たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』より(3)

2014年09月16日 21時45分44秒 | 竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』
「雇用機会均等法に対する当時の経済界の激しい危機感と、「日本経済は女性を使うことで成り立ってきた」との冷静な指摘は、一見矛盾するように見える、しかし、この二つの立場は、実は同じことを言っているのかもしれない、と私は気づいた。
 
 女性は家庭にいてほしい。しかし、これだけでは正解ではない。同時に、外で働いてもらわなければ困るのである。ただし、男性と変らない質の仕事をより安い賃金でこなし、好況時には登場するが不況の際には黙って退場してくれる限りは。さらに、働く合間に子供を育てて労働力も再生産してくれなければならない。「均等法」への財・官界のアレルギーは、こうした便利な「資源」を失うことへの不安だったのではないか。

「男女平等」は、近代社会では、ごく自然の「建前」である。それを法制化することに、近代の高等教育を受けた知識人であるはずの財・官界の人びとが、(「女性が職場に進出すれば日本経済はだめになる」との危機論が続出したことなど)強い調子の反対意見を、しかも公然と述べるというのは、おそらく、単に「頭が古く」「差別意識が強い」からだけではない。女性差別や男女分業は「経済的」であり、「発展の土台」である、といった世界観があってこそ、彼らは恥ずかしいと感じることもなく、近代社会の「建前」に正面切って反論することができたのではなかろうか。
 
 この世界観は、「女の時代」の80年代にも、「少産化」で母性保護が突然浮上し始めた90年代にも、世代を超えて引き継がれていることを、私は知った。メーカーに勤める団塊世代の大卒男性社員は、「女性差別が日本を維持している」と公言した。「単純な事務作業を引き受け、夫の長時間労働を我慢しながら、老人介護を無料でこなして税金の支出を抑える女性がいなければ、日本の経済はつぶれる」と言うのである。若手社員も必ずしも例外ではなかった。ある20代の既婚男性社員は、「仕事以外のすべてのことを妻が引き受けてくれるから、僕は仕事ができる。男女分業や女性差別が悪いと言われようと、この仕組みに頼らざるを得ない」と言い切った。

 男女分業待望論は、男らしさ、女らしさを求める過去へのノスタルジアだけから来るのではない、「経済効率化のための必要悪」として、企業社会にしっかりと息づいているのである。「男女平等」が当然の常識のように語られ始めた現在も、いったん企業社会に足を踏み入れると、人々は手近な「効率」を求めて本卦帰りしてしまう。

 しかし、「男女分業」は、本当に経済的で効率的なのだろうか。「会社は男の場所」との思い込みとは逆に、女性はすでに、被雇用者の四割近くを占めている。それなのに、女性に働きにくい仕組みを温存しておくことが、はたしてなお「効率的」なのか。」


(竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』1994年、朝日新聞社発行、10‐12頁より引用しています。)

自分の気持ちと向き合う

2014年09月15日 22時37分16秒 | 祈り
ため込んできた資料の整理を続けています。

平成18年(2006年)3月3日付「精神保健福祉援助演習」という科目を履修した際、最後に出された課題に対して私はこんな答案を書いていました。課題は、「今日の授業で学んだこと、感じたことについて述べてください」というものでした。
その年の冬までに施設での実習を終えなければ翌年1月の国家試験を受験することはできなかったので、いつどうやって休暇をとることができるのだろうと、そればかりをひたすら考え続けていました。試験に合格することよりも、母の病気を理解したくて、受けとめたくて必死になっていた私は、こうして自分の気持ちと向き合っていたんだと、今あらためて自分自身で思います。

「一人の人間の一生の中の数年間、あるいは数十年間という長い期間にわたって関わっていくPSWという仕事、その重みを、事例をまとめ課題について検討していく過程で感じた。
今回の事例検討で出会った20年に及び入院生活を続けてきたNさんという女性。
退院後の社会復帰に向けた経過をきめ細かくたどっていくと、PSWはNさんの意志を尊重して、エンパワメントを引き出し、Nさん自身に自立への意識が生まれてくるように支えている。
その過程を繰り返し文字で追い続け、Nさんという人のイメージを描くところまではたどり着けた。
精神を病んだ人が生活のしづらさを抱えながら、地域の中で当たり前の生活ができるようになること、周囲の理解を得ながら依存的自立をしていくこと。テキストの中に繰り返し述べられ、言葉としては記憶できているが、体験がないために実感としてわかっていなかった。

一般企業で働き続けている私にとって、自立には経済的自立が欠かせないという思いが強くある。精神障害者にとって自立するということの意味を問い続けることが大きな課題のひとつとなった。一般的に考えられている自立と精神障害者にとっての自立、そこには大きなギャップがあり、そのギャップを調整していくことはPSWの重要な仕事であろう。

PSWを目指すにあたって、実習を通してなにかヒントとなるものが得られればと思う。実習に向けては不安感が強い。身内には精神障害者がいるが、第三者としては出会ったことがないからである。どんな出会いが待っているか不安ではあるが、期待感もある。自分自身を知り、少しでも成長できる機会になればと思う。

そして、I先生が言われた「精神障害者を好きになってほしい」という言葉が強く心に残っている。身内の精神障害者、具体的には私の母親である。母が発病して十数年が経過したが、私は母の病気を受け入れることができないし、母を、そしてその母から生まれた私自身を好きになることができない。

そんな思いに自分自身の中で折り合いをつけたいと考えたのが、PSWになる勉強を始めた理由の一つである。実習を通して、精神障害者を好きな私に出会うことができればと思っている。」

結果的に、秋に国家試験受験対策講座と実習と会社に行くというタイトなスケジュールをこなしたことは以前にも書きました。施設での実習で初めて母と同じ疾患の第三者と出会って会話ができる自分に驚いたことを思い出します。職場との両立に苦心惨憺しながらなんとかやり遂げた14日の実習。その間、心は揺れ動き続けました。その時のノートがどこに埋もれてしまっているのかわからないままですが、捜し出してその時の自分ともう一度出会い直すことができればと思っています。



写真は、春のプリンス・エドワード島、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡へ向かう道からの風景です。

『流れる星は生きている』

2014年09月14日 22時30分14秒 | 本あれこれ
「昭和20年8月9日、ソ連参戦の夜、満州新京の観象台官舎-。夫と引き裂かれた妻と愛児三人の、言語に絶する脱出行がここから始まった。敗戦下の悲運に耐えて生き抜いた一人の女性の、苦難と愛情の厳粛な記録。戦後空前の大ベストセラーとなり、夫・新田次郎氏に作家として立つことを決心させた、壮絶なノンフィクション。」

(藤原てい著『流れる星は生きている』1976年初版、中公文庫、裏表紙の紹介文より)


 昨日たまたま本屋さんに平積みされているのを見かけて購入、二日で読み通しました。
とてもお世話になっている方が朝鮮半島で終戦を迎えて収容所から命がけて引き上げてきた、
この本に書かれていることと同じ体験としたと話してくださったことがあり、読んでみたいと思っていました。場所は違いますが、うかがったことと本当に同じことが書かれていました。自分が今ひたむきに仕事をしているのは、幼い頃の引き上げの体験があるからだとお話くださいました。

ドラマ『遠い約束-星になった子どもたち』では、かなり描写が控えめだったと思いますが、同じことが描かれていました。満州で終戦を迎え、日本へ帰ることが叶わなかった子どもたちが、お互いを思いやりながら一生懸命に生きる姿が描かれていました。

なんだか涙が流れます。弟を栄養失調で失くしたという父の話をやたらと思い出したりしてしまいます。ちゃんと話をきいておくべきでした。
今を生きる私たちは、生かされているという謙虚な気持ちを忘れることなく、一生懸命に生きていかなければいけませんね。傲慢になってはいけません。与えられた命を生きているのだと思います。

もうすぐ妹とのお別れから21年になろうとしています。
私はもう十分に母と妹の分まで生きていた、これからは爽やかに自分を生きてください、と仰ってくださった方がいます。
これから自分にごはんを食べさせながら何ができるのか、迷い道からまだ抜け出せないでいます。すごく不安ですが、やれることがきっとある、妹が教えてくれると信じて、胸を張って言うべきことはちゃんと言って歩いていきたいです。





夏のプリンス・エドワード島への旅_帰国(モントリオール空港にて)

2014年09月13日 08時18分53秒 | プリンスエドワード島への旅
2009年7月17日(金)

旅の終わりが近づいている。
一人という緊張感は続いたが、脳ミソのへんな所は使わなかったことに気づいた。
ストレスから解放され、今を一生懸命やることに神経を集中させていたので、日本での
諸々のことは忘れていた。

ここモントリオールは都会。
美しい場所ではあるが、PEIの穏やかな、何もない美しさにはかなわない。
あのような場所は他にはない。すでに夢の中にいたような気がする。
人もやさしくて、緊張する必要のない所だった。

何もないキャベンディッシュからシャーロットタウンに戻ると、すごく都会に
戻ったように思えた。
今なら車で40分。
アンの時代なら馬車でもっとかかっただろう。
胸ときめかせながら、シャーロットタウンに出かけて行ったアンの気持ちに
近づけたかな。
本当にモンゴメリさんのスピリッツに近くなった旅だった。

それにしてもモントリオールは本当に都会。スピードが早い。
何年か前に来た時よりもケイタイとかうるさいし、なんだか人がざわざわしている。
次回はPEIとカナディアンロッキーをめざそう。
2週間ぐらい要るかな。

19時50分、モントリオール空港にて。

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4-5時間ほどのフライトでモントリオール空港からバンクーバー空港へと移動しました。
バンクーバー空港での日記も後日書こうと思います。

きっと・・・

2014年09月12日 16時56分29秒 | 本あれこれ
「あなたは一体何を欲するか。本当に落着いたときに、あなた自身にそれをたずね、そして正直に答えなさい。あなたは、働くこともいらず心配もないような、朝から晩まで享楽三昧の豪奢な生活を-もちろんそれを享受するだけの欲望と力とをつねに備えてのことだが-、たとえばマホメット教徒の空想するような天国に近いものを、願うであろうか。しかし、そんな生活は、現代の文明社会では、どこにももはや存在しないだろう。とにかく、あなたの境遇では、とうてい望めないものだろう。そんならむしろ仕事をもった生活を、しかし確実な導きのうちに、ひどい心配もなく、ほとんど変りのない心の晴れやかさと落ち着きをもって続けることのできる生活を、なぜ欲しないのか。このような生活ならば、だれでも持つことができる。ただ、それを断固として欲し、そして与えられたその道を進まねばならないだけである。

 世の多くの人びとは、自分が何を欲するかを、まるで知らない。また、それをよく考えることもほとんどしない。反対に、少数の人びとのなかのある者は、できもしないことを欲して、いたずらに力を消耗している。また、そうでない者も、その意欲がたえず動揺して、そのために何ごとをもなし遂げえない。しかし、可能なこと、つまり、自分の力と現実の世界秩序とに相応しいことを、確固として辛抱づよく欲する人びとは、つねにその目的を達成してきた。」

(ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『眠られる夜のために(第一部)』岩波文庫、199-200頁より)。


色んなことが違う色でみえるようなったこの頃ですが、どこかに希望もあるのかな。
そう信じないと前に進むことはできないですね。

『時の流れ』_『木靴の樹』より

2014年09月10日 17時41分50秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

「「木靴の樹」を観る機を逸してしまってから10年の歳月が流れてしまった。
 
 都会の喧騒の中で暮らしていると、その時間の永さが歪みの曲線となって進行するが、この映画の主人公たちは貧しくとも、自分たち家族の手をしっかと握り、黙々と生きている。

 その時の流れのゆるやかさは直線の美学である。

 ドラマはトウモロコシの収穫の季節から始まる。1本づつトウモロコシのつぶをほどいて袋につめ、地主の処に運ぶための作業をする中庭は石造の塀に囲まれた、収容所のような集合住宅である。

 扉や手すりや窓の桟に至るまで、まるであつらえて造られたような、疲れ具合である。

 その壁のくずれや、汚れのしみや、漆喰壁が落剥の中から身をひそめるようにしてあらわれている煉瓦の割れ目が映る時、それは無言のうちに、これらの貧しき人々の生活苦を表現していることになる。

 飼育されている牛や馬の眼付までが弱々しく哀れさをふくんでいるが、たった一頭の気の荒い馬の表情が、見事にドラマの伏線となっている。

 秋から冬へ、その雪の降り出して来る状況も、仲々のキャメラアイである。ある時には暗部がそのままに灯火のあかりだけがたよりと思わせる程のライティングであり、より一層の貧しさを見せてくれるが、汚れたガラス窓からの風景が、底深いリアリズム画調となってせまって来る。

 俳優の演技よりも上手な、昔話や伝説の語り口、その子供の頃から、何度も語りつくした言葉のうま味、その表情までが一体となって、画面を引き締める。

 教会の牧師が、真実味のある説教であり、その人柄が、村人との関連性をたしかなものにしている。主への祈りが演技ではない。毎日、毎日の祈りのつぶやきが身についていて心の底よりの祈りと感銘をうける。

 灯皿の燈火が、ぼんやりとあたりをてらしている。

 なぜか私は、はるか昔、少年時代の折にみた英国映画、「アラン」を思い出していた。

 荒れる海の孤島、アラン島の中に、ひっそりと漁師の夫の安全を祈る妻の表情、サメのハラワタからとった油が唯一の光源である灯火。にぶい光、岩石だらけの島、その岩をくだいて粉にし、海草を肥料にして苗をうえるとぼしい野菜作り。出演者は現地人とか。ロバート・フラハティの傑作である。

 そのようなことが二重だぶりとなって胸にせまる。

 労働する人々の、妻たちや少年の衣服までがいつの世のものか、現代とも思えるが、はるか年代のものと思わせる程の、定かでない処が逆にこの年月の深さを表現している。

 祭りや、街の風物が映り、軍隊が出動して荒々しく馳け、貴婦人や紳士の、あわただしい動き方が都会
の表情と分り、初めて十九世紀末年のヨーロッパの風俗と判明するのである。それ程、時代の流行から、隔離された農民達の姿なのである。

 病んだ牛が起き上がれず、その眼付きが臨終と思わせ、教会に行って祈る主婦の恵みを乞う姿が胸を打つ。

 空瓶に川の水を入れる処から、なぜか私は感動して、きっと牛は癒されるに違いない、と思う程の想いであった。

 水車小屋の中の製粉機の構造がはっきりと映り、私には得がたき参考資料となった。まさに十九世紀的産物である。

 村人達の連帯感と、その隣人愛、が何気なく会話し、その思いやりの精神が、この映画を気高いものにしている。

 地主だだけがふてぶてしく、怒りを感じさせる程の存在感である。

 少年の一家が離村してゆくその夜のシーンは淡々として、無言の表情である。

 だがしかし、馬車にうずくまり、じっと物かげから、一点を凝視している少年のひとみを想う時、必ずや将来、ひとかどの青年となって、家族の面倒をみるに違いない、という事を感じさせる程の表情であった。

 エルマンノ・オルミ監督は、ドキュメントの手法をとりながら、見事なドラマへの結合をなし得た。

 この作品の風格は、しっかと大地を踏みしめた上で、じっと天の一角をみつめているような巨大なる姿である。


                                    木村威夫(映画美術監督)」





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今よりももっともっと一日一日を生き抜いていくことが大変だった人たちがいる。
一見平和な日本にいるとわからないけれど、世界の中には今もそういう国もある。
こうして今生かされていることへの感謝を忘れてはいけない。
私たちは自然のサイクルの一部にすぎない。
謙虚さを忘れて傲慢になってはいけないのだとあらためて思います。
強烈な負のエネルギーに負けそうでふらふらしていますが、吐き気しますが、
ぶれないで自分の足元をちゃんとみていくように気持ちを整理しています。
ブログを書けそうにないと思うぐらい気持ちがぼきっと折れましたが、励ましをもらって
また起き上がれそうです。

ひたむきに・・・

2014年09月08日 22時15分52秒 | 日記
自分の感性を信じて、先に逝った妹の分まで一生懸命に生きることが私の役割なんだとあらためて思います。
わたしが一生懸命にやってきた姿を知っていて、励ましてくれる友人の存在に感謝です。
きついところにいますが、もうしばらくふんばれそうです。

9月の雨上がりの夜に・・・

2014年09月07日 21時34分50秒 | 祈り
どうしても肩に力が入ってしまう状況なので、ちょっときつい感じで続いています。
自分の気持ちと正直に向き合っていくことは勇気のいることなのでなかなかできなかったなあとあらためて思います。忙しい、忙しいでずるずると先送りにしたままきてしまった自分の中途半端さもいけなかったですね。ドライな仕組みにのっかっていても、なんとなく暗黙の了解があるようなところにいつの間にか甘えてしまっていました。

ずるずるとしているうちに、本当にドライな社会へと変わってきていることに気づいていなかった自分が甘かったと思います。マクドナルド式のマニュアル社会に変わってきていることに違和感を感じながら、自分の足元には気づいていませんでした。

気持ちに区切りがついたら見えてくるものもあるだろうと、今は信じ続けていくしかありません。まだ大丈夫、仕切り直しはできる‐そう言い聞かせます。

20年前の自分を振り返ってみると、今と変わらないと言えば変わらなくて笑ってしまいます。妹とのお別れからまだ一年も経っていませんでした。必死にもがいていた自分が愛おしかったりもします。かなり情けない状況ではあります。


「1995年7月30日(日)
自分はそこで必要とされない人間だとわかった時のショックが消えたわけではない。が、反面かなり精神的にきつくなっていたので、ほっとしてもいる。明日、決まった時間に起きなくてもいい、というのはとても嬉しい気がしている。
黒姫高原に出かけたのが、やはりよかったみたいだ。夜は涼しくて、なにもない、なにもすることのないログハウスの空間がなつかしくて、まだぼうっとしている。
具体的に、次は何をしたらいいのかわからない。
ただ、風のように、流れるままに、自然に気負わず歩いていけたらいいな。
過去を振り返ったって戻りはしない。
ただ、前だけみよう。
自分に忠実であれば、きっと、きっと、それでいい。」



「大きな内的進歩がなされる前には、つねに絶望への誘惑が先立ち、大きな苦難が訪れる前には、非常な内的喜びと力の感じがあたえられるものだ。つまり、神はこれによってわれわれをその苦難に堪えうるほどに強めようとされるのである。私はすばらしい成功をおさめる前ほど不幸だったことはなく、また最も困難な出来事に出会う前ほど、喜ばしい、力づよい気分にみたされたことはなかった。」

(ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために(第一部)』岩波文庫、157頁より)



プリンス・エドワード島は、緩やかな丘を上って下って、さらにその先へと道は続いていきます。



ミュージカル『レディ・ベス』(2)

2014年09月06日 15時09分04秒 | ミュージカル・舞台・映画
『レディ・ベス』、明日博多座公演の千秋楽を迎えようとしていますが、私はまだ事態の収集がつかず、ウロウロとしています。大きな局面を控えて緊張感の中にあり、かなりきつい感じになっています。観劇した時のことを思い出し、心を落ち着けたくてこれを書いています。

5月16日(金)、夜の部観劇後のメモから。


シングルキャストも贅沢な配役です。

キャット・アシュリー:涼風真世
アン・ブーリン:和音美桜
ガーディナー司教:石川禅
シモン・ルナール:吉野圭吾


シングルキャストとアンサンブルの方々はお昼もやっているので大変そうでした。

花ちゃんベスのことは前回書きました。

ロビン・ブレイクは加藤和樹さん。山崎育三郎さんロビンのやんちゃな雰囲気とは全く違うかっこ良さ。背が高くてごっつかった。ベスを包みリードする感じでした。

ベスの家庭教師で女王への道標をつけるロジャー・アスカムは山口祐一郎さん。
2012年の『エリザベート』のトート以来でした。ちょっと年齢を感じてしまいましたが、
歌のうまさが格段のなのは変わりません。声の出ているところが違います。

涼風真世さんのキャット・アシュリー。台詞回しは、かなり宝塚時代のベルばらのオスカルを思わせました。歌の安定感はさすがです。

フェリペ皇子は古川雄太さん。平方元基さんのちょっと策略家っぽい感じとは全く雰囲気の違うクールヘッドぶり。ちょっと冷めている感じがよかったと思います。
かっこいいのはもちろんです。

石川禅さんのガーディナー司教、吉野圭吾さんのルナール閣下、ベスの暗殺を企む絶妙な悪役ぶりで芸達者、舞台を盛り上げていました。

アン・ブーリンは和音美桜さん。レミゼのファンティーヌは観ていないので、2012年の『ルドルフ・ザ・ラストキス』のマリー以来でした。無実の罪によって幼いベスを残して旅立たなければならなかった母親役が見事に合っています。情感あふれる歌声。ベスを見守り続け、窮地に立たされると、ひとりじゃない、と励まします。

メアリー・スチュアートは、5月5日の昼の部に続いて、吉沢梨絵さん。『ルドルフ・ザ・ラストキス』のステファニー以来でした。孤独に死んでいかなければならない女性の悲哀が、2幕のベスと和解する場面でよく出ていたと思います。ステファニーと通じるものがありました。カトリックを再び浸透させるという自分の信念を貫こうとしました。

3時間10分、安心して観ていられるたっぷりの舞台でした。


うまく書けていませんが、5月16日の観劇メモはここまでです。



一幕でベスがロビンに誘われて男装し、お城を抜け出して市井の人々の暮らす街へ繰り出す場面があります。そこで花ちゃんベスは男の名前を名乗るのに声を低くしたり、オンドリャーと足を蹴りあげたりして観客の笑いを誘っていました。
宝塚時代の『シトラスの風』を思い出させてくれて楽しいですが、演じるにはやりすぎてもいけないし難しい場面だそうです。もちろん、観ている時そんなことは感じさせません。ロビンとの恋のはじまりにちょっとドキドキできます。



今整理している大学の通信教育の資料から、面白いと思う記述を書いてみます。
『シェイクスピア研究』という科目のレポートを書くために集めた資料です。
(シェイクスピアはエリザベス朝に生きた人でした。)

演技とはテクストによって規定されると同時に、観客反応によっても規定されるものである。舞台に出ている俳優はたえず観客相手に一種のかけひきを行わねばならないのだ。このことは俳優なら誰でも知っていることであって、例えば観客が笑っている時に次の台詞をいつ言い出すかは非常にむずかしい。笑いが続いているうちに喋ったのでは台詞がきこえないし、笑いがおさまるのを待っていたのでは台詞がだれてしまう。

 観客論が問題にする反応とは観客の心中で起るものを指すだけでなく、もっと具体的な、文字通りパフォーマンスの一部となっているようなもののことでもなければならない。いいかえれば、観客反応をテクストに内在するものとして捉えているだけでは、議論の前進はないのだ。もちろん、反応とテクストとが無関係である筈はないのであって、例えば『ハムレット』が誘発する反応と『十二夜』が誘発する反応とが違っていることは明らかだ。
 しかし、パフォーマンスとはテクストそのものではなく、解釈を施されたテクストなのである。観客とはこの解釈を味わうために劇場へやってくる存在であり、しかも自らその場でこの解釈に影響を与える存在なのだ。

(喜志哲雄著『劇場のシェイクスピア』早川書房、より引用しています。)


ついでですが、さらに今読んで面白いと思う記述に出会いました。
『レディ・ベス』と直接は関係ありませんが、なるほどと思います。


≪犯罪≫が≪犯罪≫であるためには‐≪犯罪≫という概念が成立するためには、国家ないし国家権力は正義であるという前提がなければならない。ひとつの行為を国家権力が犯罪と認定する時、国家権力自体はそういうことをしないのが前提となっている。しかし、事実は果てしてそうか。このことはシェイクスピアの時代においては現代以上に複雑な問題だった。国家権力はほとんど常に君主という一人の人間が体現するものとして捉えられているからだ。かりに君主自身が、≪犯罪的≫な行為をする場合、我々はそれを≪犯罪≫と呼ぶことができるのか。その場合には、あるいは≪犯罪≫という概念が意味を失ってしまうのではないか。『リチャード二世』や『リチャード三世』の根底にあるのはこういう疑問である。

(喜志哲雄著『劇場のシェイクスピア』早川書房、より引用しています。)



5月19日(月)の夜の部も観劇しました。

レディ・ベス:花總まり
ロビン・ブレイク:山崎育三郎
メアリー・チューダー:吉沢梨絵
フェリペ:平方元基
ロジャー・アスカム:石丸幹二

大きな局面の後の観劇でいろんなことを感じながらの舞台でした。
また後日あらためて書きたいと思います。
やっとここまで。



帝国劇場内で撮った写真から、

美しい平方さんと古川さんのフェリペ皇子、吉野圭吾さんのルナール閣下。



和音美桜さんのアン・ブーリン。



涼風真世さんのキャット・アシュリー。



古川雄太さんのフェリペ皇子。



平方元基さんのフェリペ皇子。


夏のプリンス・エドワード島への旅_五日目

2014年09月05日 14時30分54秒 | プリンスエドワード島への旅
2009年7月16日(木)

今日も晴天、陽射しは強い。
だが雲が出てくると、日本人としてはかなり涼しく感じる。
雲もうすくて、日本の夏のそれとは様子が違う。

昨晩は、シャーロットタウンに来て、おそいお昼のオイスターをいただいたあと、
コンフェレデーションセンターに早目に行って、『赤毛のアン』のミュージカルをみるためにスタンバイ。
ちょっとお茶とサンドイッチをと思ってスタバで買ってみるがすごい量。
食事の量はきついなあ。
かなりがんばった。
ミュージカルは、歌もダンスもなかなかレベルが高くてあなどれない。
長いお話をうまくはしょって、おなじみの場面はしっかりもりこまれていて、
アンの楽しい世界を演出している。
オーデエンンスも本当に楽しそうで、日本で舞台をみるのとかなり雰囲気がちがう。

おくれたが、マルぺク湾のオイスターはかなりうまかった。
そんなこんなで舞台をみるのもちょっと緊張・・・。
帰り道がわかるかなあ、とか何時に終わるかなあ・・・とか・・・。
でもここPEIは緊張の必要などない。おだやかな所だ。
一人でくるのはきついし、正直身体は相当へばっている。
でも心のエネルギーはチャージできたかな。
相変わらず英語はへぼいし、色々とマヌケで大変だ。でもまた来たくなるんだろうな。

午前中の「灯台とダルベイ」ツアーがPEIの景色の見おさめ。
フレンチ・リバー、赤土と緑と海と空のコントラスト。
風を感じながらみる風景はここに来ないとわからない。
目に焼きついたかな。しばし、はしゃぐ。
本当にどこまでも美しい。
他ではみられない。最後の方は疲れてしまったけど、堪能したと思う。

あとはシャーロットタウンをぶらぶらして、ワインを飲みながらロブスターを食べて、
旅は終わりだ、帰らなきゃ・・・。




モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡です。



お化けの森です。






グリーンゲイブルズ前のアンちゃんです。




「灯台とダルベイ」ツアーで訪れた灯台です。映画の『赤毛のアン』に登場しました。