人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

サラブレッド

2005-02-13 14:41:39 | 人生論・閃き
元々サラブレッドとは、血の混じりがなく、同じ系統の間に生まれた馬のことをいいますが、人については父母がともに王族であるとか、オリンピック選手だとかいう場合にも類推して使われます。たとえば両親がプロテニス選手だったら、その子供はテニスの「サラブレッド」と呼ばれるのでしょう。

では、サラブレッドは、本当に雑種(?)より良いのか。

特に何かについてサラブレッドというわけではない(私を含む)90%以上の人口には申し訳ないのですが・・・おそらく、子もその道に向くものなのではないかと私は思います。

理由は、いくつかあります。

① 親の知識

たとえば、親が医者であれば、どうしたら医者になれるのか、どうすれば医学部に入れるのか、どうしたら開業医になれるのかなど教えてもらえるでしょう。たとえば、私は日本の「司法試験」という制度を(恥ずかしながら)2年前までは知らず、日本にも当然ロースクールというものがあるのだと思っていました。これでは、裁判官になりたくてもなれませんね・・・ただ、親が裁判官だったら、普通に食卓でこのような会話があったことでしょう。

② 親の育て方

親が医者であれば、どのようなお客が来た、どのような問題があった、などの会話が(まあ、守秘義務などを害さない程度に)子供と話したりするでしょう。そして、医学などを若い頃から教えるだろうし、子がケガしたときにも緊急処置などをしてくれるでしょう。自然と、知識の破片が身に付いてくるのでは。

③ 親の期待

子は親に似るひとつの理由は、親が子に自分に似てほしいという内なる希望の表れでしょう。だから、医者は子にも医者になってほしいケースが多いでしょう。そして、子は自分で決断をしようとも、やはり選考選びなどをする上で、医学部もひとつの選択肢として念頭に置いているのではないでしょうか。また、子がある程度の確率で親の期待に応えたいと思うのも自然でしょう。

④ 子の知識

人より何かを知っている、できる、ということは気持ちいいものです。そして医者の子は、上記の理由で幼少の頃から医学の知識に(同年代と比べれば)長けているでしょう。これは、医学を好きになるきっかけにもなりますし、自分の強みであるという認識が芽生えることも通常のことでしょう。

⑤ 迷ったら・・・

結局キャリアの選択なんて、暗中模索もいいところ。何もわからず入っていくのが通常でしょう。しかし親がやっているとしたら、それは唯一とも言える例外なのではないでしょうか。そして、特に強い希望がなかったり、迷ったりしたら、親の道が「原則論」として子を支えてくれるのではないでしょうか。安全な道をとして、選択される可能性は大です。

⑥ 無駄がない

きっと他の生徒と比べ、勉強法や実務における試行錯誤が少ないのではないでしょうか。親が自らの苦い経験から道を照らしてくれるでしょう。

・・・などなどです。もちろんサラブレッドでなくてはいけないとはいいません。ただ、(勝手な推測ですが)2割増ぐらいの努力は必要になるでしょう。(芸能人なら3倍、政治家なら5倍ぐらい?)

また、サラブレッドでないからこそプレッシャーが少なかったり、幅広い趣味をもてたりするということもあるのでしょう。そして、サラブレッドでない人がサラブレッドを超えたときの喜びはすさまじいものでしょう。

個人的には最初から高い地位にいるより成長率の高さに幸せを感じるタイプなので、サラブレッドじゃなくて良かったと思います。もちろん「脱サラ」(!?)して、違う道を選ぶサラブレッドの人生もありかな、と思います。何かについて使命のようなものを感じる人生も、多少憧れはしますが・・・。

まあ、大人になれば、何事も24時間利用法の勝負です。
「よーーーい、ドンッ!」

バレンタインという名の悲劇?

2005-02-12 01:02:33 | 人生論・閃き
バレンタインに限らず自分の誕生日やクリスマスイブもそうなのですが、「世間はみんな幸せになっている」というイメージがあります。マーケターやデパートなどの皆様もこれを煽っています。

しかし、幸せになっていない人もいます。

① 彼女が手作りじゃなくて義理チョコをくれた
② 彼が仕事で会ってくれない
③ 先月彼女と別れた
④ 先月旦那と離婚した
⑤ そもそも地震の影響でそれどころではない

など色んな事情があると思います。①のような軽度の不幸せでも、期待や世間の扇動により通常以上に不幸せに感じてしまうものでしょう。いつも以上に寂しく感じたりするものでしょう。

実際、テレビのCMやドラマと同等の幸せを手に入れている人は、おそらく人口の5%以下でしょう。それ以外の人は、度合いは人それぞれですが、完璧なシチュエーションを想像して現実との乖離を悩んだりしているのではないでしょうか。

無理やり「世界共通幸せの日」を作ったところでそうなるわけではありません。「世界共通円高の日」を毎年開催したとしたら、為替市場はそう動いてくれないでしょう・・・同じことです。

問題は、「バレンタイン」という名の下、我々の恋愛感情が人工的に増幅させられ、期待値が最高レベルに達してしまい、それを満足することが困難となることです。だから、彼に5万円のネックレスを買ってほしい、買ってくれなかったらブルー、などという意味不明な気持ちになってしまう可能性すらあるのです。更に、「幸せ」という漠然したものを手に入れるには、潜在的な試行錯誤しかありません。美味しいものを食べ、奇麗な夜景を見て、手をつないで、チョコをあげて、ドラマで幸せそうに見えるものを真似するしかないのです。人間っていったい・・・。

別に悪いことではありませんが、このように考えると、期待値を上げる必要はないのではないでしょうか。これは、実際幸せになれそうか否かは別としてです。

前にも書いたことがありますが、「幸せ」の基準を思い切り下げましょう。これが答えです。

赤ん坊は、赤のものを見た後、青のものを見るとその変化に周囲を包み込むような歓喜を示します。これだけで大喜びできたら、なんて幸せな人生でしょう?これは世間知らずだとか、無知だとか、このようなこととは全く関係ありません。要は、ものの捕らえ方。

バレンタインは、この「幸せ」の基準を上げてしまうことから、実際その時期にテレビやCMで謳う「愛」を経験する5%未満の人以外を相対的に不幸せにしてしまう力を持っているのです。だから、バレンタインに拘らず、素朴な幸せを幸せと思えるようになるのが一番大切だと思います。

なお、ここではバレンタインについて悲観的な描写をしているように見えますが、バレンタイン自体に問題があるわけではありません。これはいつでもあてはまることです。幸せの基準を下げ、easy to please になるべきだということです。

私は、バレンタインが大好きです。ただ、年内の他の364.25日も大好きです。結局、それだけのことです。

「これ、身体にいいよ」

2005-02-11 13:14:56 | 人生論・閃き
赤ワインのポリフェノールや、チーズバーガーのたんぱく質。これらは、その部分だけ見れば身体に良いものです。しかし総合的に判断したとき、果たしてその摂取が身体にプラスとなるのか。

マーケティングでは、商品の長所を前面に押し出し、敢えて高い広告費を使ってマイナス面をアピールすることはしません。タバコの場合は法律上の要請があるからこそ「健康を害する」危険について注釈が打ってあるわけです。

それより恐ろしいのは、人間の脳もプロコン(長所と短所の)分析に向いていないこと。決断は理性より感情で行われるのがほとんどであり、ある商品の長所の説明を受けて色んな小型妄想が始まってしまうのです。短所など、説明されたとしても耳に入らないようになってしまいます。

まるでチーズバーガーを毎日食べるような、1のプラス要素のために10のマイナス要素を含む決断を下していませんか?1のプラス要素を言い訳として、10のマイナス要素を見て見ぬふりをしていませんか?人生のあらゆる点でこのように考えるのは、疲れるし時間もとられるしお薦めできませんが、たまに「そもそも論」に戻るのも重要なことだと思います。

クローン雇用機会均等法!?

2005-02-10 12:41:07 | 人生論・閃き
意外と、50年後の法律案になっているかもしれません。

世界初の哺乳類クローン(羊・Dollyちゃん)を作ったIan Wilmut博士が、人間クローン実験する許可を英国より得たとのことです。神経か何かの調査となっていますが。

今日の奇跡は明日の常識。普通にクローンが歩き回ってる世界も、我々が生きているうちに実現する可能性すらあります。そのとき、表題のような法律案が国会に提出されたとしても、おかしくはないですよね。「命」を授かってしまったからには。

そういえば、ロボットはともかくクローンに関わる良い映画は見たことないような気がします・・・。誰か、私に100億円ぐらいのバジェットで映画を作らせてはくれませんか?

7人の競走

2005-02-09 03:30:38 | 人生論・閃き
どうしても月曜はだるい。火曜はしんどい。水曜はねむい。木曜は金曜が待ち遠しい。金曜は夜が待ち遠しい。こんな風に一週間を過ごしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

これは、あまりにももったいない。平日を全く楽しんでいないわけですよね。

さて、そこで、想像してみてください。

自分の中に7人の分身がいるとします。それぞれは、週一日しか活動できません。そして、一番素晴らしい結果を残したものが勝ちです。毎日、前日の自分と、翌日の自分と、そして他の曜日のすべての過去・未来の自分と競っているわけです。

一生、他の曜日の自分とバトルです。

疲れそうですか?とんでもない。熱くなってください!

このように捉えると、週末でも早起きできるでしょう。「それ、明日やるからいいや」と思うこともありません。(ライバルに塩を送ることになってしまいます!)今日がとても大事に思え、有益な日を終えた夜はとても満足に感じるでしょう。そして更に、次の日も「更にがんばるぞ!」と思えるのではないでしょうか。

さて、昨日よりも、そして明日(の期待値)にさえ負けない良い日を過ごしましょう。

亀のように

2005-02-08 01:33:12 | 人生論・閃き
ゆっくりと話す人の話を聞いていると、話を聞きながら色んなことを考えてしまいます。

そもそも、人間はどんな早口で喋ったとしても脳の理解速度の半分にも達することができません。よって、回転が速い人ほど、早く喋ってしまいそうになるものなのでしょう。

しかし、世界のリーダーで、早口の人はいません。もちろん、スピーカーであるためそのテクを身に付けているのですが、普段でも決して早口になりません。優秀なビジネスパーソンのほとんどが、かなりゆったりしたペースで話しているような気がします。

その理由の一つは、相手に充分理解してもらうことが大事なので、はっきりと説明することを心掛けていることでしょう。また、自分に自身があるため、相手にトロいと思われるかもという恐れもないのでしょう。更に、ゆっくり話すと親近感が湧くことが多いと言えます。ゆっくり=優しいという根拠なき関連性が人の脳裏に埋め込まれてあるからです。そして最後に、自分が話している間に考えることができます。

一瞬のうちに優秀なビジネスパーソンになるのは難しいでしょう。しかし、自分の口調を和らげ、声を多少低くし、ゆっくり喋るだけであれば短期間で慣れることができるのではないでしょうか。

これは、短期間でできるだけ多くアピールしようとしたり、焦って反対利益・自分に対する批判とその反論などをすべて挙げようとしてしまいがちな私にとっても大きな課題です。一秒あたりの内容が減るため非効率的に思えるかもしれませんが、実はとても大事なスキルだと思います。

少しずつ、自分で不自然に感じない程度で、実践してみましょう。

ため。

2005-02-07 00:10:51 | 人生論・閃き
宗教的・精神的な鍛錬をなさっている方は、「気を丹田に溜める」「チャクラに気を集中させる」ということを理解できるかもしれません。体内にある力、もしくは全宇宙の「気」を自分の体内、もしくはその一部に取り込むことです。

アーチェリーで、弓を引いて「ため」を作って打つのも類似した概念といえるかもしれません。位置エネルギー(Potential Energy)を運動エネルギー(Kinetic Energy)に変えるのですが、「ため」によってエネルギーを作り出しているともいえます。

そして、「気」の「持ち方」たる「気持ち」にも同じ理論が通じます。たとえば、恋人に半年会えなかった後やっと会えたときは、通常以上に嬉しさを感じるものでしょう。仕事で忙しい一週間ほど、週末がありがたく感じるものでしょう。高い壁ほど、超えたときの喜びは素晴らしいものでしょう。

このように捉えるのならば、「弓を引く」ことを同じように、「恋人に会えないこと」「仕事で忙しいこと」「高い壁に挑む過程」は辛いものではなく、その後の素晴らしさを更に素晴らしくする「ため」であると考えることが可能ではないでしょうか。

こういった気の持ち方は、とても重要だと思います。当然その理由のひとつは、目的意識があり、過程をより楽しめるようになることです。しかし、これだけではありません。実は、これ以上に大事な概念が含まれているのだと私は思います。

それは、その過程を自分の「意図」「選択」による積極行動であると認識できることです。「自分は運命や上司の被害者ではない。自分が意図的に、「ため」を作るために敢えてこの道を選んだのだ。」こう思えれば、人生に自己のコントロールを及ぼすことが容易になると思います。受け身だけでは、究極的には何かを達成したとしてもそれは自分の努力の結果ではなく、映画「マトリックス」のような巨大かつ絶対なる何かに動かされていたに過ぎません。

自分の結果は自分のもの、と思えるためにも、その過程も自分のものと思えるようになるべきだと私は思います。失敗したとしても、第三者や環境のせいにはしない。自分の責任なのです。このように捉えるのは辛いときもありますが、これをバネに成功へと自身を導くためには、失敗につき反省し自分のコントロールが及んでいた行動の結果だと認識した上で、更なる行動を採る他ありません。

世の中のあらゆる結果は無数の細かい因果関係で繋がれています。その中の「原因」を作れるのか、与えられた「運命」の下でのみ行動するのか。結果への道は、自ら意図した「ため」なのか、辛抱すべき「天罰」なのか。この捉え方ことが、すべてだと言っても過言ではありません。

「因」を変えねば「果」は変わらないでしょう。まずは「因」を結果に向けた「ため」と捉え、自分のものにしてみてはいかがでしょうか。ということで、まずは週末への「ため」として月曜日を、そして平日5日間を満喫しましょう。

面接官やってきました。

2005-02-06 22:39:40 | 出来事
ペンシルバニア大学に願書を提出している高校生相手に、面接官を務めてきました。会社で大学3年生を面接するより更に年齢の差を感じさせるものがありました。確かに、10歳ぐらいの差があるわけですが・・・。

年齢の差を感じるといっても、相手が「子供っぽい」と思うわけではなく、「自分がこのように面接を受けたこともあったけど、ものすごく昔だったように感じる」という面の方が強かったと思います。むしろ、10年年下でも人生でこんなことをしてきたんだなぁと思えることも多く、その意味では10歳下の学生達の「大人げさ」に驚いたということもあるのかもしれません。

私はあまり年下と接する機会がないので、こちらとしてもとても貴重な経験だったと思います。

起業家増加中?

2005-02-05 23:48:57 | 出来事
自分がそうだからそう思えるのかは定かではありませんが、日本における起業家が増加傾向にあるような気がします。「会社に勤務するのが嫌」という消極的理由ではなく、自己実現ややり甲斐を求めて、という人が多くなってきた気がします。起業仲間がいるというのはとても嬉しく思います。

お互い助け合う、という意味では(個人の影響力の差や、権限の差により)大企業の仲間間より起業者間の方が強いように思えます。また、やはり同じ苦労を味わった人たちは相互に親近感が湧くものなのでしょう。

アフィアとして、そして私個人としても起業家を応援し続けたいと思います。そのような志のある方は、是非ご相談ください。お互いの繁栄に繋がるソリューションを開拓して行きましょう。

また、「起業したいけど何をしていいかわからない」という方々も多くいらっしゃいますが、この場合は思い切り独立してしまうのは得策といえません。ビジネスプランを作っているだけのときでも自分の鼓動に意識が行ってしまうようでなければ、すぐに飽きてしまいます。そして、社員として業務に飽きているのと違い、無収入で且つ業務に飽きていることになります。あまり望ましい状況ではありませんね。

ただ、ほとんどのビジネスはやってみると楽しいと思えるものではあるので、「これだ!」と思えずとも踏み切ってしまうのもありなのかもしれません。

本当の「プリンシパル」の醍醐味

2005-02-04 00:12:42 | 出来事
段々「自分の仕事」をするようになってきました。説明しましょう。

大学でビジネスを学んだときは、ケーススタディがメインでした。大学最初のケーススタディはメリルリンチの優秀だが協調性に欠ける社員の話だった・・・今でも覚えています。(当時、メリルリンチという名前からして法律事務所だと思っていましたが。お恥ずかしい。)

とにかく、ケーススタディでは、この会社はこんな状況です、あなたが経営者だったらどうしますか、みたいなことを考えたり、実際こうなって成功したんですよ、めでたしめでたし、という話だったりします。かなり客観的に、理論的に、冷静に、そして学問的に事業を接します。「ほおー」と思うことはあっても、あまり実感が湧きません。

卒業して社会人になり、M&Aのアドバイザリーを始めました。会社の代表・代理人である経営者・社員のために、代理して考える、「復代理」のような感じでしょうか。確かに面白いし、自分がプリンシパル(当事者)になったように考えますが、2段階も離れているのです。当事者は実質的にはお客の会社の株主なわけですから・・・。

その後メーカーに転職したことで一般的に「プリンシパル」といわれる組織を味わうことができました。なるほど、チームの決断によって金が動き、売上が立ったり広告ができたりする。これは楽しい。そして主体性という意味ではアドバイザリー業務をやっているときより遥かにあり、責任だけでなく自分の欲であったりリスクに対する姿勢であったり、個性が決断の客観性に影響を与えていたような気がします。

しかし、客観的に見ればやはり自分のお金ではない。失敗しても給料は入るわけです。

今は自分で、本当の意味で「プリンシパル」をやっています。自分のお金でリスクテイクするし、ちょっとした判断違いで訴訟の被告になってしまう可能性すらあります。儲かっても儲からなくても直接跳ね返ってくるので、契約・値段交渉だけでなく、細かな事務手続きでさえ多少の緊張感が伴います。

前にも書きましたが、ミクロが見えてきたからこそ逆にマクロがより鮮明に見えてきたのだと感じます。

こんな気持ちを味わえて本当に良かったと、今更ながら思います。ある程度の成功や、不必要なリスクの回避が大前提ですが・・・。

人は40年以上現役で働くことができます。このような心地よい危機感を、一度味わってみてはいかがでしょうか。

最高の褒め言葉

2005-02-03 00:09:16 | 出来事
もう4年前のことですが、元勤務先のかなり偉い人と初めて仕事する機会があり、私は緊張しまくっていました。米国会計基準の幾つかの新しい会計制度を前提としてクロスボーダーM&Aのストラクチャーを考えるものでした。

得意分野といえば得意分野でした。当時はまだCPAにはなっていませんでしたが、大学の専攻は金融学と会計学でしたし、大学でも1年のときから財務モデルを作りまくっていたからです。(アメリカの大学だったため、もちろんすべて米国会計基準。)

ということで、チームで検討している最中に無謀にも発言してみました。帰国して間もなかったため、不器用な日本語でなんとか繰損の引継ぎやのれんの取扱いについての解釈を示し、ストラクチャーを検討する方向性を示してみたところ、大ボスに、「君は会計士だったけか?」と聞かれました。

このような純粋な勘違いは最高の褒め言葉に感じました。胸を張って「はい!」と言えればなぁ、と一瞬思いましたが、胸を張って「いいえ!」と返事するのも、かなり気持ちよいものでした。

最近似たような場面があったので、思い出して書いてみました。

アンバランスなバランスシート

2005-02-02 04:29:28 | 出来事
昨年から残っていたレシートの打ち込み作業をなんとか終わらせました。そして、暫定的なバランスシートを作ってみました。そうすると、数百円の差で、バランスシートがバランスしてませんでした。

対した問題ではなく、打ち忘れ・タイプミス・未払費用か否かなどの問題なのですが、これがとても面倒なのです。投資銀行などで作るモデルでは、扱う数字が圧倒的に少ない。数千のレシートではなく、会社が発表する40程度のバランスシート項目をの数字を相手にしていたわけですから、会計知識としては同水準が求められますがミスがあったときの面倒さはその数百倍です。

会計監査をするような作業というよりは、プログラマーがバグを探すときに似たような作業です。幸い貸借対照表の発表は約4ヵ月後の話ですが、上手くバランスしてくれるといいなぁと思うばかりです・・・。

視野の広さ

2005-02-01 00:01:16 | 人生論・閃き
マクロなことを見ていれば視野が広くなるとは一概に言えません。

マクロなところしか見えてない人は、「範囲は広い」といえても「視野が広い」とはいえません。ビジネスで視野が広くなるには、マクロ・ミクロ、業種、部門別と少なくとも3次元見えていないといけません。

マクロだけでもミクロだけでもダメです。マクロのことを見ていてもミクロのことを無視するようなことは絶対避けてください。偉くなったらミクロのことは関係ない、などと言っているようではマクロなミスを犯してしまいます。

また、営業だけの体育会系の部長ではダメです。バックオフィスや広報、ITもある程度理解していなくては、会社にとって何がベストなのかを理解できず、結局自分の首を絞めてしまう可能性もあります。

そして、他業種の動向も観察しなくては経済の動きが理解できず、あらゆるチャンスを見逃してしまう可能性が高くなってしまいます。

更に、これら3次元について幅広い知識・経験を身に付ければ、自ずと「世界の法則」の数々が見えてくるものだと私は信じています。そして「ナレッジ・シナジー」、すなわち知識間の相乗効果により更に根底にある大前提が見えてくるのではないでしょうか。よって、この3次元および付随するナレッジ・シナジーをマスターしたところで、やっと「視野が広い」ビジネスマンになるのではないでしょうか。

皆さんもキャリアパスをマッピングしてみれば、自ずと何が不足しているか見えてくるはずです。最高の井戸の中の最強の蛙になるのもよし、と思えるかもしれませんが、せっかく広い世界があるので、あらゆる場所に羽ばたけるようになれた方が楽しいかもしれませんね。

行け、勇者よ!