人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

2ちゃんねるの「岡本武士」の記載について

2006-09-27 01:16:44 | Afia

「2ちゃんねる」の掲示板に、弊社ホームページに掲載されている私の全経歴などを貼り付け、「岡本武士」を名乗る人が様々なコメントを記入している悪質なケースが数ヶ月前より散見されております。これに関して数件のお問い合わせを頂いているため、この件につき以下のとおりご連絡申し上げます。

私が直接お会いしたことのある方々は疑いもしないとは思いますが、私は2ちゃんねるその他掲示板サイトにコメントを掲載したことは過去に一度もなく、今後も掲載する予定は一切ございません。万一この方針に変更等が生じた場合は、このブログもしくは弊社ホームページのみを通じて再度ご報告申し上げます。

また、今後2ちゃんねるその他掲示板サイト等の掲載状況を確認することや、真否を問わずその一般的もしくは個別な内容に関するコメントや答弁を行う予定はございませんので、ご了承のほどよろしくお願い致します。

ウェブ全般に該当することですが、特に匿名投稿などが可能となるサイトについてはご自身の責任においてその信憑性・出典等のご判断を行う必要がございます。アフィア株式会社は、「アフィア」「岡本武士」などの記載がなされた場合でも、掲示板サイト等に掲載される情報の出典および内容等の正確性および完全性などにつき一切責任を負いません。また、アフィア株式会社のインターネット方針に関しましては、弊社サイトの利用規約をご参照ください。

アフィアでは自社に関する情報をできるだけ多く公開し、お客様その他一般の皆様に親近感を持っていただき、お問い合わせがしやすくなるよう心がけており、当ブログにおいては読者様の自己啓発を促すため私自身の経験等を例にとって様々なテーマに取り組んでおります。この結果、掲載された個人情報その他の情報が不正に再利用される可能性が否定できず、残念ながら今回のように悪用されるケースも生じうるのですが、私事でご迷惑をお掛けしましたことを心からお詫びするとともに、この点については皆様のご理解を賜りたく存じます。


タイミングではなく、スピード

2006-09-19 01:18:11 | 恋愛
よく恋愛はタイミングだといいますが、実はスピードなのではないかと思います。

早い者勝ちということではなく、関係を進展させる早さのことです。「恋愛のペース」といってもいいでしょう。

たとえば、遊びまくってる男と純粋な女の場合。お互い外見的に魅かれ、性格もある程度合うとしましょう。それでも男は「なんで2回目のデートでキスができない?」と思い、女は「え、いきなり手をつなぐの?ちょっと怖い・・・」と思うかもしれません。これではお互いやり辛いですよね。

しかしお互いが同じペースで関係を進めたいと思っていたらどうでしょう。手を握って欲しいと思ったときにちょうど相手も「もういいかな」と思って手をつないでくれるのです。そろそろ高級なレストランに行ってみたいと思ったときに、「そろそろフレンチにでも・・・」などと誘ってくれたりするのです。運命を感じるには十分ですね。

最後の「好きです!付き合ってくださいっ!」のタイミングも、同じペースで進めていれば当然に合うわけです。こんな恋愛、素敵ですね。一番これが合いそうなのは初恋ですが・・・これが終わってしまった(大多数の)大人の皆様は、少なくても相手のペースを意識してみるのもいいかもしれません。

また、付き合いだしてからはペースより価値観や「暇度」がとても重要になってきます。第2次試験、といったところでしょうか・・・。やっぱり恋愛は大変ですね。

甘いかな。

2006-09-18 20:51:13 | 人生論・閃き
私にとって今年は「余裕の年」なのですが、同時に仕事と勉強を両立させるなど今までとなく忙しい年です。それでも去年とは比べものにならないほど「余裕」を感じています。

しかし2つの点において反省点があり、「余裕の年」を成功だったといえるためには年末までにこれらを改める必要があると感じました。

まずは、忙しい中に余裕を見出すことによって、忙しくないときはかなり「余裕」に費やしてしまっていること。つまり極端にいうと、仕事と勉強さえできていればあとは遊んでしまえ、という傾向です。これで納得していては、泣きながら仕事していた去年の自分がもっと泣いてしまいます。

やはり余裕は心の問題であって、「遊び」と同意義でもないし、あまり関連性もない。余裕を持ちつつ仕事や勉強に励むことにより、更に効率をあげ、その楽しさを向上させ、結果として余暇を更なる自己形成に費やす「余裕」を作りうるのです。今年はすでに8ヵ月半が過ぎてしまいましたが、これは改善していきたいと思います。

2点目としては、「余裕」のうち、他人のために使う「余裕」が自分のための「余裕」より少ないような気がします。後者は睡眠、食事などに使う時間なども含むので仕方ないところもあるのですが、「他人のための余裕」をもう少し大事にしたいと思います。

頑張って作った余裕が他人のさりげないしぐさでムカついたりすることで奪われたりすると、気分が必要以上に害されたりすることも最近あります。大変なときは周りに気配りしてほしいと思うのは仕方ないのですが、それらの人にそういう義務があるわけじゃないし、要求するのも筋違いですよね。この点についても反省せねば、と思います。

結局「まだ甘いな」と思うわけです。ほぼ何事についても努力が重要だと考えますが、この「甘さ」については努力ではなく、ただ心を開いて空を見上げることを意識するのもいいのかな、と思っています。

しかしその前に、近々なぜか作ったことがない「理想性格像」を作りたいと思います。女の子については(たとえば)「よく気はつくけど細かいことに拘り過ぎない癒し系」が「タイプ」なら、自分が思う「タイプ」な自分はどんな人か?能力面、キャリア面ではこれはありますが、これを性格面からもちょこっと分析してみようという試みです。

「大きくなったら医者になりたい」とか「歌手になりたい」とかはありますが、「優しくなんでも許せる人になりたい」という思いがあまり前面にでないと同じように、意識しないと「どういう性格になりたい」というのは曖昧になってしまうのではないでしょうか。

これができたら、一日一度空を見上げて心のゆとりを作り、その分大きな人間になっていきたいと思います。これからも、ぜひ見守っていてください。

911事件:その5年後

2006-09-11 20:41:59 | 出来事
911事件から早5年経ちました。

基本的に嫌な思い出は忘れて前向きに生きるべきというスタンスなのですが、忘れられるべきではないものもあります。

それは悲劇そのものではなく、掛からない携帯電話に24時間電話をかけ続けた人たちの愛情。それは政治的な論争ではなく、平和への忠誠心。そしてそれは誰が本当に悪いのかではなく、異なる価値観への理解に努めるべきという教訓。

神には祈りを、親しき者には愛を、それぞれの想う形で捧げれるような一日になればと思います。

恨みについて(2)

2006-09-08 00:44:55 | 人生論・閃き
「恨み」がなぜ「矛盾」であるか。これを考えてみたいと思います。

考えてみれば当たり前のことなのです。別に好きでもない人のことを考えているからです。時間の無駄、脳の容量の無駄、想像力の無駄、シナプスを越える電気の無駄、費やしたグルコースの無駄。そんなことをしている間に何ができたかというと、こんなことができました。

① 愛ちゃんをデートに誘う。
② 愛ちゃんとのデートのことを妄想。
③ 愛ちゃんとデートを控えて散髪。
④ 愛ちゃんとデート!
⑤ 愛ちゃんともう一回デート!!
⑥ 愛ちゃんと○○○?! (←表・裏千家からひとつを選ぶ)
⑦ 葵ちゃんとデート。
⑧ 恵ちゃんとデート。
⑨ やっぱり愛ちゃんとデート!!!
⑩ 疲れて愛ちゃんの夢を見ながら寝る。

(注:登場人物はすべて架空の人物です。愛ちゃんですら架空の人物です。)

あ~、もったいない。これらをするより嫌いな人を考えて吐き気を起こそうと?!しかも人間は大体けなされるより無視されるほうが辛いんですよね・・・。

なぜここまでの犠牲を払って敵に塩を送るのでしょう。矛盾すぎです。これって、実は恋かもしれませんね。・・・それは絶対違う、と思った場合は、忘れた方が自分のためです。

はい、もう一回やりましょう。

背伸びをして、水を一杯飲んで、ありとあらゆる人間に対して好意的な感情以外のものは今すぐ忘れてください。

それでは、今日も誰かの服を褒めて明るく行きましょうー。

恨みについて(1)

2006-09-05 08:53:51 | 人生論・閃き
「恨み」について、2回にわけて考えたいと思います。今回は「一番恨まれたくない人」。なんだか不思議なトピックですが。

別に誰にでも好かれた方がいいに決まってるのですが、旅先に出会ったタバコ屋のおばさんと、自分の彼女の元彼であるムキムキな連続殺人犯だったら、やっぱり前者の方がまだマシですよね。でもそれだけではこのブログの存在意義がありません。そこで、気をつけたほうがいい種類の人を紹介します。

ずばり、「暇な人」です。

することなかったら悪い気持ちを実行に移したり、わけのわからない嫌がらせをしたりしてくる可能性が高くなるからです。

更に、「忙しくてそんなこと考えてる暇がねぇ」ということにならないので、どんどん相手の頭の中で根拠のない憎しみが沸いてしまう可能性があるのです。

そこのセクシーなあなた、同じ原理で、暇なストーカーさんには普通のストーカーさんより気をつけてくださいね。

というか、恨みを実行に移す人もストーカーする人も大体暇な人なのでしょうね。ちょっと根に持つのは人として仕方ないのかもしれませんが、それが24時間以上続いたら暇人です。自分が暇人じゃないと思うのであれば、恨むことをやめればいいのです。簡単ではないと思われるかもしれませんが、慣れると簡単です。

さそり座である私が言うので間違いありません。

ということで、背伸びをして、水を一杯飲んで、ありとあらゆる人間に対して好意的な感情以外のものは今すぐ忘れてください。

さて、次回は「恨みがなぜ矛盾であるか」についてです。

全か一か

2006-09-04 06:03:13 | 人生論・閃き
月日は光陰のごとく流れ、高校を卒業してから10年以上が経ちました。先週末は、親友の結婚式でそのときの仲間たちと再会することができました。中には、10年間一度も会っていなかった人もいました。1年程度なら別でしょうが、10年となればさすがに「全く変わらないね」とはならないわけです。

10年前の自分はどんなだったのだろう、と考えてみました。1996年9月4日、おそらく大学に入学したてで、友達ができるかな、部活に入ろうかな、勉強はどんなんだろう、可愛い子いるのかな、などと不安を抱えていた時期だと思います。

そして10年後の今、解剖実習が目先にあって同じような状況におかれているから不思議なものです。でも不安がなく、好奇心とワクワク感で睡眠を奪われるぐらいになっていることを考えると、成長したのか幼児に逆戻りしてしまったのかわかりません。「新しいもの」が「新しく」なくなっているから不安がない。でも「新しいもの」が昔より広がった世界に置かれている。それが今の状況であり、きっと10年前の自分が見たら羨ましいと思ったに違いない。とすると、やはり成長しているのでしょうか。

「これだけには手を出さないだろう」と思っていた医学に身を投じている私は今、こう考えています。

「きっと益々すべてのものに興味を持ってしまうのだろう。段々世間ではマイナーだと思われている分野に足を踏み入れていくのだろう。いつかは政治と教育に目が向く。子育てに熱くなる。世界旅行をし、いずれ宇宙旅行に出る。年をとってもリスクはとる。」

そしてこのようなことは、人生計画に織り込めるものではない。心の動きや結婚の時期など予測できるものではない。そして、上記のような行動や出来事だけではなく、生き方そのものが根本的に変わるかもしれない。では、根本ってなんだろう。

私の記憶の限りでは、子供時代は控えめだった。じっと観察し、ルールを飲み込んで戦略を立ててから行動する。リスクは負わない。何がかっこいいんだかわからないから、とりあえずバレないように他人の真似をしてみる。水泳と成績以外はあまり取り柄がなく、容姿には自信がないが、きっと大きくなったら成功すると思っていた。

人生の見方が大きく変わったのは今まで数回しかなかったと思います。そのきっかけはすべて、「全を選ぶか、一を選ぶか」というデジタルな2択に対する答えでした。とすると、私にとっての根本はこれなのでしょう。

全か一か。

この問いが私の人生そのものといっても過言ではないかもしれません。

上記の子供の頃の姿勢は、「一」を選ぶということ。一つのことで秀でることで世界を獲る。有名になる。金持ちになる。

それが高校時代に変わった。空手と柔道と声楽と作曲を一気に始め、逆に長年やっていた水泳とトロンボーンをやめた。「全」に憧れた。

高校と同じく、大学でも全てに手を出そうと考えていたが、授業の選択肢が多すぎることに気づいた。4年しかないなら幾つかのものに焦点を絞るしかない。金融と空手と歌をやって、学問・スポーツ・趣味の「一」をマスターしようと思った。世界は無限すぎるのだから。

しかし一番の変化があったのは、最初の勤務先を退職したときだと思います。一般的に辿るべきとされるレールがない。人生自体についてここまで迷ったことはありませんでした。金融に明け暮れて極端に「一」となっていた自分を見直し、「卒業後3年で起業」という夢を思い出し、再び「全」に戻った。世界は無限だが、だからといって「一」に収まるのはもったいない。

各分野の「一」が「全」に繋がる。全は無限の一で構成されるのだから、当たり前のことです。だから「一」を積み重ね、相乗効果を得て、「全」を目指す。

私は、私の人生に対するこのような捉え方が、職務経歴書などより自分を正確に表すものだと考えています。自分を理解するのは過去の行動ではなく、それを裏付ける根本を理解することだと思います。私にとってはこれです。宇宙人に対して自己紹介しろといわれたら、アフィアの社長だとか医学生だとか長男だとかではなく、「全てに興味を持ち追い求める人」と言いたいと思うわけです。

そしてこれを理解してくれる友人が数人でもいるということが何よりの幸せです。先週結婚した友人も、そんな貴重な一人です。結婚相手に求める無意識的な条件としては、これを理解してもらえるのが最大の条件なのかもしれません。

皆さんにとって、その「根本」とはなんでしょう。そしてその変化の度合いはどのぐらいでしょう。勝手な考えですが、前者によって生き方の大枠が定まり、後者によって(迷いを経て)大きく進化したり脱皮できたりするのだと思います。自分の一生を予想するのなら、今の仕事や目標より正確な答えを導けるものだと思います。

根本とは「音楽」や「仕事」や「家族」などという、単に自分にとって大事なものとは次元が異なります。それを愛し、大事だと想い、それに打ち込める理由があり、その理由にもまた理由があるはずです。その何段階もの枝が合流して幹となり地面に到達したとき、それが「根本」といえるでしょう。少しでも「そんなもんかなぁ」と思ってくださったのなら、是非これを探してみてください。