人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

医師不足

2007-07-31 13:13:03 | 医学
地方で医師不足で困っている、などと良く耳にします。普通の業界であれば、需要と供給が釣り合っていないのなら価格(p)が調整されるので、供給が足りないなら給料を上げます。経済学部の大学一年生でも知っていますし、子供でも直感的に知っていそうなことです。

しかし、医療業界ではそう単純なものではありません。

なぜなら、給料を払う方も必死だからです。サービス業では、やはり需要と供給が釣り合っていないのなら価格(p)が調整されるはずですが、病院が勝手に医療報酬を上げることはできません。

美容整形などはともかくとして、医療業界は資本主義の特徴があまりみられません。これには数多くの弊害があることは言うまでもありませんが、だからといって医療を高くしてしまうのも当然、大問題です。

語弊を恐れずにいうと、少しずつ医療機関や製薬会社の首を絞めながら時間を稼ぎ、打開策を考えようというのがこの国の現状なのかもしれません。アメリカのように4000万人の無保険者を作りたくはない・・・そういう強い思いがあるのも事実ですし、批難だけの対象にされるべき方針ではありませんが。

地方に医師が少ないのは、都心に集まっているからだけではないと思います。「医学部を出たら医者になる」というわけではないことも、その大きな理由だと思います。そしてその傾向が、過去より顕著になっているような気がします。

例えば、最近の医学部には女性が増えていますが、60歳まで臨床医を続ける女性は比較的少数でしょう(もちろん男女差別しろとは言っていません)。一生臨床に関わらない研究医も多くいますし、大学病院などにいるとそのほうが偉いというイメージがある場合があります。更に、医学部を卒業したら、証券会社の調査部やコンサルティングファームなどへの道も開けます。かといってこれらを阻止することはできないし、医学部を持つ大学を増やすのもかなり大変なことです。

そんな中、臨床医になるモチベーションを全く考えないのはおかしいと思います。私も医者ではないので、過去には「医者になろうとする人は医者になりたくてしょうがないし、一生やりたいんだろう」と思っていたこともあります。一般的に「医者になれるんだったら俺もなってるわぁ、なったんだったら命をかけてやれよ」という気持ちもあるでしょう。「人として、命を救えるんだったら救うべきだ」と単純に考える人もいるでしょう。医師ほど色んなステレオタイプで判断される職業はないかもしれませんが、医者も人です。アメとムチがしっかり通用する相手です。

臨床医が臨床医のうちは患者さんに「お医者様」といわれ、世間では煽てられるかもしれません。しかし、職場である病院では全員医者かその他医療従事者なので、医者だからといって偉いわけでもそう扱われるわけでもないでしょう。そのような人の「職場」が「世間」に変わったら・・・すなわち一般企業などに勤めるようになったら・・・それはずっと居心地が良い環境におかれることになります。そっちに流れてしまう人が増えてきているのも当然のことです。資本主義ではアメのやり放題・・・病院と一流企業が一人の医師を採用したいと考えた場合、企業の方に分があるとしか思えません。

毎日カップメン食べ、睡眠不足で、月給もあまり高くなく、家族にしかられっぱなしだったり、医療訴訟を恐れたりしながら生きている臨床医が多いと思います。よく、医者が自分を犠牲にしないと患者さんのためのサービスを向上できないといわれています。かなり過酷な労働環境が、(皮肉にも)厚生労働省(の旧労働省の部分)に見過ごされているわけです。これは一部しかたないのですが、だったら他で補うことが必要だと思いませんか。

医者の生活水準を向上すべきだと主張しているわけではありません。ただ、これから増えていく高齢者のためにも、少しでも多くの医師に臨床医として働いてもらうことが望ましいと考えるわけです。

量=質?

2007-07-27 20:40:34 | 人生論・閃き
「量より質」とは良くいうことですが、餓死しそうな人からしたら食料の質より量が喜ばしいでしょう。

そしてすべての人が「平等」とされている民主主義の下、命の価値は同じということになっています。個別に考えると、なぜ意識回復の見込みがない107歳のおじいさん、自殺未遂者、県知事、となりのジローくんの命の価値がすべて同じなのかと問われると難しいところですが、憲法的にはそういわないとすべてがメチャクチャになってしまいます。ということで、ここでは命の価値が平等だということにしましょう。

命の質は同じという前提からすると、多くの命を救えた方がいい、量イコール質だ、ということになります。では、多くの命を助けるのはどうすればいいのか。

当然、医者になるのがすべてではありません。自動車のブレーキの精度を上げたエンジニアや、取り付けたバイトくんも人の命を救っています。NHKの受信料を集めに来る人も、全国に災害などのニュースを伝えたりすることに間接的に貢献しています。子供に横断歩道を渡るように指導する幼稚園の先生も多くの不幸を事前に防いでいることでしょう。夢を与えるアイドルや、自殺しようとする親を考え直させた赤ちゃんの笑顔もそうです。

社会が複雑になっているだけに、誰が誰の命を救ってもおかしくないし、誰でも誰かの命が救えるようになっています。感謝されない、気付かれすらしないことは多いと思いますが、それでもいいことはいいことですよね。人命を救うことに関しては、量=質と考えて積極的にトライして行きたいですね。

どれだけの愛

2007-07-19 16:52:12 | 恋愛
星の王子さまでは、「愛とは、お互いに見つめ合うことではない。一緒に同じ方向を見つめることだ」みたいなことを言っています。バラの花とケンカして家出してきた宇宙人にしては素敵な言葉ですね(王子のセリフでしたっけ?はっきり覚えていません・・・)。

しかし、不思議な言葉でもあります。愛とは、見つめ合うことでもあり、同じ方向を見つめることでもあり、違う方向を見ることであると思います。どの方向を見てても愛してる、それが愛のはずです。

ヒトは激しく似ていますが、人は激しく異なります。そして変わります。それでも一人だけを愛する、それは奇跡です。だから人は愛に憧れるのでしょうか。

「私が年をとっても愛してくれる?」
「もちろんだよ、ダーリン」

「私が上顎癌の手術を受けて顔の右半分がなくなっても愛してくれる?」
「もちろんだよ、ダーリン」

「私が同時多発テロの実行員になって日本の地図から栃木を消滅させたとしても愛してくれる?」
「・・・もちろんだよ、ダーリン」

「私が実はあなたをずっと騙していて、最初から全く愛していなかったけどアッシー程度になるからまあいいや、キープ7番目ぐらいにしときゃいっか、私名義で保険金いっぱいかけてもらって早く死んでくれないかもしれないしね、yeah hit it baby one two three, uh-huh, rock the house yo、このバカどーせ私に惚れてるし私めちゃ可愛いしこいつありえないし、と今でも強く思っているとしても愛してくれる?ついでに口臭ひどいよ。」
「・・・・・・もちろんだよ、ダーリン」

本当の愛って、本当になんなんでしょう。どこまでの許容、どこまでの思い入れが愛なのでしょう。人がそれがわからないまま愛をしてしまい、愛だとわかるのもまたすごいと思います。愛とは何か、やはりあまり深く考えない方が幸せなのかもしれませんね。

ロビンフッド vs. ビルゲイツ

2007-07-15 18:05:25 | 人生論・閃き
裕福層から盗みを行って貧困層に物を与えるロビンフッド。現代にいたならビルゲイツを狙ったかもしれませんが、それではロビンフッドが「悪役」になってしまいます。なぜなら、ビルゲイツはありえないほどの寄付をしているし、その効率的なアロケーションのために多くの専門家を雇っているからです。

裕福層から貧困層に資源を移す仕組みはいっぱいあります。政府の収入源としての税金や、支出としての国民健康保険料など。資本主義では、裕福層が貧困層に自らすすんでお金をあげるわけがないという理屈になっているので、こういうことが必要なわけです。

アメリカで「金持ちになる方法」「成功する人になる方法」みたいな本は多くありますが、一部では「お金の使い方」みたいな章も設けられています。そのうち目立つのが「寄付をすること」をひとつの要素として挙げていることです。日本の本ではこのような記述はあまりお目にかかれません。

金持ちが皆ビルゲイツのような意識があったら、ロビンフッドは不要で、small governmentへの移行が可能となります。ビルゲイツは確かに桁外れに金持ちですが、我々は桁外れに小さくてもいいから寄付するよう心掛ければいいのではないでしょうか。

溺れている人がいたら、飛び込んで岸まで引っ張るのが一番カッコイイかもしれませんが、必ずしも最善の策ではありません。身体を動かしてリスクを犯してくれる方に感謝してしまいますが、口や頭を動かして、助かる方法を教えてくれたり、救急車を電話で呼んでくれたり、少しでも水泳教室に通わせてくれた親にも感謝すべきですし、このような人たちの貢献度は実際水から引っ張り出してくれた人と同等、もしくはそれ以上のものです。

世の中では自動車エンジニアより自動車会社の経営企画室部長が高い給料をもらっているのは、社会一般でもこれが理解されているからだと思います。目に見える物理的な効果を出すことがすべてではありません。

マンガや映画では「正義の金持ち」なんてあまりいませんが、これは残念なことです。子供たちが40代になってある程度金持ちになったとき、心の中に「金持ちでもかっこいい正義の味方」がいたらもっと良い世の中になっていたかもしれません。

色んな貢献の仕方があるのなら、自分にあった方法を見つけるのがもっとも世のため人のためになるのではないでしょうか。お金を出しただけ?上等じゃないですか。「アイツ金だしただけで偉そうにしやがって」と文句言ってゴミ箱を蹴飛ばしている人より数億倍の貢献をしているのではないでしょうか。

町の繁栄

2007-07-11 02:06:10 | ビジネス
あまり意識したことがなかったのですが、地域の繁栄の裏に企業などの機関があることが多いですよね。「東京」というと色んな機関が集まっていますが、ひとつの会社や大学で成り立っている町もたくさんあります。

今私が住んでいる「本厚木」がある程度繁栄しているのは、ソニーと日産が数千人単位で人を送り込んでいることが大きく貢献しているといわれています。アメリカでもNew Haven (エール大学)、Ithaca(コーネル大学)など1万人程度の学生によって支えられている町もあります。

このように、ひとつの機関が地域に大きい影響を与えることは稀ではありません。そして、たとえば新たな工場を地方に建てようと考えるとき、その場所の決断を下すのは本社の部長・課長クラスかもしれません(それ以上は承認するだけのケースが多いと思いますので)。

そこで、そんな選択権を持つ部長が、工場の最寄り駅近辺に不動産を買ってしまったら大もうけできてしまうのではないかと考えています。倫理的な問題があるというのなら、関連するプレスリリースの発表後でも問題ないでしょう。というか、こうなると一般人でもOKですね。

そして、個人レベルではそう簡単に数億円だせるわけではありませんが、比較的小さい投資ファンドが新聞やプレスリリースだけを頼りに投資するのもアリなのではないでしょうか。

そう、「イベントドリブン地方不動産投資ファンド」というものが作れるのではないでしょうか。

もう存在するかもしれませんが、少なくても私は聞いたことがありません。しかし、作られる工場やオフィスの規模さえわかれば地価への影響のモデル化はできるはずですし、鉄道会社に電車の本数や急行駅への格上げについて聞き込んだり、スーパーなどに支店を出すように交渉したりすることもできるはずです。ローリスクでハイリターンの達成も夢ではないと思います。

たとえば、営業圏内に3千人いたコンビニの近くに3千人の社員がいる工場ができたら、売上は倍になり、利益は数倍になり、地価もかなり上がるはずです。リースして固定収入を得つつ、3年後倍で売却することも可能であるはずです。

広げていくと街づくりファンドみたいなイメージになってしまいますが、大儲けしながらシムシティ(?)の感覚で楽しむことができ、更に地域に大きく貢献することができます。会社を安く買う→2000人の首を切る→会社を高く売るというハゲタカのイメージが嫌な人でも、これなら納得が行くかもしれませんね。

一応宝の持ち腐れ的な宅建免許を持っていますので、これを一緒にやりたい!と真剣に思われる方は是非ご連絡ください。もちろんブログに書いているということは、ほかの人がこのアイディアで勝手に実行して勝手に儲けたとしても全くかまいません。こんなことで地方が栄えるのなら大変嬉しいことです。

織姫に会うために

2007-07-07 00:02:17 | 恋愛
(注:七夕説話の認識に誤りがあるかもしれません。その際はお見逃しください。)

天の川に橋をかけてくれるカササギという鳥は、なんとカラスなのです。いいカラスもいたものです。

そして無数のカラスの背の上を歩くのは、夏彦ではなく織姫のようです。男なら妻にそんなことさせるな、と思ってしまいます。

更に、このお人よしカラスさんたちは織姫が帰るときに、わざわざもう一度織姫のために橋を作っていると思われます(そうじゃないと溢れる天の川を渡れませんから)。そんなことしなければ、二人はずっと一緒にいれるのに・・・。

そもそも天の川を作ったのは、織姫のパパなわけですが、孫がほしいという気持ちはないのでしょうか。万一できてしまったら、女手ひとつで育てさせるつもりでしょうか・・・。

他にも突っ込みどころが多すぎるお話ですが、とても好きで憧れるお話でもあります。とても好きな人がいるときは、一日でも会えないとそれが一年ぐらいに感じてしまいますよね。心の中では、我々も何気に夏彦・織姫しちゃっているわけです。

バサバサと翼を上下させるカラスの背を歩いてまで会いに来てくれる織姫のために、何かしてあげたい。会っている数時間を最高の時間にしたいし、会っていないときも幸せになれるようにするのが一番ですよね。

空のかなたでは、さすがに携帯電話を発明しちゃうのは反則だと思いますので、1年分の逆日記の交換なんか良いのでは、と思います。毎日を一緒に過ごしている気分になれますし、同時に自分も毎日を逆日記どおりにがんばろうと思えます。

別に織姫的存在がいなくても、いると思って逆日記を預けてしまえば同じように頑張れるかもしれません。それはとても良いことだと思うのですが、やはり織姫が実在するか否かというのはモチベーションに大きな影響を与えるものです。

天下を獲るには、「この人のために天下を獲りたい!」と思えるような存在を見つけるのが一番の近道なのかもしれませんね。

231年の幸福追求権

2007-07-04 23:49:51 | 出来事
Star Spangled Bannerというバースデーソングが流れる一日がやってきました。水曜日が休日となったアメリカ1億人以上の労働人口はさぞ喜んでいることでしょう。

アメリカには日本と異なった愛国精神があります。アメリカでは、自国が世界ナンバーワンだということを疑わずに信じています。

スポーツでも、日本のように「地元チーム」を応援する人が多いのも確かですが、「勝ってる方」を応援する人が比較的多いようです。生まれつき「勝ってる方」に所属しているというプライド、これがアメリカ人の愛国精神を裏付けている大きな要素の一つだと思います。

だからアメリカ代表がスポーツで負けてもあまり熱くなりませんが、アメリカのナンバーワンの地位を揺るがす可能性があるもの(一昔の日本経済、テロや戦争など)に対しては敏感です。

そんな何気にナイーブなところもありますが、ナンバーワンであり続けているという余裕があることも確かです。誰に対してもオープンになれるのも、少なくても誰にも劣っていないという認識が助けているのかもしれません。そしてそんな気持ちは、相手をありのままに受け入れるということにつながり、好循環となっているのではないでしょうか。

何をもってナンバーワンになれるのか?普通に考えると軍事力や経済力なのかもしれませんが、見方によっては、アメリカは実はナンバーワンではないのかもしれません。しかし、そんなことはアメリカ人にとっても誰にとっても関係ありません。

自分が生まれつきナンバーワンだと疑いなく信じれたら、どんな人でも受け入れ、自慢の必要もなく、とても純粋でオープンで余裕がある人になれるような気がします。後天的にナンバーワンに上り詰めるのも大変ですし重要ですが、やはり自慢したくなってしまいます。それが当たり前だったら、他のことに目が向くでしょう。

多少フィクションが入ったとしても、そんな姿勢で物事に挑めたらいいなと思う今日この頃です。誰もが誰についても「幸福追求権」を認める世界を目指して、一人ずつでも変わって頂ければと思います。

Half empty? Half full? それとも・・・。

2007-07-03 01:45:59 | 人生論・閃き
現代のサラリーマンは、毎日机に向かって資料を読んだり作ったりしなきゃいけない辛い世の中に住んでいるのでしょうか。それとも、一日中座っててもちゃんと食事や妻を確保できる素晴らしく贅沢な世の中に住んでいるのでしょうか。

楽観主義か悲観主義か、それを水が半分残ったコップを用いて判断するテストがあります。「もう半分しか残ってない」のか、「まだ半分残ってる」のか。

しかし、どちらと答えても、それは現状を判断する受動主義でしかないように思えます。水がもう半分しか残っていないくても、水を注げばいっぱいになるわけですし、まだ水が半分残っていても、飲んじゃえば全部なくなってしまうわけです。

現状は変えることができます。ハムスターでさえ、コップ半分がどうのこうのと考える前に飲んでいます。人間だってできるはずです。

やはり生物として、一日中座っているのはおかしいことかもしれません。同じように、「現状」という居心地の良い椅子に座り込むのもほどほどにした方がいいかもしれませんね。楽観主義が偉いのではなくて、行動主義が偉いのだと思います。