たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『レディ・ベス』(2)

2014年09月06日 15時09分04秒 | ミュージカル・舞台・映画
『レディ・ベス』、明日博多座公演の千秋楽を迎えようとしていますが、私はまだ事態の収集がつかず、ウロウロとしています。大きな局面を控えて緊張感の中にあり、かなりきつい感じになっています。観劇した時のことを思い出し、心を落ち着けたくてこれを書いています。

5月16日(金)、夜の部観劇後のメモから。


シングルキャストも贅沢な配役です。

キャット・アシュリー:涼風真世
アン・ブーリン:和音美桜
ガーディナー司教:石川禅
シモン・ルナール:吉野圭吾


シングルキャストとアンサンブルの方々はお昼もやっているので大変そうでした。

花ちゃんベスのことは前回書きました。

ロビン・ブレイクは加藤和樹さん。山崎育三郎さんロビンのやんちゃな雰囲気とは全く違うかっこ良さ。背が高くてごっつかった。ベスを包みリードする感じでした。

ベスの家庭教師で女王への道標をつけるロジャー・アスカムは山口祐一郎さん。
2012年の『エリザベート』のトート以来でした。ちょっと年齢を感じてしまいましたが、
歌のうまさが格段のなのは変わりません。声の出ているところが違います。

涼風真世さんのキャット・アシュリー。台詞回しは、かなり宝塚時代のベルばらのオスカルを思わせました。歌の安定感はさすがです。

フェリペ皇子は古川雄太さん。平方元基さんのちょっと策略家っぽい感じとは全く雰囲気の違うクールヘッドぶり。ちょっと冷めている感じがよかったと思います。
かっこいいのはもちろんです。

石川禅さんのガーディナー司教、吉野圭吾さんのルナール閣下、ベスの暗殺を企む絶妙な悪役ぶりで芸達者、舞台を盛り上げていました。

アン・ブーリンは和音美桜さん。レミゼのファンティーヌは観ていないので、2012年の『ルドルフ・ザ・ラストキス』のマリー以来でした。無実の罪によって幼いベスを残して旅立たなければならなかった母親役が見事に合っています。情感あふれる歌声。ベスを見守り続け、窮地に立たされると、ひとりじゃない、と励まします。

メアリー・スチュアートは、5月5日の昼の部に続いて、吉沢梨絵さん。『ルドルフ・ザ・ラストキス』のステファニー以来でした。孤独に死んでいかなければならない女性の悲哀が、2幕のベスと和解する場面でよく出ていたと思います。ステファニーと通じるものがありました。カトリックを再び浸透させるという自分の信念を貫こうとしました。

3時間10分、安心して観ていられるたっぷりの舞台でした。


うまく書けていませんが、5月16日の観劇メモはここまでです。



一幕でベスがロビンに誘われて男装し、お城を抜け出して市井の人々の暮らす街へ繰り出す場面があります。そこで花ちゃんベスは男の名前を名乗るのに声を低くしたり、オンドリャーと足を蹴りあげたりして観客の笑いを誘っていました。
宝塚時代の『シトラスの風』を思い出させてくれて楽しいですが、演じるにはやりすぎてもいけないし難しい場面だそうです。もちろん、観ている時そんなことは感じさせません。ロビンとの恋のはじまりにちょっとドキドキできます。



今整理している大学の通信教育の資料から、面白いと思う記述を書いてみます。
『シェイクスピア研究』という科目のレポートを書くために集めた資料です。
(シェイクスピアはエリザベス朝に生きた人でした。)

演技とはテクストによって規定されると同時に、観客反応によっても規定されるものである。舞台に出ている俳優はたえず観客相手に一種のかけひきを行わねばならないのだ。このことは俳優なら誰でも知っていることであって、例えば観客が笑っている時に次の台詞をいつ言い出すかは非常にむずかしい。笑いが続いているうちに喋ったのでは台詞がきこえないし、笑いがおさまるのを待っていたのでは台詞がだれてしまう。

 観客論が問題にする反応とは観客の心中で起るものを指すだけでなく、もっと具体的な、文字通りパフォーマンスの一部となっているようなもののことでもなければならない。いいかえれば、観客反応をテクストに内在するものとして捉えているだけでは、議論の前進はないのだ。もちろん、反応とテクストとが無関係である筈はないのであって、例えば『ハムレット』が誘発する反応と『十二夜』が誘発する反応とが違っていることは明らかだ。
 しかし、パフォーマンスとはテクストそのものではなく、解釈を施されたテクストなのである。観客とはこの解釈を味わうために劇場へやってくる存在であり、しかも自らその場でこの解釈に影響を与える存在なのだ。

(喜志哲雄著『劇場のシェイクスピア』早川書房、より引用しています。)


ついでですが、さらに今読んで面白いと思う記述に出会いました。
『レディ・ベス』と直接は関係ありませんが、なるほどと思います。


≪犯罪≫が≪犯罪≫であるためには‐≪犯罪≫という概念が成立するためには、国家ないし国家権力は正義であるという前提がなければならない。ひとつの行為を国家権力が犯罪と認定する時、国家権力自体はそういうことをしないのが前提となっている。しかし、事実は果てしてそうか。このことはシェイクスピアの時代においては現代以上に複雑な問題だった。国家権力はほとんど常に君主という一人の人間が体現するものとして捉えられているからだ。かりに君主自身が、≪犯罪的≫な行為をする場合、我々はそれを≪犯罪≫と呼ぶことができるのか。その場合には、あるいは≪犯罪≫という概念が意味を失ってしまうのではないか。『リチャード二世』や『リチャード三世』の根底にあるのはこういう疑問である。

(喜志哲雄著『劇場のシェイクスピア』早川書房、より引用しています。)



5月19日(月)の夜の部も観劇しました。

レディ・ベス:花總まり
ロビン・ブレイク:山崎育三郎
メアリー・チューダー:吉沢梨絵
フェリペ:平方元基
ロジャー・アスカム:石丸幹二

大きな局面の後の観劇でいろんなことを感じながらの舞台でした。
また後日あらためて書きたいと思います。
やっとここまで。



帝国劇場内で撮った写真から、

美しい平方さんと古川さんのフェリペ皇子、吉野圭吾さんのルナール閣下。



和音美桜さんのアン・ブーリン。



涼風真世さんのキャット・アシュリー。



古川雄太さんのフェリペ皇子。



平方元基さんのフェリペ皇子。