人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

目が覚めた。

2005-02-28 00:00:29 | 出来事
頑張っているつもりでも、何か「はっ」とする出来事があると、やっぱり必要なほど頑張ってなかったのかも、と思えてきます。今はちょっと目が覚めた気分です。(気になる書き方ですいません・・・)

皆さんも、自分にも目を覚ますような出来事があったと想像するだけど効率がアップすると思いますので、これを試してみた下さい。

魔法を暴く

2005-02-27 00:34:22 | 人生論・閃き
マジックは種を暴けば「なーんだ」と思うものが多いのですが、世界には他にも色んな「魔法」があります。たとえば:

① フィギュアスケートのトリプルアクセル
② アイスクリームの天ぷら
③ ビルゲイツのビジネスセンス

修行を積み、自分がその達成に近づければ、これらの魔法についても「なーんだ」と思えるはずなのです。これらができて当たり前になったら、その時点から驚けるものは時代の先端を走るものばかりでしょう。

なーんだ。もっとこのセリフを、言えるようになりたい。

案件選び

2005-02-26 01:09:19 | ビジネス
企業として、受ける案件と断る案件がありますが、これを明確に区分けするのは困難です。どうしても忙しくて受け切れなかったり、「この顧客とは初めてだから・・・」「やっぱ大手だし・・・」ということで断り切れなかったりします。

これはどのようにすべきなのか、とても難しいところです。

さらに組織の中で、「会社にとって受けるべきか」というのと、「自分のためにも受けるべきか」というのは別問題である場合も多いと思います。迷わず前者を選べる人は会社としては貴重ですが必ずしも正当な評価を受けず、後者は世渡り上手といえども社内外問わず敵を作ってしまう可能性があるでしょう。

前者を採るという前提に立ったとした場合、やはり会社としてのLTV(Lifetime Value=生涯価値)で考えるべきですが、これを評価するのも至難の業であり、現在価値の問題や自社・顧客の倒産の確率など細かい要素もあるわけで結局どのようにしていいかわかりづらいものです。

このような場合のため、会社でクライアントリストをABCに分けたりしますが、これは精度に欠けますし、DSS(Decision Support System)といえども営業部隊がどれほどこれを考慮しているかは疑問です。

このような感じで、案件選びは難しいわけで、これだけでも企業に大損失が生じているのでしょう(機会費用として)。

そこで提案されるソリューションとして、キャパシティに合わせて作業員の増減を図るシステム。簡単な例を挙げるとすればアウトソーシングや、在庫などですね。しかしこれはこれで固有の問題があるのは公知の事実です。

明確な答えのない複雑な問題ですが、少なくとも問題意識を持ち、サービス業といえども現在および理想のキャパシティを把握し、ある程度の柔軟性を身に付け、余力を少しは残し、極端なケースには絶対基準、それ以外は相対基準を設けるところから始めるべきですね。少なくとも中小企業でこれができているところは少数にあたるのではないでしょうか。

一番大事な法律条文!

2005-02-25 01:06:47 | 法律
(筆者は弁護士ではありません。下記は法的アドバイスではありません。すべて私見であり、内容について責任は取りません。)

なぜか各法律の中で、「一番大事な条文って何だろう?」と考えてしまうクセがあるのですが・・・。

憲法では、幸福追求権などを定める13条でしょう。(ちょっと違いますが)これのおかげで恋愛(少なくてもその表現ではなく、その感情について)が自由になったようなものですから。

民法では、憲法13条等の「公共の福祉」の民法上の現れともいえる、信義則(同法1条2項)を含む第1条なのではないでしょうか。

そして商法では、「は?」と思う人もいるかもしれませんがやはり第1条がこれにあたるとします。商法の適用範囲と、商法の規定か商慣習がない場合は民法を適用するということを言ってる条文ですが、ただ単に民法の特別法であることを示しているのではないと考えたいと思います。やはり間接的には(民法経由で)憲法13条を受けることを規定しているのではないでしょうか?深読みしすぎでしょうか。

これがなくてももちろん憲法が一番偉いのですが、こう書いてもらえるとちょっと守られてる(?)気がします。

結局、大体の法律で一番大事なのは(普通法律の目的などを示す)第1条なのではないでしょうか。勝手な意見ですが、憲法+すべての法律の第1条だけを読むだけで国がどう回っているのかわかるような気がします。

ちなみに肝心の憲法の第1条は、天皇象徴性についてです。これが一番重要なのでしょうか?

一応明治憲法の改正という形式で作られた日本国憲法なので、明治憲法の第1章が「天皇」だったことを受けて、ということがあると思います。あと、マッカーサーさんらにとってはこれが一番重要だったのかもしれませんね・・・。

まあ米国憲法の第1章も行政府についてですから、諸国の憲法には前述のルールはあてはまらないのかもしれませんね・・・。

新しいパートナー

2005-02-24 00:16:10 | 出来事
昨日、新しいパートナーから連絡がありました。誰かと初めてお仕事するのはとてもわくわくします。

誰でも他の人が持たない感覚を持っているものなので、今回はどんな人なのか?何が学べるのか、どのようにお互いの人生・ビジネスセンスに影響を与え合えるのだろうか。

やはり仕事の最大の醍醐味の一つは、新しい出会いですね。

頑固

2005-02-23 00:25:58 | 人生論・閃き
ほぼすべての政治家、経営者、教授、専門家が頑固です。

柔軟になって、他の人の意見も聞きながら良いものを築きあげていくべきと教わるのに、なぜこのような現象が・・・?

きっと頑固といっても信念を持って自分の道を曲げないことから、人のいうことを聞かず思いのままのがむしゃらに走りぬくことまで範囲が広い言葉なのですね。そして上記のリーダーたちは、この間のどこかにいるのでしょう。

・・・などというと、RGBのパソコンで「R」の数値しか動かせないようなイメージになってしまいますね。世界が狭く感じますね。でも彼らの「G」「B」の設定は、実はあまり外れていないのだと思います。

要は、このようなリーダーたちが頑固さで勝負するという点については間違っていないということです。

このように解すると、「R」(頑固さ)のレベル調整だけが課題となるわけですが・・・これは正しい答えがあるのか、状況によって変わってくるのか、全く答えがないのかわかりません。ただ、どこで突っ張るか、頑固さの適用場面・頻度・強度を選ぶかということについて少し考えてみるのも面白いのではないでしょうか。特に、個人的にはこれを心得ていない政治家が世界中にかなり多くいるのではないかと思います。

下手な説明、かつ抽象的な話になってしまいましたが、何とか理論についてきてくれる人は是非ご一考願いたいと思います。

何人たりとも

2005-02-22 02:39:34 | 人生論・閃き
「○○を犯す者は何人たりとも許せない」という思いは皆どこかで抱えているものだと思います。とても大事なことですが、それがよっぽど大事なことであること願いたいと思います。

なぜなら、譲れないものが多すぎるのはただのわがままですし、それを理由に簡単に怒ったり殴ったりするのは自分の落ち度の言い訳にすぎないからです。

強い思いだからこそ大事にすべきですが、だからこそ確信犯へと繋がる可能性も高いわけです。

たとえば部下のこのミスだけは絶対許せないとか、友達のこのようなコメントだけは絶対許せないとか、そのようなちっぽけな概念は捨ててしまいましょう。意見を主張する権利、叱る権利、ときにはクビにする権利はあるのかもしれませんが、有形力を用いる権利などが認められるのは、一生に一度あるかないかのことであり、仕返しや恨みを晴らすことはまず正当化されるものではないでしょう。

○○は絶対許せない、と決め付けることは「キレる」ことを促してしまうものです。とすれば、このような侵害・程度を明確にすることは妥当ではありません。物事を曖昧に捉えたり、忘れてしまった方が良いというケースもあるわけですね。

差別されてしまったら

2005-02-21 08:15:35 | 人生論・閃き
よく性別・年齢・外見・収入・勤務先・出身地・出身校・彼女いない歴・スーツのブランド・IQ・専門知識の有無・冬ソナのエピソードに関するトリビアなど、あらゆる場面で多数からの差異を根拠とする差別が起こっています。

特に日本ではとても多いような気がします。欧米で、「太ったね」「老けたね」なんていわれることなどありえませんが、日本では毎日のように耳にします。

確かに、冷静に考えるとひどいことです。生まれながらのこと(性別・年齢)、帰られない過去のこと(出身地・出身校)などについては殊更です。

しかし言う方は、ほとんどの場合は特に傷つけようと思って差別的な発言をするのではないと思います。逆に、そのような差別を直接言えるというのは懇意である印だったりしますね。欧米の人からすれば不可解な部分もあるのでしょうが・・・。

実際何らかの理由で差別されてしまったら、その意味ではなくその意図を考えましょう。特に深い意味がないのであれば、「こんにちは」に置き換えて認識するようにしましょう。慣れればできないことではないと思います。本当に悪意がある場合のみ、怒りがある程度正当化されるといえましょう。

軽率な言葉は聞き流したり、許してあげるようになりましょう。差別される方は、差別をし返さなければ差別する方より上手(うわて)なのです。そしてこれを上手と思ったとしても、それにかかわらず相手を平等に扱ってあげれることが本当の意味での「上手」なのではないでしょうか。

認めてくれる人

2005-02-20 12:03:12 | 人生論・閃き
認めてくれる人は、たとえ誰であっても嬉しいものだと思いますが、度合いの差があることは否定できません。

たとえば個人的には、「天才!」と言われるのであればくりぃむしちゅー・上田に言われた方がくりぃむしちゅー・有田に言われるより100倍ぐらい嬉しいと思います。

人をもっと喜ばすためには、以下の2種類の人たちにお願い事をしたいと思います。

① とにかくすごい人

自分を追いかけてくる人たち、その他の人たちを認めてあげましょう。それだけかなり喜ばせることができます。

② 人を認めることができる人

すごい人になってください。そうすれば、相手に与える喜びも増すでしょう。

居心地の良い社会を!日本列島を劣等感フリーなエリアへ!!

ブログのコメントを増やす!(間違い法・足りない法)

2005-02-19 00:26:38 | 人生論・閃き
※このブログでは、下記のようなテクは特に利用しておりません。ご安心を。

誰かが偉そうに何かを語っているとき、その内容に間違いがあったら指摘したくなってしまいますよね。そこで、この心理を逆に利用した、ブログに対するコメントを増やす方法を考えてみました。

名づけて、「間違い法」。

間違ったことを、わざと書くのです。そうすると、「アホ。」と思った人が、「アホ。」というコメントを書いてくれるのです。嬉しくないかもしれませんが、議論をした方が全員同意する話題より盛り上がります。ただ単にアクセス数が多いかのように見せたいのであれば、良い方法かもしれません。

これはWebの匿名性による特徴なのでしょう。普通会話するとき、特に親しい友人などでない限り相手に話しを合わせます。とりあえず頷くなどして、否定はあまりしません。しかし、実際このブログに頂いたコメントを見てみると、「これ、ちゃうよ」というコメントも3-4割あるのではないでしょうか。

応用編として、「足りない法」があります。

優れた知識を持つ場合、なぜか匿名なのにアピールしてみたくなってしまうものです。読者の方が、作者より優れた知識を持っている場合も、上記に似た理由でコメント数が増えるでしょう。よって、研究不足な分野につきわざと書くということもコメントを促すテクニックとなるでしょう。

ブログでマーケティングをされている皆様、是非一度お試しください。Bad publicity is better than no publicity と言われますし・・・。ただし、逆効果になっても責任は取りませんのでご了承下さい。


ところで、アテネオリンピックで見事金メダルに輝いた高橋尚子選手がレース中に投げ捨てたサングラスが、ヤフーのオークションサイトで150万円で落札されたそうです。Pちゃん、おそるべし。

恋の後遺症

2005-02-18 00:00:32 | 恋愛
恋をすれば、傷つくこともあるでしょう。関係が終わってしまったら、相手を嫌ってしまうことすらあるでしょう。しかしそれ以上に、甘さが故に恐ろしい恋の後遺症があるのではないかと思います。

それは、良い思い出の数々。

好きのまま別れてしまった相手がいて、嫌いになれなかったとしたら、そのまま好きでいるのでしょう。そして何かが終わったとき、人には偏った思い出しか残らないものです。辛い経験なら辛い思い出ばかりである反面、好きな人と過ごした時間はすべてほどよいBGMとほどよい香りに包まれた黄金の時に思えてしまいます。それはそれで良いことですが、次の恋に移るのが大変ですね。

更に、付き合ってたとき以上に好きになってしまうケースも多く、「こんなに好きなのに次の恋に移っていいのか?」と思ったり、「この人が永遠の愛の対象だ」、と思ったりしてしまいます。これが正しいか否かについては、答えはないので言及しませんが・・・。

また、言い方は悪いのですが「一度手に入れた」人であるため、「再度手に入るはず」という心理もどこかで働くのでしょう。根拠がないとは言えませんが、思うほど容易でないことも多いでしょう。

今回は別に持論を伝える趣旨ではなく、問題提起で留めようと思います。前に進みたいと思っているとしたら、良い思い出に拘ることを「甘え」の一種だと捉え、強く踏み出すことも検討すべきですね。

逆に、「やっぱり頑張る!」という人にはエールを送りたいと思います。一目惚れを除き、時間をかけて相手を想い続けることが最大の武器だと思います。

限定された・・・愛?

2005-02-17 00:55:09 | 恋愛
人はあまり無限・永久不滅なものを大事にしません。大事にしなくてもなくならないからです。限られているからこそ、無限に憧れるのでしょうが、逆に無限を得てしまったらいずれありがたく思えなくなってしまうのでしょう。

究極的には、無限を得る過程の方がその結果より重要なのかもしれません。

では、「永遠の愛」はどうでしょう。夫婦といえども、愛しつつもケンカしたり合意できなかったりする場合もあるからこそ愛が続くのでしょう。結果的に永遠であったとしても、不変ではないし、永遠である保障がないわけですね。

しかし、やはり「不変の愛」は信じたくなるものなのでしょう。信じてしまうのが「初恋」なのでは?そして、相手に、自分に、愛に、相互関係に、人間の安定性に期待しすぎて、傷つけ傷付けられてしまうのではないでしょうか。そして人は成長していく・・・のでしょうか?

表記のように「限定された愛」というと、夢がなく冷静すぎるように聞こえますが、実はそうでもないと思うのです。ロミオとジュリエット、タイタニックのジャックとローズなど、制約されて安定性を望めない関係であるからこそいっそう熱くなれるのかもしれません。

としたら、やや一般的な「この恋は終わってしまう可能性が高いけど、永遠だと信じよう」というスタンスよりも、むしろ逆に「この恋は永遠に持続できるかもしれないけど、常に限定されたものだと思ってフルに愛し合おう」と思うことの方が良いのかもしれません。

このような心の持ち方がロマンティックなのか過剰な理論なのかの判断はおまかせします。私のここでの仕事は、視点を提供すること。選択権は、あなたの手に。

口臭チェック!

2005-02-16 00:26:52 | 出来事
突然ですが、Halitosis (口臭)について簡単な調べごとをする機会がありました。

自分の口臭はあまり気付かないもの。目が闇に慣れるように、鼻も自分の臭いに慣れてしまいます。(良いことなのかもしれなせんね!)

そこで、まず自分の口臭を簡単にチェックする方法を。

まず、舌の先。これは簡単です。
手首を舐めて5秒待ってから嗅いでみましょう。臭いと思ったら、他人もそう思うのでしょう・・・。

次に、舌の奥。この部分の方が要注意です。スプーンなどを裏返しにし、舌の奥を軽く掃除するような感じに動かしてみましょう。このスプーンの臭いが、他人が認識するあなたの口臭です。

原因は色々とありますが、とても化学的なので触れません・・・ただ、舌や歯周ポケットにたまった菌に原因があるということに留めておきましょう。口臭で悩んでいる人の8割以上は、舌の奥に菌が溜まっているということらしいです。

では、どうすればいいのか。

特に朝一は口臭が際立つ時間帯らしいのですが、これは口が渇いていて唾が少ないためです。とするとまず考えられるのは、水を飲むこと。これだけで口臭が和らげられます。菌が流されてしまうと考えれば、当たり前といえば当たり前ですね。

また、唾は殺菌に役立つといわれていますが、唾を促すためシュガーレスガムなどを噛むのも効果的のようです。もちろんガムじゃなくても、葉っぱでも仕事用バインダーの角でも、なんでもいいでしょう・・・。梅干やレモンを想像するのも効果的かもしれませんね。

そして、当然ですが、舌が問題なら舌を奇麗にするべし。歯だけでなく、舌もちゃんと磨きましょう。吐き気がしない程度に、奥までがんばって磨いてください(強く磨く必要はありません)。歯ブラシより、舌専用クリーナーなどの方が楽なのですが、日本ではあまり売っているのも見たことがありません・・・。私はアメリカにいたときは通販で買ってました。(一本1ドルぐらいでした。)意外と気持ちいいものです!

特に、たんぱく質が口臭の原因となるようなので、肉や魚を食べた後は必ず歯&舌を磨きましょう。

最後に、タバコを吸う方へ・・・これは舌だけの問題ではないので、これだけではダメでしょう。ただ、水を飲むことなど、上記の対処法が効果的であることに変わりはありません。あとは市販のもので・・・。

・・・変なトピックでしたが、ご参考になればと思い掲載してみました。
より居心地のよい世界を!!アフィアより、愛を込めて。

言い訳になりうるもの

2005-02-15 00:49:50 | 出来事
今のあなたの第一目的は何でしょうか。今この瞬間、一番大事なことは何でしょうか。

まず、これを即答できなければ話になりません。続きを読む前に、考えてメモでもしておきましょう。

さて、その第一目的のために何をすべきでしょうか。おそらくやり方はひとつではないし、不明・予測不可能な点もあるでしょう。それはかまいません。

ただ、時間は一日24時間しかありません。人生は一度しかありません。

これらを前提に考えると、第一目的に向かって動いている時間以外は、ある程度のロス(一種の機会費用)を生み出していることになります。たとえ、それが一見正当理由と思えてもです。

たとえば目的が、プロ野球選手になることだとしましょう。年収2億でプロサッカー選手になることも、内閣総理大臣になることも、浜崎あゆみさんとデートすることも相対的に考えると全くの時間の無駄です。もちろん目標が一つであるわけではないし、息抜きも大事だし、こんなにストイックに考えなくてもいいとも思えます。ただ、このような視点を持ち、良さそうなことが本当に今の自分にとっていいのか、と考えることも重要なのではないかと思います。

何が言いたいかというと、有意義そうで有意義じゃないものがあるということです。確かに「仕事」だったらやらなきゃいけない。毎週2回買い物しなきゃいけない。こういった、「・・・なきゃいけない」という前提を疑問視する習慣をつけてみるのはいかがでしょう。

前述のとおり、「仕事」ですら、第一目的の前では、単なる「言い訳」の一つにすぎません。仕事が「言い訳」なのなら(第一目的もしくはそれに関連するものでないのなら)、そもそもなんで転職・独立しないんだ?という疑問も別途生じうるといえますが・・・。もちろん人生の色んな面について総合的に判断する必要があります: たとえば、「安定性」や「家族の幸せ」が一番大事なのなら、これに間接的に関与する「サラリーマン」という仕事は目的達成に資するものなので、問題ありません。

ということで、少しずつ、自分の習慣や決め事(特に、「毎週金曜は倒れるまで飲む!」など)を見直してみましょう。

本当の役者、本当の作家

2005-02-14 00:06:09 | 人生論・閃き
本当の役者は、自分が必ずしも同情に値すると思わなかったり、経験や人生観が異なる役をも演じることができるでしょう。まるで、自分がそのような経験を背負い、そのような価値観を持つに至ったかのように。このような役者は、殺人犯から白馬の王子まで演じられるのでしょう。これこそ「役者」。

では、本当の作家はどうか。きっと、同じことなのだと思います。自分が見たことない景色、感じたことない感情を、まるで自分の一部であるかのように描写することができる人なのではないでしょうか。本当の役者もそうですが、とても憧れる存在です。

私はこのブログにおいて、自分が必ずしも信じない視点についても(たまに)書いてみたりしています。皆さんに「これはいつもとちょっと熱の入り具合が違うな」などとわかってしまうようであれば、まだまだ修行が足りないということになりますね・・・。

このブログに関していえば、出来事の説明のようであっても「人生論・閃き」のカテゴリーに入っているものは(「私は」と明言してなければ)一定の程度の確率で、自分が直接経験したことがないことであるかもしれません。

逆に、「出来事」とあって、人生論っぽいことを書いているときは、実際の出来事について、実際感じたことであるケースが多いでしょう。そして、その「出来事」の登場人物(結婚式だったらその新夫婦、など)への隠れたメッセージであったりします。

これは、ブログ開始直後からある程度守ってきているポリシーです。そこら辺も考慮して今後読んでいただけると、ちょっと違う視点で読めるかもしれません!今後とも注意してみてくださいね。自分にかかわるイベントである場合は、読み直してみてはいかがでしょう?新たな発見があるかも知れません!

ふっふっふ・・・。(意味不明)

(注:その際マイナスの解釈がある場合は、きっとそれは意図したメッセージではありません!そんな陰険なことはしませんよ。)