2008年『フェルメール展』より-「手紙を書く婦人と召使い」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0f9d395f23a784ea3f7bc649509156c1
特別出展作品
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》
1670年頃
アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵、
アルフレッド・ペイト卿及びペイト夫人より寄贈(ペイト・コレクション)、
油彩、カンヴァス
72.2× 59.7㎝
(公式カタログより)
「ブランケルトは、落ちているのは本で、手紙の書き手が文案を練るときにしばしば参考にした流行の小型文案集の一つかもしれないとする。この場合には、女性は、いま書いている手紙の手本を見つけられず、自分の言葉で、自分の感情の赴くままに書くことを選んだことになろう(さまざまな程度の上品さと熱意を込めた恋文の手本が掲載されていたものの、手紙のマニュアル文はしだいに恋文の理想的な形あるいはスタイルと見なされなくなっていった。書く人にも、受け手にとっても、恋文は稀にみる個人的なものと考えられたのだ)。
同じく注意を払っておくべきは、テーブルのこちら側の空いた椅子がいましがたまで誰かがそこに座っていたことを暗示する点だろう(背もたれの後ろ側に布を張っていない)この種の椅子は、この時代には、部屋のどこかに好きに置いていたわけではなく、使用しないときは壁際に寄せておくものだったからだ。いかにも気の利きそうな召使いだから、小物類が床に投げ捨てられたのでなかったら、椅子が使われたばかりでなかったなら、さっさと片付けていたことだろう。かくして想定された鑑賞者はこのちょっとした私的なドラマの共犯者となる。まさしく書簡文学の核となる考え方である。
画中画の≪モーセの発見≫も間違いなく本作品の主題に関連する。その正確な意味は、多くの議論が交わされてきたものの、なお定かではない。同じ絵がフェルメールの≪天文学者≫(1668年、パリ、ルーヴル美術館)の背景により小さなサイズで描き込まれている。他のフェルメール作品の画中画と同様に、彼の家族が所有していたのだろう。旧約聖書に語られたモーセの生涯からとった多くのエピソードが取り上げられたが、最も頻繁に主題にされたのはモーセの発見だった。この物語(出エジプト記2;1-10)には、いかにモーセの母が息子をかごに隠し、すべてのヘブライ人の男の乳幼児を皆殺しにせよというファラオの布告から彼を守ろうとしたかが語られている。その子どもを見つけて、育て、モーセと名づけたのはファラオの娘-ヨセフスがテルムティスと呼んだこの娘は、17世紀のオランダ文学では美と哀れみの模範として賞賛されていたーであった。このよく知られた物語は、ウィーロックが最初に指摘したように、17世紀には、対立する諸派を一つにまとめる聖なる摂理と神の力のあかしと解された。つまり、画中画の意味するところは、諸派がともに追求する救済(想定されている作者の保護と健康を望む気持ち)と和解(それによって、神の聖なる企てに従えば、平穏さー本作品では家庭という設定のなかに例示されているーがもたらされる)という意味において、手紙の書き手に結びつく可能性があるのだ。」
→続く
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0f9d395f23a784ea3f7bc649509156c1
特別出展作品
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》
1670年頃
アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵、
アルフレッド・ペイト卿及びペイト夫人より寄贈(ペイト・コレクション)、
油彩、カンヴァス
72.2× 59.7㎝
(公式カタログより)
「ブランケルトは、落ちているのは本で、手紙の書き手が文案を練るときにしばしば参考にした流行の小型文案集の一つかもしれないとする。この場合には、女性は、いま書いている手紙の手本を見つけられず、自分の言葉で、自分の感情の赴くままに書くことを選んだことになろう(さまざまな程度の上品さと熱意を込めた恋文の手本が掲載されていたものの、手紙のマニュアル文はしだいに恋文の理想的な形あるいはスタイルと見なされなくなっていった。書く人にも、受け手にとっても、恋文は稀にみる個人的なものと考えられたのだ)。
同じく注意を払っておくべきは、テーブルのこちら側の空いた椅子がいましがたまで誰かがそこに座っていたことを暗示する点だろう(背もたれの後ろ側に布を張っていない)この種の椅子は、この時代には、部屋のどこかに好きに置いていたわけではなく、使用しないときは壁際に寄せておくものだったからだ。いかにも気の利きそうな召使いだから、小物類が床に投げ捨てられたのでなかったら、椅子が使われたばかりでなかったなら、さっさと片付けていたことだろう。かくして想定された鑑賞者はこのちょっとした私的なドラマの共犯者となる。まさしく書簡文学の核となる考え方である。
画中画の≪モーセの発見≫も間違いなく本作品の主題に関連する。その正確な意味は、多くの議論が交わされてきたものの、なお定かではない。同じ絵がフェルメールの≪天文学者≫(1668年、パリ、ルーヴル美術館)の背景により小さなサイズで描き込まれている。他のフェルメール作品の画中画と同様に、彼の家族が所有していたのだろう。旧約聖書に語られたモーセの生涯からとった多くのエピソードが取り上げられたが、最も頻繁に主題にされたのはモーセの発見だった。この物語(出エジプト記2;1-10)には、いかにモーセの母が息子をかごに隠し、すべてのヘブライ人の男の乳幼児を皆殺しにせよというファラオの布告から彼を守ろうとしたかが語られている。その子どもを見つけて、育て、モーセと名づけたのはファラオの娘-ヨセフスがテルムティスと呼んだこの娘は、17世紀のオランダ文学では美と哀れみの模範として賞賛されていたーであった。このよく知られた物語は、ウィーロックが最初に指摘したように、17世紀には、対立する諸派を一つにまとめる聖なる摂理と神の力のあかしと解された。つまり、画中画の意味するところは、諸派がともに追求する救済(想定されている作者の保護と健康を望む気持ち)と和解(それによって、神の聖なる企てに従えば、平穏さー本作品では家庭という設定のなかに例示されているーがもたらされる)という意味において、手紙の書き手に結びつく可能性があるのだ。」
→続く