人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

言わない勇気

2006-11-30 07:59:52 | 法律
(注:筆者は弁護士ではありません。下記は法的アドバイスではありません。すべて私見であり、内容について責任は取りません。)

アメリカが訴訟王国で、何が何でも権利を主張しなくてはならないところであるというイメージがあるかもしれませんが、日本でも大企業間の契約を作成するにあたっては似たようなことがいえるかもしれません。

法務のアドバイザー(=弁護士)を雇う利点としては、当然専門性が高くわけがわからない分野をまかせるということがあります。それ以外にも、「後の関係をあまり気にせず欲張りに交渉を進めることができる」ということでしょう。

語弊があるかもしれないので説明しましょう。当事者間の交渉だと、どうしても遠慮したり、長期的な関係を考えたりして相手のプライドに触ること、ちょっと欲張りに聞こえる発言をすること、相手を怒らせてしまいそうなことを言うのを控えたりします。

しかし、弁護士などのアドバイザーを雇えば、そのアドバイザーの役目はできるだけ有利な条件を交渉の中からクライアントのために得ること。交渉相手に嫌われてもよく、敏腕アドバイザーの中では「交渉相手を怒らせるのも仕事の一部」と考える人は少なくありません。そこまで相手側から好条件を奪い取らなければ仕事をしていないのも同然と考えているのでしょう。

この点については普通のコンサルタントなども同じで、私もこのような考え方で仕事をしていた頃もあります。しかしそんななかで、ひとつ重要だと思った視点を発見しました。

それは、一定の内容に触れないことこそが最適となる場合があること。

一定の条件を open にしておくことは必ずしも悪いことではないからですが、他にもスピード重視の場合、重要度の低い条件などの場合などにもあてはまります。説明したことにより他の条項の範囲が制限されるよう解釈される場合もあります(これは「without bias to the generality of the foregoing...」などとすれば大丈夫なのでしょうが)。更に、交渉したことによって「知らなかった」などと主張ができなくなり、逃げ場がなくなる場合もあります。

あえて曖昧にしておくのも立派な戦略であるというわけです。A型の人には使いにくい作戦でしょうか?

融合

2006-11-29 00:48:57 | 人生論・閃き
5年以上前のことですが、会社勤めだったころソニーを担当していたことがあり、そのときには「AVとITの融合」というテーマが挙げられていました。

ソニーがブロードバンド戦略などによりその融合に大きく貢献したことには異論がないところだと思いますし、内容は深く長期を見据えたものだったのですが、言葉自体を聞いて「あたりまえじゃないか」と思ったことが記憶に残っています。

融合が必然的であると感じる分野が多くあり、それでもなぜか行われていないケースが多く見られます。

たとえば、国税と都道府県税。なぜ別の用紙で別のところに持っていかなくてはならないのか。e-taxでなんとかなるといいのですが。

ヒーターと加湿器。洗濯機のように水道水につなげて、なんとか連動するようにならないものでしょうか。

レシートと領収書。なぜ2段階システムになっているのでしょうか・・・。

企業と教育。なぜ幼稚園から四大までで19年間も学校に通っていた東大生が会社に入ると何一つできないのでしょうか。

そして、病院間のカルテの取り扱い。一体なんのための電子カルテなのか。

企業買収や政府改革を経ずとも融合できる分野は多いと思います。少しずつ工夫をし、異業種の人か、となりの部署に声をかけるだけでも世の中を大きく変えることができると思います。ちょっと考えてちょっと工夫してすごく有名になることも可能だと思う今日この頃です。

勇気と無謀さ

2006-11-18 17:46:43 | 人生論・閃き
子供の頃よくマンガで、悪いヤツが「俺に立ち向かうことは勇気ではなく無謀だ」とか言って、結局は奇跡的に主人公が勝利して、やっぱりそれは「勇気」だったんだと思わされるシーンが良くありました。こんな勇気のあるヒーローになりたい、と思っていたわけです。

しかし今考えてみると、悪いヤツが正しくて、実は無謀だったというケースが多いような気がするんですよね。読者が「無謀」と感じないのは、「正義は勝つ」というマンガのお約束以上に「主人公は死なない」(←死んだらマンガ家が儲からないし・・・)という点にあると思います。死なないことが決まっているのなら、ダメモトで向かっていくべきです。それは勇気と呼んでいいでしょう。

当然現実では、そんな保証はありません。実際無謀である試みはあります。人は死にかけた回数だけ成長するかもしれませんが、そのうち1回でも死んでしまったら全てが水の泡です。勇気も計画的に、ってことですね。

勇気といえるかどうか、すなわち何らかに挑戦し、何らかのリスクを負うべきかは色んな要素により決まってくるものです。金融ではリターンを考え、他の選択肢のリターンとリスクの度合いなどと比較し、目的を考慮して最適な組み合わせ(=ポートフォリオ)を構築していきますが、人生全般でも似たような理論が通用するのではないでしょうか。

金融で「リスク」とはお金が減ることですが(間接的には訴えられたり、客の信用を失ったりすることも含むのでしょうが)、人生においては色々あります。人にとっては、「親に怒られる」「やえちゃんに嫌われる」「バツゲームが待っている」などもリスクになりうるのでしょう。

ここで、「リスク」という考えから除いて欲しいものがあります。

①「失敗したらかっこわるくみえるリスク」
②「無敗な記録を壊されるリスク」
③「はずかしいから」
④「言い訳が思いつかないリスク」
⑤「負けるかもしれないリスク」

これらはリスクではありません。これを除いてから、自分にとってのリスク・リターン分析を行ってください!


憲法と戦争

2006-11-06 04:53:35 | 法律
おそらく日本国憲法で一番有名な条文は、第9条でしょう。憲法上、日本は戦争をしてはいけないわけです。(国家防衛のために武力行使が許されるだろう、など色々と論争はありますがここでは省きます)

しかし、他の国ではこのような条文がありません。例えばアメリカは、戦争をしていいことになっています。

では、アメリカでは誰が宣戦布告するのでしょう。実は全軍の指揮を取る大統領ではなく、議会(立法府)なのです。大統領には宣戦布告する権利はありません。考えてみれば当たり前のことで、いくら国民による選挙で当選したからといえ一人の人間が行えるのは危険すぎますし、やはり国民の総意を一番反映しているとされる立法府の決議で行うべきでしょう。また、上下院は国の立法を行うだけでなく州の代表であるという特色もあるので、合衆国(正確には「合州国」)であるアメリカには適しているといえると思います。

では、憲法9条を改正せずに少しずつ戦争っぽい行為に出ている日本では、誰が宣戦布告の権利を持っているのでしょうか?私にはわかりませんが、小泉前首相をはじめとする内閣府がある程度影響力を持っていたことは否定できないと思います。しかも日本では首相が立法府にも席を置くため、権力の分離ができていません。ちょっと危険な状態なのではないでしょうか。

議院内閣制を変えるという派手な手段もありえるかもしれませんが、私は9条の改正が必要だと考えています。戦争に行くべきとは当然思いませんが、いざ戦争に近い行為を行った場合の法制度が整っておらず、内閣府・立法府間の力関係でどちらでも宣戦布告ができてしまう可能性が少なからず存在することがその理由のひとつです。特に緊急時では迅速な決断と明確な手順が必要となるので、これを整備するためにも60歳を迎えた憲法の改正が望ましいのではないかと思います。

9条があるから戦争に行けないのではなく、今まで戦争をする必要性がなかっただけではないでしょうか?有事の際には、改憲なくして戦争は起こるでしょう。憲法は理想論を表すものだけでなく、実際法律としての最高規範性を持つものであり続けるべきだと考えます。

異論はあるところだと思いますので、ご自由にコメントを掲載してください。