たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-姉は国と夫に詫びて死んだ(2)

2021年10月24日 13時59分11秒 | 本あれこれ
小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-姉は国と夫に詫びて死んだ(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/05b565f1ca7158ed6ecb6ff0043735ec





「-名誉な死と不名誉な死-

 1992年(平成4)年秋、「名誉」という言葉は、「PKO」(国連平和維持活動)とセットで復活する。もともと不死身なのかもしれない。

 PKO協力法案が大揺れのころ、自衛隊員の間では、「命令なら仕方がないが行きたくない」(朝日新聞、1992年10月1日)という戸惑いがあったという。カンボジア国内に埋められた地雷は数百万個、マラリアも心配だ。第一、国論は、「行くな」「行くべきだ」と、二分したまま。が、法律が成立すると否定的な雰囲気は肯定へと変わる。

 その意義が説かれ、地雷密集地帯ではないこと。ポル・ポト派の活動地域から遠いことなどから、「安全」だとなる。そして「要員に選ばれるのは名誉なことだ」という雰囲気が広がり、「二の足を踏んでいた人も断りにくくなった」と、いうのである。

 師団長も、「PKO派遣は名誉ある任務だ。『手柄』はみんなで分けた方がいい」と、言う。もっとも「名誉」という言葉は復活しても、その下に付く「戦死」という言葉は誰も口にしなかった。


 それにしても、なぜ、こうも同じ光景が再現されてしまったのだろう。

 1992年9月17日、自衛隊のカンボジア派遣部隊が出発する日、2月に結婚し妊娠8か月だという女性(25歳)は、「きのうは夫の誕生日を祝いました。行って欲しくない。今でもそう思います」(朝日新聞、
9月18日)と、涙ながらに話している。

 小原ミチさんは、1942(昭和17)年10月に出征する夫を見送った。

 皆が集まって出征祝いをしてくれた夜、夫は座敷から見えなくなった。探すと、自分たちの寝部屋で、黙ってあぐらをかき座っていた。ミチさんを見て夫は、「俺なあ・・・」と言ったきり動かない。

 「今でも、オレ、ハ、その気持ちわかるマス。だれェナッス、喜んで行く人、どこの世界にあるベナッス。酒のんだって、騒いだって、なんじょしてその気持ち消えるベナッス。オレもハ、泣いでばりしまって、ろくな力付けも出来ないでしまったも」(『あの人は帰ってこなかった』岩波新書、1964年刊
)と、ミチさんは語る。

 その時、ミチさんは18歳。夫と暮らしたのはたった5か月、妊娠2か月だった。

 50年の歳月を重ねて同じ秋、二人の女性は戦地に赴く夫を見送る。18歳と25歳、結婚5か月と7か月、妊娠2か月と8か月。共に二人は泣いた。」

  (2012年1月6日、日本経済評論社 発行『自分の生を編む』プロローグ、3-8頁より) 




不在者投票にいかねばと思います

2021年10月24日 00時02分05秒 | 日記
 昼間は陽射しがまぶしかった土曜日、なんとか生き延びました。入力作業、ずっと坐っているのもよくないのでしょうね、これはこれで足腰が疲れます。かといって15分以上立ったままだったり歩き続けたりすると足に痛みと痺れがきてどうしようもありません。デパートの中とか、自分の歩いている姿の全身が映ったりすると体を左右に揺らしながら歩いています。いつからなのか自覚がありませんが変形股関節症の人の特長。仕方ありません、隔世遺伝により?生まれる前から右の股関節が脱臼しているのですから、これで半世紀以上生きてきているのですから、それをこんな年齢になって知ったのですから、自分ではどうすることもできません。出勤は週に3回、一日6時間が限界と感じます。在宅でやれる仕事もみつけていかないと自分を食わせていくことができません。手術をすればだいぶ楽になるって具体的にどれぐらい?どれぐらい楽になるんですかね、逆に大変になることはないんですかね。来週の月曜日も整形外科のリハビリ、予約していますがいきたくていくわけではない。次の日ものすごく体がつらい、出勤できない、整形外科なんかいくよりも自分を食わせていくためにわずかばかりでも稼ぎたい。毎週のように医者通いなんてまっぴらごめん。全身のバランスがとてつもなく悪く体全体が常に緊張していることですごく疲れるように感じます。もし変形股関節症でなかったとしら、もう少しまだやれるのか。この体で気力でここまできたのでどの程度まで疾患によるものでどの程度が加齢によるものなのかわかりません。悔しいですけれどこれまで年金も税金も払い続けてきたのに、支給開始年齢あげられて見込み額は毎年減るばかりではこの先生きていけなくなる時が訪れるという現実がリアルにせまってきました。今すぐではないですが5日間フルタイム出勤で働くことはもう無理なので、限界がくるときは前倒しになりました。60歳になれば年金の受給資格はあるようですが繰り上げ請求すると減額率×月数分減らされてそれがずっと続くらしい。そうでなくてもこれだけ?っていう金額なのにさらに少ない。今まで私が払ってきたお金なのになんとも悔しい。

 わたしだけではないと思います、同世代、下の世代、悲鳴があがっています。長い間社会保険料も税金も払い続けてきたのに、間接的に十分貢献してきたのに、一生懸命働いてきた人が報われない社会。投票用紙が一昨日だったかな、届きました。まだ開封していませんが不在者投票にいって反対票を投じなければと思います。帰着して団地の前に設置された選挙ポスターの前で立ち止まり、はて誰に?どこに?と考えてしまいました。でも投票率が低いのは肯定することになります。現役世代、若者、忙しくても、余裕なくても投票にいかないとさらに報われない社会になる、いびつなピラミッドがさらにいびつになる、さらに大変なことになっていくと危惧します。

住まいの地区の候補者がわかるサイト、
「第49回
衆議院議員総選挙
10月19日公示 10月31日投開票」
https://shugiin.go2senkyo.com/49/

最高裁判所裁判官の国民審査もあります。
NHKの特設サイト、
「最高裁判所裁判官 国民審査 2021 ❝憲法の番人❞ふさわしいのは」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/jd-miyama-takuya.html

日本が、世界がよくなっていくようにという思いをこめて不在者投票に行こうと思います。