らないのに一人ずつ派遣社員を減らしたのです。タテマエは業務のシステム化に伴う経費削減でした。わたしはその渦に翻弄され、二人分労働の完全オーバーワークの日々が始まりました。わたしが働き始めた頃には、部署内にもうひとり派遣社員をおいていましたが、経費削減のために派遣社員はわたし一人、もう一人がやっていた業務はパートタイマーの二人交代というかたちで代替されることとなったのです。連続性をもつことが多く、その日その日で完結していくような性質の業務ではありませんでした。毎日出社しないとわからないことが多いので本来パートタイマーが交代でやるような性質の業務ではありませんでした。そのために隙間からこぼれ落ちる膨大な量の諸々の雑務をわたしは一身に背負うこととなったのでした。タテマエだけの組織替えが繰り返される中でカイシャに翻弄されたわたしの完全オーバーワークは、結果的にその後七年余りに続くこととなりました。
カイシャの渦に翻弄されながら書いたこの卒業論文。指導の先生が仰ったように、日々くすぶっていた怒りが書かせたのだと思います。違法派遣と完全オーバーワークは、自分から辞めるって言えなかったので、最終的に使い捨てのモノ扱いというかたちでピリオドが打たれました。その見返りがカイシャとの闘いであり、労働局の文書であり、さらには総務省から届いた文書だったということです。こうしてブログにアップするために読み返したら、また色々な想いが湧き上がってきてしまいました。まだまだ続きます。一人でも読んでくださる方がいらっしゃれば嬉しいです。