人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

バレンタインという名の悲劇?

2005-02-12 01:02:33 | 人生論・閃き
バレンタインに限らず自分の誕生日やクリスマスイブもそうなのですが、「世間はみんな幸せになっている」というイメージがあります。マーケターやデパートなどの皆様もこれを煽っています。

しかし、幸せになっていない人もいます。

① 彼女が手作りじゃなくて義理チョコをくれた
② 彼が仕事で会ってくれない
③ 先月彼女と別れた
④ 先月旦那と離婚した
⑤ そもそも地震の影響でそれどころではない

など色んな事情があると思います。①のような軽度の不幸せでも、期待や世間の扇動により通常以上に不幸せに感じてしまうものでしょう。いつも以上に寂しく感じたりするものでしょう。

実際、テレビのCMやドラマと同等の幸せを手に入れている人は、おそらく人口の5%以下でしょう。それ以外の人は、度合いは人それぞれですが、完璧なシチュエーションを想像して現実との乖離を悩んだりしているのではないでしょうか。

無理やり「世界共通幸せの日」を作ったところでそうなるわけではありません。「世界共通円高の日」を毎年開催したとしたら、為替市場はそう動いてくれないでしょう・・・同じことです。

問題は、「バレンタイン」という名の下、我々の恋愛感情が人工的に増幅させられ、期待値が最高レベルに達してしまい、それを満足することが困難となることです。だから、彼に5万円のネックレスを買ってほしい、買ってくれなかったらブルー、などという意味不明な気持ちになってしまう可能性すらあるのです。更に、「幸せ」という漠然したものを手に入れるには、潜在的な試行錯誤しかありません。美味しいものを食べ、奇麗な夜景を見て、手をつないで、チョコをあげて、ドラマで幸せそうに見えるものを真似するしかないのです。人間っていったい・・・。

別に悪いことではありませんが、このように考えると、期待値を上げる必要はないのではないでしょうか。これは、実際幸せになれそうか否かは別としてです。

前にも書いたことがありますが、「幸せ」の基準を思い切り下げましょう。これが答えです。

赤ん坊は、赤のものを見た後、青のものを見るとその変化に周囲を包み込むような歓喜を示します。これだけで大喜びできたら、なんて幸せな人生でしょう?これは世間知らずだとか、無知だとか、このようなこととは全く関係ありません。要は、ものの捕らえ方。

バレンタインは、この「幸せ」の基準を上げてしまうことから、実際その時期にテレビやCMで謳う「愛」を経験する5%未満の人以外を相対的に不幸せにしてしまう力を持っているのです。だから、バレンタインに拘らず、素朴な幸せを幸せと思えるようになるのが一番大切だと思います。

なお、ここではバレンタインについて悲観的な描写をしているように見えますが、バレンタイン自体に問題があるわけではありません。これはいつでもあてはまることです。幸せの基準を下げ、easy to please になるべきだということです。

私は、バレンタインが大好きです。ただ、年内の他の364.25日も大好きです。結局、それだけのことです。