人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

ため。

2005-02-07 00:10:51 | 人生論・閃き
宗教的・精神的な鍛錬をなさっている方は、「気を丹田に溜める」「チャクラに気を集中させる」ということを理解できるかもしれません。体内にある力、もしくは全宇宙の「気」を自分の体内、もしくはその一部に取り込むことです。

アーチェリーで、弓を引いて「ため」を作って打つのも類似した概念といえるかもしれません。位置エネルギー(Potential Energy)を運動エネルギー(Kinetic Energy)に変えるのですが、「ため」によってエネルギーを作り出しているともいえます。

そして、「気」の「持ち方」たる「気持ち」にも同じ理論が通じます。たとえば、恋人に半年会えなかった後やっと会えたときは、通常以上に嬉しさを感じるものでしょう。仕事で忙しい一週間ほど、週末がありがたく感じるものでしょう。高い壁ほど、超えたときの喜びは素晴らしいものでしょう。

このように捉えるのならば、「弓を引く」ことを同じように、「恋人に会えないこと」「仕事で忙しいこと」「高い壁に挑む過程」は辛いものではなく、その後の素晴らしさを更に素晴らしくする「ため」であると考えることが可能ではないでしょうか。

こういった気の持ち方は、とても重要だと思います。当然その理由のひとつは、目的意識があり、過程をより楽しめるようになることです。しかし、これだけではありません。実は、これ以上に大事な概念が含まれているのだと私は思います。

それは、その過程を自分の「意図」「選択」による積極行動であると認識できることです。「自分は運命や上司の被害者ではない。自分が意図的に、「ため」を作るために敢えてこの道を選んだのだ。」こう思えれば、人生に自己のコントロールを及ぼすことが容易になると思います。受け身だけでは、究極的には何かを達成したとしてもそれは自分の努力の結果ではなく、映画「マトリックス」のような巨大かつ絶対なる何かに動かされていたに過ぎません。

自分の結果は自分のもの、と思えるためにも、その過程も自分のものと思えるようになるべきだと私は思います。失敗したとしても、第三者や環境のせいにはしない。自分の責任なのです。このように捉えるのは辛いときもありますが、これをバネに成功へと自身を導くためには、失敗につき反省し自分のコントロールが及んでいた行動の結果だと認識した上で、更なる行動を採る他ありません。

世の中のあらゆる結果は無数の細かい因果関係で繋がれています。その中の「原因」を作れるのか、与えられた「運命」の下でのみ行動するのか。結果への道は、自ら意図した「ため」なのか、辛抱すべき「天罰」なのか。この捉え方ことが、すべてだと言っても過言ではありません。

「因」を変えねば「果」は変わらないでしょう。まずは「因」を結果に向けた「ため」と捉え、自分のものにしてみてはいかがでしょうか。ということで、まずは週末への「ため」として月曜日を、そして平日5日間を満喫しましょう。