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人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

優しいだけ

2010-06-11 21:53:54 | 恋愛
優しいだけではモテない、と中3ぐらいのときに友達から教わりました。しかし、もともとモテない人としては優しくする、我慢する、話を聞くぐらいしかなかったのです。女の子と仲良くなれることも多くなりましたが、それでモテ出したというわけでもないと思います。

ときが流れ、同年代の女性の興味がサッカー部からイケメン、カリスマ性、有名企業内定者、デキる人、3K(古い?)、安定性、などとかわって行きました。どの時点でも優しい人が一番流行ったことはありません。もちろん大事なのですが、それだけではダメのように思えました。

それでも「優しいだけ」の人になってみたい。そして、「優しいだけ」の人を好きになれる人と一緒になりたい。人生で達成したいと思っていることが多くて、小さな優しさは積極性の陰に隠れてしまっているような気がします。昔から優しい人であったわけではなく、我慢していただけかもしれません。そういう想いもあって、優しい人間になりたいという強い気持ちがあります。

本当の優しさが試される場面は、相手がそれを理解してくれないときだと思います。愛されなくても、より強く愛せるか。恩を仇で返された時、なお与え続けられるか。恥をかかされた時、逆に相手がその行為によって恥をかかないような配慮をまず考えられるか。知らない人にお節介できるか。嫌われる覚悟で相手のために動けるか。

優しくなろうという努力は、あまり美しく聞こえないかもしれません。偽善に聞こえるかも知れません。でもそれは最初のうちだけだと思います。だから、やってみます。あえて、モテないキャラになる努力を。

理解への理解、軽蔑への理解

2009-03-05 15:39:53 | 恋愛
同業の人と結婚するケースはどの業界でも多いと思います。出会いやすい、業務や辛さが理解してもらえる、仲間も共通だったりする、といろいろ理由はあると思います。

しかし特殊な業界の中では、それ以上に深い共感が生まれるのではないでしょうか。特に、一般の人に軽蔑されたり、不潔と思われたりするものを扱っている場合です。

例えば、彫刻家。裸体が見慣れているから、目の前にいても動揺しないし、直視できるし、普通の人がどう反応するのか忘れてしまっているかもしれません。例えば、医療従事者。血液や臓器、そして排泄物を生理的なものと考えるため何の抵抗もありません。そして、学校の先生。色んな親、色んな子を見ているため、「この人、ヘン。」と思うに至る閾値が高いのかもしれません。

逆に、例えば保険会社の人と商社の人との間では、業種は違いますが、一般人が「うわっ」と不思議がることを普通と思うところが少ないのであまり問題にはならないと思うのです。

価値観は環境に影響されるもの。大人になるにつれて、そういうところを理解できる必要があると思います。最近では「これが俺・私だから」と自分は変えない、相手が合わせてほしい、という人が多いように思えます。

しかし、生き方は変えなくても、物事に対する姿勢は一瞬で変えられます。みんなが面白いと思うことが面白くないと思う人の気持ち、そしてその背景を理解できるでしょうか。そうしようとしているでしょうか。自分がキモいと思うことを普通に処理している、もしくは楽しんでいる人がいたら軽蔑せずに共感できるでしょうか。誰にでもそういう点があるはずですし、子供たちにもそんな柔軟性を持ってほしいと思います。

もちろん、逆に軽蔑の目を持つ人の背景も理解しなければなりません。これは容易にできるはずなのになぜか「違う種類の軽蔑」を抱いている人にはあまり理解を示せないのが人間です。もちろん軽蔑を強めるという意味ではなく、軽蔑する人を軽蔑することも良くないという意味です。

どの業界でも「ニーズが多様化している」と叫ばれていますが、その半分はもともとあったニーズで、珍しくて、または恥ずかしくて、軽蔑されるのが怖くて、表現すらできなかったニーズなのではないかと思います。それに目を付けるのはビジネスの秘訣だけではありません。

それは人の心への扉でもあると、私は考えています。

千より一、そして一より千

2008-07-31 23:24:52 | 恋愛
「百聞は一見にしかず」などといいますが、ひとつの何かが多くの何かに勝ることは多いと思います。当然、千の1円玉より1枚の一万円札が欲しいと思いますが、もちろんそういうことではありません。

千の祈りより一つの行動を。
千の売り文句より一つの質問を。
千のメールより一つの手紙を。
千円のプレゼントより一つの笑顔を。

そして、千のダイエットより一度の受診を。
食べないのにやせないのならクッシング症候群、周りに痩せすぎと言われてもまだ太ってると思うのなら神経性食思不振症の可能性があります。(注:筆者は医師ではありません。詳しくは医師にご相談ください。)

さて、それはともかく、一より千の方が良い場合もあります。これは異論があるところかもしれませんが、

ひとつのキスより千のハッグを。
ひとつの夢より千の目標を。

そして、ひとつの愛より千の恋を。
これは「えっ?」と思うかもしれませんので説明しましょう。というか、これが今回のテーマなので。あくまでも私の勝手な意見ですが。

まず、「千の恋」であり「千人への恋」ではありません。千人への恋も非常に魅力的です・・・なぜなら数百年生きて、かつ精神病がなく、若い心を保ったままでいないと実現できないことだからです。気が多い人でも毎日違う人に恋をするわけでもないでしょうから・・・。

次に、「千人への恋」なくして「千の恋」をする方法ですが、これは簡単です。同じ人に千回恋をするわけです。ただし、これは上手くいった相手とにしましょう・・・ストーカー行為は犯罪です。

ひとつの愛は美しく、不滅であり、安定していて、どんな少女マンガ読者でも夢見る思春期の終点みたいなイメージのものです。しかし(勉強不足でわかりませんが)おそらく大体の少女マンガは愛ではなく恋の物語。そして恋が実現(=白馬の王子をゲット?)すると話が終わります。そのあとの話はマンガにできないほどつまらないのでしょう。だって、安定しているわけですから。恋人同士の少女マンガもあるとは思いますが、その場合はおそらく問題がいろいろあってわかれるかも、離れ離れになった、恋のライバルかもしれない人が現れた、(韓国ドラマでは交通事故にあった、記憶喪失になった、実は兄妹なのかも?)などと愛ではなく熱い「恋」の気持ちを蘇らせるような出来事が盛りだくさんになっているのでしょう。結局は恋の物語。

そんな熱い気持ちをずっと持っていたい。何度も惚れ直したい。100歳になっても相手に「ドキッ」とする瞬間がほしい。

正確なデータはありませんが(あったら困ります)、全国数百万人の夫・妻が深い「愛」の中にいながらも不倫を経験しています。それは愛があっても恋が冷めたからだと思います。一方、恋をしているうちのカップルで浮気している人はかなり珍しいと思います。このことから、恋の繰り返しは結局のところ「愛」より安定しているのかもしれないとすら思います。

思うに、同年代のうち恋に落ちることができる対象はざっくり7~8%。愛せる人は2~3%。しかしずっと繰り返し恋ができる対象は0.1%。すべて数字が大きく思えるかもしれませんが、高校のクラスに異性が30人いて、2人は結構いいかも、恋に落ちちゃうかも、と思ったらすでに7%です。

そして、千の恋の対象となる0.1%の人。ずばり千人に一人。結婚前に1000人の同世代の異性に出会える人はかなり稀だと思います。その中に一人いるかいないか、これはもう「オンリーワン」の領域です。

しかし一人にとってのオンリーワンは、大体色んな人にとってのオンリーワンです。私が中1だったとき、男子は一学年40人程度でしたが確か9人が同じ女の子を狙ってました(蛇足ですが、全員撃沈していました)。これも更なる「恋」を生み出す要素かもしれません。

最後に、千の恋の対象が自分を千の恋の対象と思ってくれる必要があります。これが私の理想。やっとここまで辿り着きました。探しているものがわからないと、いつまでも見つかりませんからね。

※ 補足事項 8/4/2008

「やっとここまで辿り着きました」というのはこの「結論」に辿り着いたという意味です。「千の恋の対象」に辿り着いたという意味ではありません。「探しているもの」がわかっただけで、それを見つけたわけではありません。

「おめでとう」らしきご連絡を数件頂いてしまった大変恐縮しております・・・。文章力が至らず誤解を招いてしまい申し訳ございませんでした。

どれだけの愛

2007-07-19 16:52:12 | 恋愛
星の王子さまでは、「愛とは、お互いに見つめ合うことではない。一緒に同じ方向を見つめることだ」みたいなことを言っています。バラの花とケンカして家出してきた宇宙人にしては素敵な言葉ですね(王子のセリフでしたっけ?はっきり覚えていません・・・)。

しかし、不思議な言葉でもあります。愛とは、見つめ合うことでもあり、同じ方向を見つめることでもあり、違う方向を見ることであると思います。どの方向を見てても愛してる、それが愛のはずです。

ヒトは激しく似ていますが、人は激しく異なります。そして変わります。それでも一人だけを愛する、それは奇跡です。だから人は愛に憧れるのでしょうか。

「私が年をとっても愛してくれる?」
「もちろんだよ、ダーリン」

「私が上顎癌の手術を受けて顔の右半分がなくなっても愛してくれる?」
「もちろんだよ、ダーリン」

「私が同時多発テロの実行員になって日本の地図から栃木を消滅させたとしても愛してくれる?」
「・・・もちろんだよ、ダーリン」

「私が実はあなたをずっと騙していて、最初から全く愛していなかったけどアッシー程度になるからまあいいや、キープ7番目ぐらいにしときゃいっか、私名義で保険金いっぱいかけてもらって早く死んでくれないかもしれないしね、yeah hit it baby one two three, uh-huh, rock the house yo、このバカどーせ私に惚れてるし私めちゃ可愛いしこいつありえないし、と今でも強く思っているとしても愛してくれる?ついでに口臭ひどいよ。」
「・・・・・・もちろんだよ、ダーリン」

本当の愛って、本当になんなんでしょう。どこまでの許容、どこまでの思い入れが愛なのでしょう。人がそれがわからないまま愛をしてしまい、愛だとわかるのもまたすごいと思います。愛とは何か、やはりあまり深く考えない方が幸せなのかもしれませんね。

織姫に会うために

2007-07-07 00:02:17 | 恋愛
(注:七夕説話の認識に誤りがあるかもしれません。その際はお見逃しください。)

天の川に橋をかけてくれるカササギという鳥は、なんとカラスなのです。いいカラスもいたものです。

そして無数のカラスの背の上を歩くのは、夏彦ではなく織姫のようです。男なら妻にそんなことさせるな、と思ってしまいます。

更に、このお人よしカラスさんたちは織姫が帰るときに、わざわざもう一度織姫のために橋を作っていると思われます(そうじゃないと溢れる天の川を渡れませんから)。そんなことしなければ、二人はずっと一緒にいれるのに・・・。

そもそも天の川を作ったのは、織姫のパパなわけですが、孫がほしいという気持ちはないのでしょうか。万一できてしまったら、女手ひとつで育てさせるつもりでしょうか・・・。

他にも突っ込みどころが多すぎるお話ですが、とても好きで憧れるお話でもあります。とても好きな人がいるときは、一日でも会えないとそれが一年ぐらいに感じてしまいますよね。心の中では、我々も何気に夏彦・織姫しちゃっているわけです。

バサバサと翼を上下させるカラスの背を歩いてまで会いに来てくれる織姫のために、何かしてあげたい。会っている数時間を最高の時間にしたいし、会っていないときも幸せになれるようにするのが一番ですよね。

空のかなたでは、さすがに携帯電話を発明しちゃうのは反則だと思いますので、1年分の逆日記の交換なんか良いのでは、と思います。毎日を一緒に過ごしている気分になれますし、同時に自分も毎日を逆日記どおりにがんばろうと思えます。

別に織姫的存在がいなくても、いると思って逆日記を預けてしまえば同じように頑張れるかもしれません。それはとても良いことだと思うのですが、やはり織姫が実在するか否かというのはモチベーションに大きな影響を与えるものです。

天下を獲るには、「この人のために天下を獲りたい!」と思えるような存在を見つけるのが一番の近道なのかもしれませんね。

好きになりたい

2007-06-23 10:01:50 | 恋愛
好きな人がいないときは、「誰かを好きになりたい!」と思うことが多いと思います。恋愛は辛かったりしますが、やっぱりしたいものですよね。

同じように、打ち込む趣味などがない人は、「何かに熱くなりたい!」と思うのかなと思ったのですが、そうではないケースが多く見られます。

これにはおそらく色々と理由がありますが、恋愛は本能であることに対して自己実現というものはそのレベルには達していないものなのかもしれません。それに、あまり好きな言い方ではありませんが、好きになるのも恋愛するのも比較的楽です(それ以降はそうでもないかもしれませんが)。ディズニーランドに行ったり誕生日プレゼントを選んだりするのと、10年以上も一日3時間泥まみれになってラグビーの練習するのとどっちが「楽」かなんて問うまでもありません。

新しい趣味などを始めないもうひとつの理由として、人は「現状維持」を好む傾向があることが挙げられます。習慣になればジョギングも低カロリー食もそれほど辛くはありませんが、最初は大変ですよね。何かに慣れたら腰が重くなってしまいます。

この観点からすると、「誰かを好きになりたい!」という気持ちの方が例外ということになります。特に困っているわけでもないのに、自ら変化を求めるということだからです。それほど強い気持ちは本能で片付けてしまうのではなく、やはり大事にするべきですよね。

タイミングではなく、スピード

2006-09-19 01:18:11 | 恋愛
よく恋愛はタイミングだといいますが、実はスピードなのではないかと思います。

早い者勝ちということではなく、関係を進展させる早さのことです。「恋愛のペース」といってもいいでしょう。

たとえば、遊びまくってる男と純粋な女の場合。お互い外見的に魅かれ、性格もある程度合うとしましょう。それでも男は「なんで2回目のデートでキスができない?」と思い、女は「え、いきなり手をつなぐの?ちょっと怖い・・・」と思うかもしれません。これではお互いやり辛いですよね。

しかしお互いが同じペースで関係を進めたいと思っていたらどうでしょう。手を握って欲しいと思ったときにちょうど相手も「もういいかな」と思って手をつないでくれるのです。そろそろ高級なレストランに行ってみたいと思ったときに、「そろそろフレンチにでも・・・」などと誘ってくれたりするのです。運命を感じるには十分ですね。

最後の「好きです!付き合ってくださいっ!」のタイミングも、同じペースで進めていれば当然に合うわけです。こんな恋愛、素敵ですね。一番これが合いそうなのは初恋ですが・・・これが終わってしまった(大多数の)大人の皆様は、少なくても相手のペースを意識してみるのもいいかもしれません。

また、付き合いだしてからはペースより価値観や「暇度」がとても重要になってきます。第2次試験、といったところでしょうか・・・。やっぱり恋愛は大変ですね。

マーケティングの観点から考える恋愛論

2006-01-23 01:42:27 | 恋愛
Sell the sizzle and not the steak.

マーケティングの人なら聞いたことがあるフレーズだと思います。レストランがステーキを売りたければ、肉そのものではなくステーキが焼ける熱く美味しそうな音(=sizzle)を売る(=アピールする)ということです。

人が何かを買う理由は、その物の所有者となりたいからであるケースは稀です。自動車でなく利便性や爽快感を買う。保険ではなく安心感を買う。本ではなく知識や世界観、夢や冒険を買う。カメラではなく思い出を買う。

では恋愛は?

人が恋愛を求める理由は十人十色なのでしょうが、似た理論が当てはまるのではないかと思います。たとえば、「可愛いから好き」というのは間違いではないのでしょうが、それより「そんな可愛い人と一緒に過ごせる時間が好き」「そんな可愛い人と一緒にいるのを見られるのが好き」「そんな可愛い人が一緒にいたいと思ってくれる、と思えるのが好き」などと掘り下げていくと個人的な、あまり言葉に表したことがない理由が出てくるかもしれません。

上記の例は、相手からすれば一見「納得いかない」理由かもしれませんが、決して悪いことではないと思うのです。人の動機は過去の経験や置かれる環境に影響されるものであり、他人に言いふらさないにしても自分が自分であることのひとつの要素です。そういう魂胆があったとしても、恥ずかしがる必要はないと思います。

むしろ、それを誤魔化して後付けの理由などを用意したりしてしまうから、離婚率が上昇したりするのではないでしょうか。

マーケティングの観点といっても、「顔ではなくそのような願望を満たすように相手にアプローチせよ」ということを言いたいのではありません。そんなことでは短期的に付き合いができたとしても、すぐ冷めちゃったり、自分の中の整合性が保てずストレスが溜まったりするでしょう。

逆に、自分が自動車でなく爽快感を求めていることを理解することが大事だと思うのです。買い手、すなわちマーケティングを受ける側の視点から考えるということです。

「落ち着いてて笑顔が優しい人」が「タイプ」だとしたら、それは実際何を求めているのでしょうか。日頃のストレスから逃れる癒しでしょうか?怒られないという安心感でしょうか?一緒に仲良く子育てをすることでしょうか?求めている本質を理解することで、「タイプ」などという曖昧な概念に頼るより、ひとりの人間として求めている恋愛の形が見えてくるのではないでしょうか。

あなたの恋愛の「sizzle」は何でしょう?

同じ世界に住む共同探偵

2006-01-13 03:25:25 | 恋愛
サン・テグジュペリは「星の王子さま」で、「愛とは、見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見ること」などというようなイメージのことを書いています。(日本語で読んだことはないので、どのように訳されているかは知りませんが・・・リサーチ不足ですいません)。

半分同意しつつも、それだけではないと私は思うのです。

私は相手に同じ方向を見ることまでは要求しませんが、同じ方向を「見れること」は大事だと思います。お互いの世界観を理解できること。そして、なぜ相手が選んだ人生を選んだのかが理解でき、それに賛同でき、応援できること。愛の半分は、世界観の理解なのではないかと思います。そしてもう半分は、人それぞれなのでしょう。

私が求める恋愛対象は、「同じ世界に住む共同探偵」なのかもしれません。「同じ世界」とは、同じ人生観、世界観、死生観。たとえば、同じ夢を見ることではなく、人生の中で「夢」というものが占める重要性の度合が同じ。同じものに同じように喜ぶ必要はなく、「喜ぶときは思い切り喜ぶ!」などという姿勢が同じ。

そして「探偵」とありますが、これは同じ好奇心を持って人生を歩む人という意味です。同じものを求めていなくてもいいのですが。この言葉は、人それぞれによって異なる愛の「もう半分」なのではないでしょうか。人は皆、「同じ世界に住む共同○○」を求めているような気がします。私自身が新しいものや成長に重きを置く性格だから「探偵」となっているだけです。

ところで、「セミロングのストレートヘアで目が大きくて・・・」といういわゆる「タイプ」だけで恋愛相手の絞込むのは何かが違うと思いますが、これを全く無視するべきでもありません。外見や経歴によって、世界観がある程度読めるのです!試験や面接が採用にまったくムダではないことと同じで、半分はわかるのです。恋愛の場合は、「世界観」という半分の半分、すなわち最低でも25%(もう半分に影響を与えることもあるので)。・・・別に数字で定めるほどでもないのですが、目安にはなると思います。

結局、人は、自分に似てほしいところが似ていて、似てほしくないところが似ていないという都合のいい人を求めてしまうのかもしれませんね。以上、久々の恋愛論でした。

ひとつの20代後半以降の恋愛論

2005-08-08 21:43:43 | 恋愛
(注:あくまで、ひとつの勝手な理論です。別に自分の恋愛感だとかいうわけでもありません。「俺は違う!死ぬまで、常に愛する人に尽くす!!」と思う人もいらっしゃると思いますが、世間的にそれをアピールしたければこのブログの下に実名でコメントしていただいて結構です。ただし、弊社で恋愛マッチングは行いませんのでご了承ください。ブログ上でよければ簡単な恋愛相談は無料でしますが・・・。)


ゲーム理論的にいうと、継続的に取引関係がある場合は協力し、一度限りの関係であれば相手をズタズタにしてでも儲かりたいと思うはずです。いつもどおりビジネスでのお話なので、完全なる経済人間であるという前提ですが。

これを直接恋愛に適用するわけではなく(そうしたらひどい話ですよね)、出会いから結婚以降までの振る舞いに応用してみました。イメージ的に20代後半以降にあてはまるのでしょうか。

まず、出会い。

お互い惹かれあったのなら、お互い共通な話題を提供したり、話を聞いてあげたり、買い物に付き合ったり、同情・同調・譲歩しながらいい関係を創り上げていくのでしょう。男女平等とはいえ、21世紀に入ってもやはり男の方が頑張る傾向が顕著ですね。7:3ぐらいでしょうか。

そしてお付き合いをすることになると、関係に変化が起きます。男はひとまず満足しますが、女は結婚まで結びつけようと思う人も多いのでしょう。とすると、男は安心し、女は不安のまま。均衡が崩れ、努力の割合は逆に3:7ぐらいになります。

その過程で、男は「本性を現す」というと変ですが、今までのレディースファースト概念が薄れていってしまうケースもあるでしょう。プレゼントの額や回数が減ったりするかもしれません。女も、結婚を意識するとはいえ文句も多くなるのでしょう。なぜなら、女の方が「あるべき恋愛」の姿がはっきりしているように思えるからです。これから脱線してしまえば、今後の結婚が危うい、そう潜在的に考えている可能性もあるのでしょうか。結婚を控えて男を「教育」しておきたいという人も(わかりませんが)いるのでしょう。だから、文句をいって男のカタチを変えていこうとする。しかし、我慢をするところは我慢をする。

そして、めでたく結婚。これ以降は5:5でしょう。出産と子育て vs 仕事でどっちが大変だなんて、甲乙点けれるものではありません(私は当然後者しか経験ありませんが)。仮に出産 vs 仕事と子育て、出産と仕事 vs 子育てだったとしても、やはり判断できません。

これをまとめると、

第1フェーズ: 男7:女3
第2フェーズ: 男3:女7
第3フェーズ: 男5:女5

になります。確かに第1フェーズより第2フェーズの方が長いケースがほとんどでしょうが、リスクとしては第1フェーズの方が大きい。20代後半以降では、出会い→恋人の方が、恋人→夫婦より確率が低いからです。結局両性、同じ努力をして恋愛をしているのではないでしょうか。

同じといっても、努力バランスが2度も崩れます。これが多くの破局の理由なのではないでしょうか。少なくてもアメリカでは、「恋人間の90%の問題は、コミュニケーション問題である」といわれますが、私はそれは極端なのではないかと思います。コミュニケーションの問題だけでなく、その問題の発端となっている努力バランスとその認識が均衡していないことに起因するのだと思います。

すなわち、女は第1フェーズから第2フェーズに移転するとき(付き合い始めるとき)、この努力関係の変化を認識するべきということです。今までのようにお姫さまのように扱われるわけではない。

逆に、男は第2フェーズから第3フェーズに移転するとき(結婚するとき)、付き合い始めてからの「うるせーな、俺は疲れてんだよぉー」態度を改める必要がりますね。

「釣った魚に餌をあげない」というと極端ですが、多少これがあったとしてもおかしくはないと思います。そして、別にこれは男だけがやっていることではなく、女もしっかりやっているのです。ただ、男は第2フェーズである程度満足してしまい、女は第3フェーズまでを見つめているため時期が違うだけです。

結局、恋愛はお相子さま。どっちが大変とか得とかはないのです。これらの2つの変化を意識し、相手の変化を理解しつつ自分の変化を抑制してみましょう。そして、もちろんこの2大イベント以外にも、小さな変化は数多いと思いますので、それらも理解する必要がありますね。このブログで何回も言っていますが、人は不変ではないので完全な安定を求めてはいけないのです。

以上、ひとつの20代後半以降の恋愛論でした。

恋の後遺症

2005-02-18 00:00:32 | 恋愛
恋をすれば、傷つくこともあるでしょう。関係が終わってしまったら、相手を嫌ってしまうことすらあるでしょう。しかしそれ以上に、甘さが故に恐ろしい恋の後遺症があるのではないかと思います。

それは、良い思い出の数々。

好きのまま別れてしまった相手がいて、嫌いになれなかったとしたら、そのまま好きでいるのでしょう。そして何かが終わったとき、人には偏った思い出しか残らないものです。辛い経験なら辛い思い出ばかりである反面、好きな人と過ごした時間はすべてほどよいBGMとほどよい香りに包まれた黄金の時に思えてしまいます。それはそれで良いことですが、次の恋に移るのが大変ですね。

更に、付き合ってたとき以上に好きになってしまうケースも多く、「こんなに好きなのに次の恋に移っていいのか?」と思ったり、「この人が永遠の愛の対象だ」、と思ったりしてしまいます。これが正しいか否かについては、答えはないので言及しませんが・・・。

また、言い方は悪いのですが「一度手に入れた」人であるため、「再度手に入るはず」という心理もどこかで働くのでしょう。根拠がないとは言えませんが、思うほど容易でないことも多いでしょう。

今回は別に持論を伝える趣旨ではなく、問題提起で留めようと思います。前に進みたいと思っているとしたら、良い思い出に拘ることを「甘え」の一種だと捉え、強く踏み出すことも検討すべきですね。

逆に、「やっぱり頑張る!」という人にはエールを送りたいと思います。一目惚れを除き、時間をかけて相手を想い続けることが最大の武器だと思います。

限定された・・・愛?

2005-02-17 00:55:09 | 恋愛
人はあまり無限・永久不滅なものを大事にしません。大事にしなくてもなくならないからです。限られているからこそ、無限に憧れるのでしょうが、逆に無限を得てしまったらいずれありがたく思えなくなってしまうのでしょう。

究極的には、無限を得る過程の方がその結果より重要なのかもしれません。

では、「永遠の愛」はどうでしょう。夫婦といえども、愛しつつもケンカしたり合意できなかったりする場合もあるからこそ愛が続くのでしょう。結果的に永遠であったとしても、不変ではないし、永遠である保障がないわけですね。

しかし、やはり「不変の愛」は信じたくなるものなのでしょう。信じてしまうのが「初恋」なのでは?そして、相手に、自分に、愛に、相互関係に、人間の安定性に期待しすぎて、傷つけ傷付けられてしまうのではないでしょうか。そして人は成長していく・・・のでしょうか?

表記のように「限定された愛」というと、夢がなく冷静すぎるように聞こえますが、実はそうでもないと思うのです。ロミオとジュリエット、タイタニックのジャックとローズなど、制約されて安定性を望めない関係であるからこそいっそう熱くなれるのかもしれません。

としたら、やや一般的な「この恋は終わってしまう可能性が高いけど、永遠だと信じよう」というスタンスよりも、むしろ逆に「この恋は永遠に持続できるかもしれないけど、常に限定されたものだと思ってフルに愛し合おう」と思うことの方が良いのかもしれません。

このような心の持ち方がロマンティックなのか過剰な理論なのかの判断はおまかせします。私のここでの仕事は、視点を提供すること。選択権は、あなたの手に。

どっちが愛?

2005-01-08 23:37:39 | 恋愛
守る愛と、谷に突き落とす愛がある。
与える愛と、奪う愛がある。
一気に燃え上がる愛と、火力を抑えて持続させる愛がある。

どっちも愛。ただ、愛を理解できて相愛になり、お互いの愛に更なる力を与えるのではないだろうか。ならば、どっちが愛なのかは一目瞭然。

相手が認識する愛こそが、愛である。

高橋けいこちゃん。

2004-12-03 00:01:46 | 恋愛
ずばり、初恋の人です。

若葉小学校という、京王線でいうと仙川駅の近くにある学校に通っていた小学校1年生(6歳)のときのことです。私は1年生の2学期を終えて渡米してしまったのですが、帰国したときにはけいこちゃんは既に引っ越していたみたいです。家は近かったのですが、それほど一緒に遊んだりはしなかったような気がします。

結局、もう少しで20年間会ってないことになります。

当時、周りの男の子と同じように女の子は嫌い(!)でした。なぜか?・・・それは、男じゃないから。女の子が好きだなんて、かっこ悪いから。そんな理由だったと思います。でも、この子は違ったのです・・・というか、可愛かったけどとても元気で、どこかと男の子っぽい女の子。今言ったら色んな誤解されるのでしょうが、男の子っぽかったから好きだったのだと思います。(クラスで2番目に好きだった(確か)加藤くみこちゃんはスカートが良く似合う、すごく女の子っぽい子だったのですが・・・。なんか矛盾しててすいません。)

中村先生(女性、当時30代かな)が家庭訪問に回ってくるとき訪ねてくる順番があったのですが、けいこちゃんの家の次がうちだったので、一回うちの場所を教えるために一緒に帰ったことがあります。そのときはドキドキしたとか、そういうのは全くなかったのですがとっても幸せだったのを今でも覚えています。

けいこちゃん。というか、高橋さん。(結婚してたら違うかも?)もしこのブログを読んでいたらご連絡くださいね。私は、1年2組で一番背が高くて、一番太ってた人です。更に身長が伸びて、更に体重が増えましたが。(当たり前か・・・。)

恋愛@消去法

2004-10-28 00:10:11 | 恋愛
この頃、消去法で恋愛対象を決める現象が起こっているように思えます。

恋愛についての消去法とは、知り合いの中で恋愛対象を選ぼうとそるときに生じる現象です。この人じゃない、あの人じゃない・・・こんな性格は嫌だ、こんな顔は嫌だ・・・と消していくうちに残った人たちを候補とし、一人選んでしまうという現象です。これは知り合いに限らず、初対面の人についても起こりうることですね。「なにこの髪型・・・」「なんかナンパなやつっぽい・・・」と、消去していくわけです。

最終目的が「なんでもかんでも恋人を作る!」ということであればいいのですが、そうでなければこの方法に問題があるのは明らかですね。

まず、消去の仕方。①このキャラダメ、②一度フラれたからダメ、③かっこいい人苦手、などと言っててはあまりにも限られてしまいます。これは「理想が高い」のではなく、「許容範囲が狭い」だけで自慢にも何にもなりません。上記の例でいうと・・・:

① アイツのダークな本性をご参照ください。キャラは理解したつもりでも理解できていない場合が多いのです。

② 一度フラれたら諦めるなんて変です!フラれてからが勝負!!実は相手が自分の気持ちを知ってからの方が、相手もそれを意識するので上手く行くケースが多くなるそうです。ということで、何度でもガンガン告白しましょう!(注:迷惑がかからない程度にしましょう。)

③ かっこいい人が苦手なのは、その人がかっこいいからではないでしょう。きっと、大体のケースで付随すると思われる性格(図に乗ってる、ナルシスト、女性を物だと思っている、など)が問題なわけですよね。関連性が100%ではないのなら、決め付けてしまってはかわいそうですし、自分にとっても機会損失です。

そして、消去法を使用した場合、結局は平均的な、すばらしくはないが悪い点が目立たない人を選んでしまいます。そういう人がタイプだというのならいいのですが・・・。

更に、出会いを諦めて現時点での知り合いから選ぼうとする点でもおかしいと思います。物も金もありすぎると困ることがあるようですが、友達についてはそうでもないと思います。

消去法による消極的な選択より、胸が熱くて眠れなくなるような愛を求めましょう!ファイヤーーーーッ!!