地方で医師不足で困っている、などと良く耳にします。普通の業界であれば、需要と供給が釣り合っていないのなら価格(p)が調整されるので、供給が足りないなら給料を上げます。経済学部の大学一年生でも知っていますし、子供でも直感的に知っていそうなことです。
しかし、医療業界ではそう単純なものではありません。
なぜなら、給料を払う方も必死だからです。サービス業では、やはり需要と供給が釣り合っていないのなら価格(p)が調整されるはずですが、病院が勝手に医療報酬を上げることはできません。
美容整形などはともかくとして、医療業界は資本主義の特徴があまりみられません。これには数多くの弊害があることは言うまでもありませんが、だからといって医療を高くしてしまうのも当然、大問題です。
語弊を恐れずにいうと、少しずつ医療機関や製薬会社の首を絞めながら時間を稼ぎ、打開策を考えようというのがこの国の現状なのかもしれません。アメリカのように4000万人の無保険者を作りたくはない・・・そういう強い思いがあるのも事実ですし、批難だけの対象にされるべき方針ではありませんが。
地方に医師が少ないのは、都心に集まっているからだけではないと思います。「医学部を出たら医者になる」というわけではないことも、その大きな理由だと思います。そしてその傾向が、過去より顕著になっているような気がします。
例えば、最近の医学部には女性が増えていますが、60歳まで臨床医を続ける女性は比較的少数でしょう(もちろん男女差別しろとは言っていません)。一生臨床に関わらない研究医も多くいますし、大学病院などにいるとそのほうが偉いというイメージがある場合があります。更に、医学部を卒業したら、証券会社の調査部やコンサルティングファームなどへの道も開けます。かといってこれらを阻止することはできないし、医学部を持つ大学を増やすのもかなり大変なことです。
そんな中、臨床医になるモチベーションを全く考えないのはおかしいと思います。私も医者ではないので、過去には「医者になろうとする人は医者になりたくてしょうがないし、一生やりたいんだろう」と思っていたこともあります。一般的に「医者になれるんだったら俺もなってるわぁ、なったんだったら命をかけてやれよ」という気持ちもあるでしょう。「人として、命を救えるんだったら救うべきだ」と単純に考える人もいるでしょう。医師ほど色んなステレオタイプで判断される職業はないかもしれませんが、医者も人です。アメとムチがしっかり通用する相手です。
臨床医が臨床医のうちは患者さんに「お医者様」といわれ、世間では煽てられるかもしれません。しかし、職場である病院では全員医者かその他医療従事者なので、医者だからといって偉いわけでもそう扱われるわけでもないでしょう。そのような人の「職場」が「世間」に変わったら・・・すなわち一般企業などに勤めるようになったら・・・それはずっと居心地が良い環境におかれることになります。そっちに流れてしまう人が増えてきているのも当然のことです。資本主義ではアメのやり放題・・・病院と一流企業が一人の医師を採用したいと考えた場合、企業の方に分があるとしか思えません。
毎日カップメン食べ、睡眠不足で、月給もあまり高くなく、家族にしかられっぱなしだったり、医療訴訟を恐れたりしながら生きている臨床医が多いと思います。よく、医者が自分を犠牲にしないと患者さんのためのサービスを向上できないといわれています。かなり過酷な労働環境が、(皮肉にも)厚生労働省(の旧労働省の部分)に見過ごされているわけです。これは一部しかたないのですが、だったら他で補うことが必要だと思いませんか。
医者の生活水準を向上すべきだと主張しているわけではありません。ただ、これから増えていく高齢者のためにも、少しでも多くの医師に臨床医として働いてもらうことが望ましいと考えるわけです。
しかし、医療業界ではそう単純なものではありません。
なぜなら、給料を払う方も必死だからです。サービス業では、やはり需要と供給が釣り合っていないのなら価格(p)が調整されるはずですが、病院が勝手に医療報酬を上げることはできません。
美容整形などはともかくとして、医療業界は資本主義の特徴があまりみられません。これには数多くの弊害があることは言うまでもありませんが、だからといって医療を高くしてしまうのも当然、大問題です。
語弊を恐れずにいうと、少しずつ医療機関や製薬会社の首を絞めながら時間を稼ぎ、打開策を考えようというのがこの国の現状なのかもしれません。アメリカのように4000万人の無保険者を作りたくはない・・・そういう強い思いがあるのも事実ですし、批難だけの対象にされるべき方針ではありませんが。
地方に医師が少ないのは、都心に集まっているからだけではないと思います。「医学部を出たら医者になる」というわけではないことも、その大きな理由だと思います。そしてその傾向が、過去より顕著になっているような気がします。
例えば、最近の医学部には女性が増えていますが、60歳まで臨床医を続ける女性は比較的少数でしょう(もちろん男女差別しろとは言っていません)。一生臨床に関わらない研究医も多くいますし、大学病院などにいるとそのほうが偉いというイメージがある場合があります。更に、医学部を卒業したら、証券会社の調査部やコンサルティングファームなどへの道も開けます。かといってこれらを阻止することはできないし、医学部を持つ大学を増やすのもかなり大変なことです。
そんな中、臨床医になるモチベーションを全く考えないのはおかしいと思います。私も医者ではないので、過去には「医者になろうとする人は医者になりたくてしょうがないし、一生やりたいんだろう」と思っていたこともあります。一般的に「医者になれるんだったら俺もなってるわぁ、なったんだったら命をかけてやれよ」という気持ちもあるでしょう。「人として、命を救えるんだったら救うべきだ」と単純に考える人もいるでしょう。医師ほど色んなステレオタイプで判断される職業はないかもしれませんが、医者も人です。アメとムチがしっかり通用する相手です。
臨床医が臨床医のうちは患者さんに「お医者様」といわれ、世間では煽てられるかもしれません。しかし、職場である病院では全員医者かその他医療従事者なので、医者だからといって偉いわけでもそう扱われるわけでもないでしょう。そのような人の「職場」が「世間」に変わったら・・・すなわち一般企業などに勤めるようになったら・・・それはずっと居心地が良い環境におかれることになります。そっちに流れてしまう人が増えてきているのも当然のことです。資本主義ではアメのやり放題・・・病院と一流企業が一人の医師を採用したいと考えた場合、企業の方に分があるとしか思えません。
毎日カップメン食べ、睡眠不足で、月給もあまり高くなく、家族にしかられっぱなしだったり、医療訴訟を恐れたりしながら生きている臨床医が多いと思います。よく、医者が自分を犠牲にしないと患者さんのためのサービスを向上できないといわれています。かなり過酷な労働環境が、(皮肉にも)厚生労働省(の旧労働省の部分)に見過ごされているわけです。これは一部しかたないのですが、だったら他で補うことが必要だと思いませんか。
医者の生活水準を向上すべきだと主張しているわけではありません。ただ、これから増えていく高齢者のためにも、少しでも多くの医師に臨床医として働いてもらうことが望ましいと考えるわけです。