たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

不安とのたたかい

2021年10月01日 23時02分16秒 | 日記
 昨夜も朝までねつくことができませんでした。5時すぎぐらいにねつけたでしょうか。まだ暗かったので冬至に近づいていることを実感。ひと眠りしたら起きて、お昼寝しました。今夜はねつけなくても横にならなければなりません。極度に緊張する必要はないですが、バスに間に合うだろうかと緊張してしまいます。久しぶりの出勤でなにが必要だと考えてメモり夕方買い物に出ました。週に2日でも3日でも収入があれば急速な目減りは防ぐことができます。明日の朝部屋を出る時は不安神経症とのたたかい、コンセントは抜いたか、ちゃんと鍵を閉めたか、どうしても何度も確認してしまいます。今夜眠剤で不安に打ち勝たなければなりません。ずっと不安とのたたかい。

 変形性股関節症の末期と言われたことで、体を左右に揺らしながら歩いていることを自覚。いつ頃初期症状でいつ頃中期症状でいつ頃から末期症状になっていたのか、歩きはじめた頃から軟骨は徐々に摩耗してきていたのか、年齢があがってきてから急速に摩耗が進んだのか。子宮の中ですでに脱臼していたのか、歩きはじめた頃脱臼したのか。自分の母子手帳の存在などきかされたことがないので今さらなにもわかりません。ギブスして母に背負われ通院していたという記憶だけ。右足をかばうことで左足にも痛みがきています。こんな体でよくフルタイムで働き続けてきました。老眼加速中に乱視もあり今の年齢でさえ加齢により衰えを感じます。さらに確実に衰えていくであろうに70歳まで働けとかそんなん無理ですがな。

 入院するとなったとき保険金の給付の対象となるのか、全労災に確認しなければ、でも電話が苦手なのでハードル高い。そもそも入院すると1日あたりいくらなのか全くわかっていません。手術、手術という言葉だけが先走り。なんの具体的な説明もないまま手術したほうがいい、手術しかないと。手術しかないと診断するなら、そう診断したところでそう診断した理由をもう少し丁寧に説明してくれてもいいのではないかと冷静になると思います。こういうシステムになっていて仕方ないのでしょうが、具体的なことを知りたければ紹介状をもって手術しているところに聞きにいってくださいってなんだか。ぞっとします、手術なんて。体以上に心が疲れてしまいます。

 緊急事態宣言の解除により、3年前まで暮らしていた最寄り駅近くのお店も営業再開しました。特段あったかいわけではありませんがたくさんの憩いの時間を過ごしたお店。なくなってほしくないのでささやかですがお金落としにいこうと思います。もういたずらに緊急事態宣言を出して締め上げるよりも医療体制をほしいです。わたしたちもっと声をあげなければいけませんね。

宙組ホームズを指揮した上垣聡先生のブログ

「国民は怒るべきでは!?」
https://ameblo.jp/saty0221/entry-12701239896.html

轟悠さん、お疲れ様でした

2021年10月01日 15時01分30秒 | 宝塚
専科 轟 悠 退団ご挨拶
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20210317_003.html

 1985年初舞台、同期が愛華みれさん、真琴つばささん、稔幸さん、華陽子ちゃん、鮎ゆうきちゃん。日本初演『エリザベート』のルキーニは、宝塚のみならず日本ミュージカル界における金字塔だと思っています。いっちゃん(一路真輝さん)、ゆきちゃん(高嶺ふぶきさん)トップスター時代の雪組が大好きで全作品観劇しています。男役になるために生まれてきたようなお顔立ちは、いっちゃん、ゆきちゃんと全く似ていないのに並ぶとなぜかすごく似ているようにみえました。『バロック千一夜』、ガンジス河をはさんで女役のいっちゃんとのデュエットダンス、素敵でした。十数年ぶりに宝塚へ戻ってきたら理事として活躍されていました。オンデマンド配信で視聴した『ドクトルジバゴ』、男役の色気と芝居力、さすがよと唸りました。

 これからどうされるのかな、先日いっちゃんが40周年コンサート中止、『Life is songs』の降板を発表して心配しましたがブログで元気ですと伝えてくれました。いつかまたいっちゃんと同じ舞台に立ってほしいです。元気なお姿またみせてください。待っています。


なつかしの雪組『エリザベート』日本初演
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ab31f9e4ee9820bc3546ab187ef26844


なつかしの雪組『雪之丞変化』『サジタリウス』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/17584ea137b9006e1bd8d4484dacaa1f


1994年雪組『風と共に去りぬースカーレット編』より_「明日になれば」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/def80d88b9cb431e88eb662a377bfa6d

なつかしの雪組-『JFK』『バロック千一夜』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4c79efdad8118ec4a45b87e713eef06b

なつかしの雪組『虹のナターシャ』『ラ・ジュネス』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/848ee7e253a18603290893ee10b407a1


『エリザベート・ガラコンサート』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/750270ba090920baf5b6feb76962e4f4


2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(3)

2021年10月01日 00時57分22秒 | 美術館めぐり
2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b805f8bbb058b5da975a1b3a8ed19d61

特別出展作品
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》
1670年頃 
アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵、
アルフレッド・ペイト卿及びペイト夫人より寄贈(ペイト・コレクション)、
油彩、カンヴァス
72.2× 59.7㎝

(公式カタログより)

「ヴァーガラ(1998年)は、本作品をヘーラルト・デ・ライレッセが『大絵画本』(アムステルダム 1707年、巻1、第3書)のなかで触れた、「古代」と「近代」という絵画理論に結び付けた。デ・ライレッセは、フェルメールの没後に書かれたその理論書のなかで、「古代」の主題は高貴で、古代に発し、永続するすべてを体現するが、今日「風俗画」と呼ぶものに近い「近代」の主題は、世俗的で、家庭的で、日常的で、はかないものすべてを含むという区別をした。デ・ライレッセは前者を好み、賞賛した。しかし、多くの情趣は双方の主題で表現し得るとも主張し、「近代」の主題も、とりわけ上層階級の優雅な主題を取り上げた場合には。画家たちにより自由に采配をふる余地を与えるとした。ヴァーガラは、聖書の主題と上流市民の主題を結びつけることで(つまり、手紙を書く女を、ファラオの娘によって体現される理想的な女性なるものの伝統に位置づけることで)フェルメールは「近代」の絵画に対する己れの野心を表明した、と見たのである。

 本作品は、フェルメールの生前には売られず、亡くなったときには、未亡人カタリーナ・ボルネスの手元にあった。しかし、未亡人は本作品をもう一点の作品とともに担保してパン屋のヘンドリック・ファン・バイテンに譲らざるを得なかった。彼に617ギルダーものパン代を負っていたからだ。最後にこの作品を入手したのは、南アフリカのダイヤモンド鉱と金鉱で財を成した富豪のコレクター、アルフレッド・ベイト(1853-1906年)であった。その後、同じくアルフレッドと呼ばれる甥(1903-1994年)の手に渡った。彼は、ダブリン近くのブレシントンにあるパッラディオ風の別荘、ルスボローを手に入れた。本作品は、そこから最初はIRA(アイルランド共和軍)、次にはダブリンの闇の世界により、二度にわたり盗まれ、1993年、奪還された。アルフレッド卿は、本作品が取り戻され、アイルランド・ナショナル・ギャラリーに納まる様子をかろうじて目にすることができたのである。なお、同卿は、1987年にはハーブリエル・メッツーの手紙を主題とした有名な対作品を同ギャラリーに寄贈している。」


《手紙を書く婦人と召使い》、2018年から2019年にかけて開催された『フェルメール展』でも来日しました。

2018年『フェルメール展』at上野の森美術館
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4aac6e7e14469786d1384037a1c40a96





≪モーセの発見≫が《手紙を書く婦人と召使い》より小さいサイズで描き込まれた≪天文学者≫(1668年、パリ、ルーヴル美術館)は2015年に来日しました。

2015年『ルーヴル美術館展』_「天文学者」「両替商とその妻」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2690284e2a4d67e423ff9ccfe4e106ce





 たびたび美術館を訪れたことも股関節に負担をかけすぎて軟骨を摩耗させたことになりますが、絵画と対話するひとときもまた涸れた心が満たされる、幸せな時間でした。後悔はありません。