たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋の日の祈り

2014年09月19日 23時12分36秒 | 祈り
混乱の終結がまだ見えないので、肩をいからせて全身で緊張し続けています。かなりきついですが、お薬の力も借りながらなんとかやっています。きっとこれでよかったんだと思える日が訪れる、進むべき道にほんの少しずつだけれど近づいていっている、そう信じ続けています。

早いもので父親とのお別れから4年、妹とのお別れからは21年が過ぎようとしています。
私の人生の大きな転換期が向こうからやってきてくれたということですね。
これからどうやってご飯を食べていくのかが見えてこないのですごく苦しいですが、きっと大丈夫、そう言いきかせて今は踏ん張り続けます。

突然のお別れから一年が過ぎようとしている頃の私へと戻ってみます。

「1995年9月20日(水) Fine

結局、仕事もなくぼんやりしている。
なかなかにタイミングが合わなくて、仕事が決まらない。具体的にたいして動くこともなく、こうして部屋でじっとしているわたし。

昨日郷里から戻ってきてひとりのどこかにいつも緊張感があるような暮らしに、少しまだ抵抗感があるのかもしれない。家に帰っても、なんだか落ち着いて眠れなかったのにね、おかしいね。
さり気ないひと言のいえる家族の暮らし、
自分を見つめられるひとりの暮らし、
ちょっぴり淋しさがあって、自分を好きでいられるひとりの暮らし、
それぞれにいいものだと思う。


*********


今日はまだ戸惑っていた。
5日間の家での滞在を終えて、再び一人の部屋に戻ったことに・・・。
そのことが、昼間書いた文章に現れている。
昨夜、ひとりTVに向かって食事をした時など、正直いって少し淋しかった。
おかしいね、家では今一つ落ち着いて眠れなかったのに・・・。
戻ってみれば、いつもの部屋と、不安と背中合わせのわたし。
ほんの小さなことにドキドキしたり、嬉しかったり、よおし、がんばるぞって、いきがったり、そんな毎日に戻ることに、まだ少し抵抗感があるのかもしれない。

また郷里でのんびり暮らすのもいいかなって、家にいる間思った瞬間もあったし、
仕事が決まらないうしろめたさ(?)が、そうさせていることもあるだろう。
急にドラマチックに変われる筈もなく、ただ毎日の暮らしが戻ってきたのだ。
これでいい、家にはもうわたしの部屋もなく、時々帰るだけだからこそ、
母に対しても、少しやさしい気持ちを取り戻せた。
自分を見つけられなくて、(家を出て)もう7年半にもなるというのに、まだ悪あがきを続けている。
いいじゃないか、先がどうなるかわからない生活。
生きている限り、苦悩の連続であるはずだ。
でも、その中にほんのぽっちりでも輝くものをみつけられたら、それでいいじゃないか。
明日でほんとうに一年。
頭の中だけで、グルグルといろんな考えがまわってしまうことに、ひと区切りつけたい。
ほんの少しずつでも、考え込むより先に行動したい。
一年前の苦しみに比べたら、ちょっと仕事がみつからないぐらい、どうってことないはずだ。
なんとかなるんだ、生きてさえいれば。
消去していけば、妥協と前向きの気持ちとが交わる点もきっとみつかるにちがいない。
考え込むのは、もうよそう。」


今の私は過去の自分からエネルギーをもらっています。
のたうちまわるような思いで過ごしながらも自分の気持ちと向き合うことから逃げることなく
ここまでやってきました。
私が背負わなければならない分は十分すぎるぐらい背負える私にようやくなれたのかもしれません。やっとここまでくることができました。
これからは自分を生きていくことを考えていこうと思います。


自死遺族の会に参加させていただき、終わった後は今日も一カ月ぶりのパスタランチ。
ちょっとぜいたくですが、お腹いっぱい食べて、紅茶をゆっくりといただきながら、
『赤毛のアン』の原文を読んで気持ちを落ち着けていきました。
いろんなお話をきかせていただき、自分のことも語ることは、いろんな思いもあふれかえってきてしまい、自分で感じている以上に疲れているものです。
こういう時間は必要ですね。



兄弟姉妹との突然のお別れの苦しさを言葉にしている人は少ないのかもしれません。
ささやかですが、こうして書き続けていこうと思います。



写真は、春のプリンス・エドワード島、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡の緑です。