人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

2年ぶりの給料

2005-10-31 17:02:56 | Afia
本日、2年ぶりの給料を頂きました。

先週臨時株主総会にて取締役の皆様にご承認頂けたので、早速第1号の振込みをしました。(というか一人株主なのですが、税務上このような手続きがないと役員賞与とみなされ損金不参入となる可能性があるそうなので慎重になっています。)自分の会社から自分への振込み、当然利益相反や双方代理などの問題はないのですが不思議な感じです。

2度目の初任給(?)なので、家族をご馳走に連れて行かねばですね。

今までは会社に利益を留保する形だったのですが、税務上個人の税率の安いところを利用することが望ましいことと、自分の貯金も低くなってきたことがあってのことです。額は控えさせて頂きますが、やはり毎月会社にだけでなく個人的にもキャッシュフローがあることは嬉しいものですね。

しかし税金や保険などの計算は念入りにやりました。その結果・・・なんと税金より社会保険料の方が高い!しかも会社負担分もあって、かなり痛いものです。厚生年金にすると今の月13,300円の国民年金(←ちゃんと払ってます!しかも前納。)の数倍に膨れ上がってしまうのです。健康保険、労働保険、住民税増加、その他諸々と国への現金大放出です。

まあ、サラリーマンの皆様はいつもやっていることなのですが、一度会社としてそれらを支払う前に得た収入を得て、これを前提に物事を考えていたためショックが大きかったのだと思います。

ということで今日は社会保険事務所や税務局などに電話かけまくりました。公務員の皆様も、納税者は国にお金を払ってくれる「お客様」の一人であるという意識が芽生えたのか最近は優しく対応してくださる方々ばかりです。色々とどうもありがとうございました。

母の本: 「可能性の翼を広げて」

2005-10-25 16:35:39 | 出来事
私の母、岡本黎子執筆による単行本が出版されました!
こちらから購入できます。

内容は、私が生まれた前から母が書いていた日記をまとめて自らの教育方針と、アメリカ教育の下での子育てを記したもの。それ以外にも自分の思いをエッセイ集にしたものも加えています。私も少し編集段階でのお手伝いをしました。

「何でも経験して幅広い人間になってほしい、そしてひとつは誰にも負けないものを持っていてほしい。」そんな言葉を繰り返しに聞かされていた私と弟が持つ数少ない共通点として、決めたことに対して自分への甘えがないということがあると思います。母は常に自分よりも子供たちを優先し、子供達が自らを愛するより強く愛してくれている母親の鏡だと私は思います。

私と弟の高校卒業までの経験を多く含んでいて少し恥ずかしくも感じますが、一人の人間が一生かけて築き上げたものの集大成ともいえる作品なので、是非機会があるときにご一読頂ければと思います。特に、これから子育てに励もうと考えられている方々にお勧めしたい作品です。

むかし苦手だったタイプ

2005-10-24 01:37:44 | 出来事
先日、多分昔は苦手だったタイプの人に会いました。高校時代、大学時代に会っていたら、私はその人を警戒したり、避けたりしていたでしょう。

でも今は普通に話すことができ、仲良くなることができました。初めて言葉を交わしたときも、「げっ、これ系かよ」ではなく普通に接することができました。これは子供がピーマンを食べれるようになると同じように許容度が広がったりして成長したことなのかなと思いました。

苦手なタイプを作ってしまうと、とてももったいないことですよね。バイアスがかかってしまっては、実際違うタイプだったとしてもそのようには見れないし、色んな個性と関わりを持つことはとても大事なことだと思います。

ということで、むかし苦手だったタイプの人と出会い、仲良くなれたことがとても嬉しく思いました。このように自分の中の変化がわかる瞬間って喜ばしいですよね。今後も「苦手のタイプ」をどんどん減らして行きたいものです。

選択肢

2005-10-22 00:08:14 | 人生論・閃き
ひとつの選択肢が消えると、他の選択肢も消しやすくなるのはなぜだろう。有力だったものを消せた反動なのだろうか。結局人は感情で動くのに、まず理論に走るのはなぜだろう。自分の胸中の矛盾を何度経験しても、人に整合性を求めるのはなぜだろう。

失恋するより好きな人がいない方が寂しいのはなぜだろう。天才(例:うさぎ)より努力家(例:カメ)に勝ってほしいのに、やっぱり天才に憧れてしまうのはなぜだろう。

そして天文学と微生物学の狭間で、我々はどんなちっぽけな悩みをかかえ、どんなちっぽけな役割を果たしているのだろう。無限とゼロの力関係は?幸せの意義は?これらの答えはゼロに等しい我々にとって、無限をも作り出せる選択肢であるわけですね。

窓口

2005-10-21 16:31:07 | ビジネス
外部の会社などとのコンタクトを継続的にとる場合、ひとつしか窓口がないとその人が出張したりするだけで仕事が止まってしまいます。ボトルネックとはこのことです。

では、窓口を増やせばいいのか。

そうでもないですよね。別にひとりに絞らなくてはいけないというわけではないのですが、ひとつの法人からの声には整合性がなければいけません。法人を観念的に「人」と捕らえるのなら、2つのコンタクトパーソンが異なる注文を出したり、異なる約束をしてしまっては自己矛盾していることになります。

窓口を2つ以上持つのであれば、窓口間のコミュニケーションと合意が必要なのです。外注をする場合、「ベンダーのためにそこまでするのは面倒だ」などと思っていては大間違いです。逆にベンダー側が混乱したり、一方が期待していたアウトプットと異なったりします。

たしかに面倒なのですが、窓口を1つにするのも難しいときがありますね。結局、ビジネスのボトルネックはコミュニケーションの効率性。これは結局ちゃんと社内で話をしたりメールをしたりしているかということですね。これが意外と難しい。最初は「色んなプロセスを学びたい」と思っても、やっぱりルーティンになってくると飽きが来てしまうものではないでしょうか。

とすれば、究極的には「飽きに克つ」ことがビジネスの成功のひとつの形なのではないでしょうか?日本の職人はこのスキルを習得しています。水泳選手や陸上選手など、一見似たような練習を何年も繰り返している人も同じでしょう。新しいことを学ぶことも大事なので、なんとかバランスを作り出さねば成りませんね。

ということで、ちょっと時間をとって「職務刺激度計画」を作ってみてはいかがでしょう?

聞いてよ、聞いてよ。

2005-10-15 14:50:23 | 出来事
しなきゃいけないことはひとつずつ片付けて行くしかない。しかし多ければ多いほど、考えただけで疲れてしまって先に進むことが難しいものです。

今の私のTo-do Listには、今30を超える項目があります。それの締切のほとんどが「昨日」などであり、自分のアグレッシブすぎる目標管理のせいで勝手にプレッシャーがかかったりしています。これが有意義なのか、無意味なのかは人それぞれの判断によるところでしょうが・・・。

最近To-do Listの中で目立つ内容は、「○○について考える」というもの。手を動かす作業も減ってはいないのですが、経営者としての決断事項だけでなく一人の人間としての人生設計や価値観の洗い出しなどもあります。

「考える」ということは結論に達する必要があり、何時間考えれば次に進めるというわけではないのでプラニングが非常に難しいものです。「キメの問題」といわれてしまえば、確かにそうなのですが、極端な話結婚相手の選定も「キメの問題」であり、じゃあすぐ決めろというのは酷なものです。しかも「考える」ということをしていると実務作業はすすまないし、進歩がいまいち把握できないという意味では辛いプロセスでもあります。

こんなときでこそ、ちょっとお茶したくなったりしますよね。逃げ出すのでなく、誰かにただ話を聞いてほしいと思うのです。しかし人によっては常識や理論構成、善悪や優先順位、価値観や人生観がまったく違うし、利害関係がある場合も多い。すべてを理解してくれて、かつ利害関係がなくて、かつ守秘義務などに縛られず、偏見の恐れもないような人が一人でもいたら、どんなに救われるものか。

これにすべてあてはまってしまう人はまずいないでしょうが、学生時代はすべてを理解してもらえてると思えた人が何人もいたのではないでしょうか。しかし最近は、どんどん減っている、そう感じることはありませんか?友達が減ったわけではなく、ずっと同じ道を歩んできた人間というのが、就職・転職などをするたびに極端に減っているのです。これは寂しいことでもあり、逆に理解者同士が巡り合えたら、幼馴染み以上の親友になれるのではないでしょうか。

成功したい、目立ちたい、など人それぞれ色々と願望があり、これらを実現させるために一般の他人とは別の行動を興す。これには上記のような代償があるわけですが、理解者を見つけることさえできれば、「両取り」が成立するのではないかと私は思います。

逆に、人の理解者になってあげれる場合は思っている以上にあるのではないでしょうか。きっと自分より20歳、30歳上の人に対しても同じ道を歩む人であればお話を聞いてあげるだけですごいサービスを行っているのだと思います。同時に、そのような人たちの話から学ぶことも多いでしょう。

「聞くのは大事」ですが、「聞き手が誰か」ということも語り手にとっては重要なわけです。そして聞き手に重要なものとは地位ではなく、「理解」の有無で判断されるように私は思います。

そう、あなたはビル・ゲイツや竹中大臣、上戸彩やマイケル・ジョーダンにとって貴重な存在(=理解者)となりうるのです。このようなシナジーを見つけていくことが、25歳以降の課題のひとつなのではないでしょうか。

すべてを発揮して

2005-10-14 13:16:47 | 人生論・閃き
自分のすべてを発揮して得た勝利や結果は、言葉に表すことができないほどの幸せだと私は思います。そして我々は、それを失いつつある・・・。

我々は、生活の上で多様化する。一人の人間が持つ、多方面の実力のすべてを活かす分野などあまりない。結果、色んな分野に同時に手を出そうとする。結果、得るものが分散される。

人がドラマやマンガやゲームの主人公に憧れる理由は、その主人公が美しい恋愛をしたり、魔法を使ったり、すごく強かったりすることもありますが、努力をし、努力が報われ、才能を開花させ、もてるすべてで結果を得ることもそのひとつだと思います。

では反対に、ひとつのことに専念すべきでしょうか。それでも世界一になれるのは、世界で数人。(矛盾ではありません、時間をずらせばいいので。)なれなくてもがんばるべきなのでしょうか?

私の理想のシチュエーションのひとつ、それは私の能力のすべてを発揮して、世界で一番ほしいものを手に入れること。自己中と思いますか?それは「世界で一番ほしいもの」の定義に寄るのだと思います。私は、世界の半分ぐらいは、何らかの形でこのようなシチュエーションを求めているような気がして仕方ないのです。

政治構造について

2005-10-11 04:32:32 | 人生論・閃き
人を管理する能力と事業範囲を管理する能力には限界があります。昔弊社のホームページ記事に書いたことでもありますが、ひとりのマネージャにあたり8人から10人程度が限度と言われています。

これは、政治にも言えるはずです。しかし、(国家の主権のありかに関する国家法人説とは関係なく)国を「法人」としてみて、両院を「取締役」とみたらどうでしょうか。1,000人以下で1億2千万人以上を統括しているわけです。もちろん下位の公務員はいますが、公務員が国民の1割を占めているわけではないでしょう。

それはともかく、今の政治構造は100万人の国に適したものであり、1億2千万人以上の国に対してはなりたたないものだったとしたら?

わからないから肯定も否定できませんね。政治のあり方について、政治構造分析の専門家も含めて既存の枠を意識しすぎているからでしょう。このような観点でも考えてほしいものです。

というか、おそらく、既存の組織は本当に100万人の国向けの政治だと思うのです。ただ、日本という「法人」は、そんな多くの「管理職」の数を抱えるほどの収入がないのです。それは世界各国についても同様です。

我々は、知らない人を選挙で選んでいる。それが嫌と少しでも思う人がいるのはいいことですが、それは芸能人候補を産む。これも違うような気がします・・・。

ついでに、関係ありませんが、「貧富の差が政治に影響しないように国会議員に高収入を与えよう」といっても、そこに達するために貧富の差が影響するのであれば、それは問題なのではないでしょう。

また、なぜ国民の代表なのに、ほとんどの議員が年配の方なのでしょうか。本当に代表するのなら、20代が1割占めてもおかしくないのでは。企業である青年取締役(でしたっけ?若い人たちのボードを作る体制)のようなアイディアを活用してはいかがでしょう。

・・・数々の勝手な発言を述べるだけになってしまいましたが・・・どこかの誰かの心に火をつけ、行動を起こそうと思わせることができたことを祈っています。

法人クレジットカード限度額引き上げ申請

2005-10-06 10:25:52 | 出来事
法人クレジットカード限度額引き上げ申請を行い、今朝、無事希望額への引き上げが承認されました。こんなプロセスを行ったことがある人は何人いるのでしょう・・・。

個人クレジットカードについては2度ほど行ったことがありますが、電話一本で、勝手に審査してもらったあとに勝手に認めてもらっていました。しかし、法人の場合はそうもいかないのです。

審査対象は今までの支払実績を照明するための銀行手帳のコピーに加え、過去2期分の貸借対照表、損益計算書、利益処分計算書、販売管理費明細書。しかし、過去2期分は赤字。そこで黒字である今年度の半期の実績をアピールする必要があり、半期の各書類を、暫定的なものとはいえ2営業日で作成する運びとなりました。

これは当然大変な作業であり、レシートや銀行口座などをすべて確認しても大体バランスシートがバランスしてくれないのです。違う意味で、「1円に泣く」のです。しかし、法人クレジットカードはすでに限度額に達していて、あと10日ほどつかえない状態でした。これはまずい。「仕方ない」と思って大急ぎで作成しました。

晴れて限度額を引き上げてもらったのですが、まだまだ少額。やはりいつでも解散できちゃう中小法人については、カード会社も慎重になるものなのでしょうか。

それでも、とにかく受験に合格した気分です。陰の努力→申請→お祈り→達成という過程は受験そのものですよね。我々は永遠の学生なのだと、改めて感じました。

充実感

2005-10-04 02:31:01 | 人生論・閃き
最近、仕事でとても充実感があります。

それは恒常的な寝不足という欠点がありながら、現場の実務だけでなくしっかり会社を経営し、自分の今後をある程度見つめつつ毎日を過ごしているからだと思います。

自分が「大きいことをしている」と思えると、「もっと大きいことをしよう」思える好循環が生まれます。逆に、「こんなに細かいところまで関わっている」と思えると、「もっと掘り下げてみよう」と思える好循環が生まれます。今は、両方向に動いてる気がして、人間として幅が広がっているような実感があります。

人はこれを「幸せ」と呼ぶのではないしょうか。

振り返って「幸せだった」と思うのは、忙しいときやドラマチックな展開を経て成功をしたときなどですが、大体その最中は「幸せ」と感じてはいないものです。ただ大変だ、早く楽になりたい、と。しかしこれではもったいないのではないでしょうか?せっかく事後的に「幸せだった」と思えるのに。

忙しさを楽しみ、その結果に期待し、胸を躍らせるべきではないでしょうか。