人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

2005年の元旦メッセージ(再)

2005-12-31 15:17:07 | 出来事
私は毎年元旦に、私の友人知人に年賀状の代わりに年賀メールを送信しています。年賀状を贈るべきと思いつつも、全員に年賀状をお送りするのは実質的に不可能といえ、その場合に生じる不公平を避けたいと思っていますし、やはり一人でも多くの方に新年のご挨拶をしたいと思います。

明日、2006年元旦にも、例年同様のメッセージを皆様にお送りします。そして、ブログにも掲載しようと思いますが、2004年内に始めてお会いした方からすれば昨年の内容をご存知ないわけで、その説明から入ることになるメッセージの理解に苦しむ可能性があると思いました。そして、1年前のメッセージの内容をはっきりと覚えている人も珍しいと思います。

そこで、ここに去年の内容を再度掲載致します。
2006年バージョンもご期待下さい!

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(English follows Japanese)

本年明けましておめでとうございます。岡本@アフィア(株)でございます。
例年通り、年賀状の変わる「年賀メール」をお送りいたします。

2003年の「飛躍の年」に続き、2004年のテーマは「結果の年」としていましたが、昨年元旦のお約束通りまずその「結果」についてご報告申し上げます。

早いもので、アフィア(株)の設立から18ヶ月が経過しました。会社での「結果」は、売上が数倍に膨れ上がったということより、多くのパートナー及びクライアント企業様との信頼関係が築けたことだと思います。2月に増資も行い、事業の多様化も図れ、とても勉強になる一年となりました。
(「人生論」のブログも始めました。http://blog.goo.ne.jp/afiakk/)

個人的の「結果」としては、アメリカン・パシフィック大学の博士課程を修了致しました。課程の最後に237ページに及ぶ博士論文を書き上げ、憧れだったPh.D を名乗れるようになったのはとても誇りに思います。その他、米国CPAなど幾つかの資格を得ることもできました。

更に、今年は数多くの貴重な出会いとともに、貴重な再会もありました。おかげで人は常に変化しつつも、根本となる大事な何かは永遠に続くものだと再確認することが出来ました。これも私にとって、priceless な「結果」です。

2004年、皆様にとってどのような年だったでしょうか。

さて、本年のテーマは、

「初心の年」

にしたいと思っています。

無心に挑み、自意識を絶ち、好奇心に溢れ、無限を信じる。
私が信じる理想形のひとつである「初心」の心理状態を保つことにより、既成概念の外から愛を、夢を、可能性を見つめて行きたいと思います。その具体的な結果については、来年の報告にご期待下さい。

2005年が皆様にとって幸せ多き年となりますよう心より祈念申し上げます。
本年も、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

平成17年 元旦
アフィア株式会社
岡本 武士

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Dear All,

Happy 2005! I trust all is well with you and your family.
As in the past few years, I have condensed Christmas cards and New Year greetings into a single message.

Last year, I promised to make 2004 "A Year of Results" and to report on the results in this year's New Year greeting.

In its second fiscal year, Afia has seen substantial growth in revenue, and more importantly, a significantly improved relationship with our clients and business partners. We also completed a capital increase in February, which allowed us to expand our operations.

In terms of personal results, I completed my doctorate in clinical hypnotherapy at American Pacific University. In early 2004, I also received the CPA, CMA, and CFM designations. Perhaps the greatest result of the year, however, was meeting many
new people of all kinds and reuniting with friends from the 20th century.

I would like to make 2005 "A Year of the Beginner's Spirit".

The beginner's spirit is one that was treasured in the past centuries in Japan, and is one of blind belief in a given discipline and in infinite potential, and one void of self-consciouness or regret. Everything lies ahead and there is nothing to lose...

Finally, I would love to hear from you and correspond on an individual basis.
Best wishes in 2005!

Best regards,

Takeshi Okamoto, Ph.D., CPA, CMA, CFM

January 1, 2005

すっきり!

2005-12-30 17:15:29 | Afia
アフィアでは企業向け・個人向け両方への事業を展開しておりますが、催促しても支払ってくれないお客様が極稀にいます。ネット経由での依頼なども受けるため、払わなくてもなんとかなると思われるのでしょうか・・・。

会社の方針としては、

① 2-3回電話・メールで催促する
② 内容確認郵便を送る
③ 簡易裁判所に支払督促を申請する

という手続きをしっかりとることになっています。

②③(特に③)は面倒で、しかも相手方がこちらの弁護士費用・申請費用などを払わなくてはならないので結構高くなってしまうのでこちらも心が痛むのですが、どうしても払ってくれない場合は仕方ないですよね。

今年は、一度だけ個人のお客様に対して③の手続きを開始したケースがありました。数日前、弁護士費用が発生する前に無事支払いを受けることができました。本当によかったです。法人顧客はすべて優良企業ですし、個人に対しても最悪の場合法的手続きで必ず売掛金を回収できる自信があるので会計上貸倒引当金は一切立てていないのですが、これは弊社の隠れた自慢のひとつです。

とにかく、少額でしたが、年末にすっきりできて本当に嬉しいです。振込みをなさってくれた方、どうもありがとうございます。

通常は逆に「そんなに安くていいの?」といいながら払ってくださるお客様の方が多く、こちらの方が数倍嬉しいですね。それだけ高質なアウトプットを目指して、今後も努力を続けて行きたいと思います。

求められる究極の素質

2005-12-29 22:56:36 | 人生論・閃き
意外な面で究極の素質を持ってる人材が、社会の各場面で理想とされているのだとつくづく思います。

① 海外に一切頭を下げない政府。

② 常に腰が低い公務員。

③ 寝ない専門職。

④ もっと寝ない社長。

⑤ 永遠に寝ない医者。

⑥ 公私ともに完璧な芸能人。

⑦ 永遠に飽きが来ないスタッフ。

色んな面で、我々の期待は過剰なのではないでしょうか。ちょっと希望に添わない人がいても、期待をちょっと下げれば可愛くも思えます。「法は不可能を課すものではない」といわれますが、人もそうでなければなりませんね。

プレスリリース:事業ポートフォリオの変更について

2005-12-22 03:15:26 | Afia

<アフィア株式会社 – 報道資料>

2005年12月22日

事業ポートフォリオの変更について
翻訳事業をコア事業に、コンサルティング・セミナー事業から撤退

 アフィア株式会社(本社:東京都目黒区、代表取締役社長:岡本 武士)は、2006年1月1日付けで翻訳事業をコア事業とする事業ポートフォリオの変更を行う運びとなりました。

 アフィアは2003年6月の設立以来財務関連のコンサルティング・サービスを中心に幅広いアドバイザリー業務を行って参りました。また、本年度は翻訳事業に本格的に参入し、主に金融法人向けのサービスにより売上・利益の両面において急速な成長を遂げて参りました。結果として、翻訳事業は本年度前半において全社売上高の約7割を占めるに至りました。

 2006年1月1日付けで翻訳事業を正式にコア事業と位置付ける事業ポートフォリオの変更を行い、更に効率的な経営を目指すこととなりました。現時点では7ヵ国(日本、米国、フランス、オランダ、豪州、中国、タイ)のプロフェッショナル翻訳スタッフによりお客様に24時間の作業体制を高品質の翻訳サービスを提供していますが、引き続き各国トップレベルの翻訳者の確保に努めて参ります。なお、顧客数の急拡大ではなく既存のお客様へのサービスレベル・シェア向上を目指す基本姿勢に変更はありません。

 翻訳事業への注力をうけて、法人研修などのセミナー業務から撤退し、コンサルティング業務についても原則行わないことします。個人向け事業についても、英文履歴書作成サービス以外は終了となります。なお、上記をうけてホームページの更新を行いますが、ブログなどによる情報提供サービスは無料にて継続する予定です。

アフィア株式会社について

 アフィア株式会社(ホームページ:http://www.afia.jp/)は、主に大手金融法人向けに最高峰の翻訳サービスを提供しています。世界各国に金融と翻訳に関するプロフェッショナルを配置することにより24時間作業体制を築き、入念なネイティブチェックや高品質なフォーマッティングを行いながらも業界最速の納期を実現しています。個人向けの英文履歴書作成サービスも行うことにより、より多くのAFIA=「夢の実現」を目指して事業を展開しています。


持つべき「3人の親友」

2005-12-12 02:13:18 | 人生論・閃き
「医者、弁護士、銀行員」の親友を持てと言われることがあります。また、父親が持っていた古い帝王学の本では、総理大臣は「ジャーナリスト、宗教家、名医」の親友を持つべきだと語るものがありました。

なぜ親友の数が3人に限られるのかは疑問ですが、これに合わせて「持つべき3人の親友」を考えてみました。

まず、「医者、弁護士、銀行員」について。

医者は何かあったときに自分や家族の命を救ってくれる。弁護士は何かあったときに法廷で守ってくれる。銀行員は何かあったときにお金を貸してくれる。こういった理論でしょうか。銀行員については「大金持ち」としてもいいのかもしれませんね。

「自己中極まりない!友達をなんだと思ってるんだ」というのが第一印象ですが、それを許したとしても、友人とは有事の際にのみ必要なものなのでしょうか?

次に、「ジャーナリスト、宗教家、名医」について。

総理大臣にもなると世論が耳に届かないようです。大企業の社長には消費者の苦情が届かない、ということと同じようなイメージでしょうか。なぜ宗教家が必要なのは忘れましたが、名医は、前述と同様の内容だと思います。また、総理が倒れたら不安や混乱を招く。株式市場も下がる。国際関係も鈍る可能性がある。よって総理に名医の親友がいることは国にとっても重要かもしれませんね。総理にもなったら国がなんとかしてくれそうですが。(以上は帝王学の本に書かれていた内容ではなく、私の勝手な考えです)。

しかし、専門家はいらないのでしょうか・・・みんな公務と全くといっていいほど関係ない。同伴の親友は?外国の首相は?

ということで、持つべき「3人の親友」の結論を出してみたいと思うに至りました。これは百人百様のはずですし、人生の段階によって異なるものだと思います。

ひとつ候補としてあげたのが、「追いたい人、同等な人、追ってくる人」。目標となり指導をしてくれる人がいて、競ったり深く理解し合える人がいて、自分を目掛けて全力疾走していて次のステップへと背中を押してくれる人がいる。そして、全員がこのような関係になっていたら、お互いのためになるはずです(反対の立場となるわけですから)。

ちょっと理不尽なことを除いた体育会系のイメージになってしまうかも知れませんが、成長を重んじる人にとっては候補になる考え方なのではないでしょうか。

しかし、優劣関係は固定されるものはないし、親友はホイホイ変えるものでもないですよね。このような役割を果たしてくれるのは、普通の友達でもいいし、ものによっては優劣が逆転するし、それぞれ大勢いるはずですよね。

ということで、「これだ!」という結論ではないのだと思います。私の「これだ!」と言える結論は:

「○○○○、○○○○、○○○○」(実名が入る)。

自信を持って、今の親友こそが持つべき「3人の親友」といい合える関係、これこそが理想なのではないでしょうか。私がこの○○○○を埋める名を持つ3人が、同じように私の名で埋めてくれることを祈りつつ。

ひとつの愛

2005-12-05 00:50:33 | フリー作文
いつもどおりアイツの肩にわざとぶつかる。

「よっ。」

最近前ほど嫌がられない。注意を引くためにやってたのに、これでは意味がない。もうちょっとインパクトが必要だ。とはいっても今更隙をついてアイツのものをとって、子供のときみたいに強制鬼ごっこを展開するわけにもいかない。

急に優しくしたりするのはもっと変だ。今更そんなことができるわけがない。

「今更」といえるほどの関係でもないのに、何を勝手に。偉そうに。俺の気持ちというものは、結局自分の細かなプライドや過去との整合性へのこだわりに降伏してしまうのか。失うものはないのに、踏み出せないのはなぜだろう。

一緒にいて一秒一秒が楽しい。反面、発展を求めている部分がある。後者が強まるとともに、更に「今更」と思ってしまう。悪循環だ。そんな悪循環にさえ満足してしまうのは、青春や恋などではなく、映画館の前でただ映画の予告を見て無理やり満足しようとする教育ママ監督下の少年だ。自らを教育ママ的限界の監督下においているだけだ。

理論というものは正直で、うじゃうじゃ感も、どぎまぎ感、「で、でもよー、アニキィ」感もなくて美しい。が、正と負を差別しない。悪循環の正当化など朝飯前だ。そして行動に繋がる理論などない。結局は100%気持ちの問題だ。

人はいいわけに左右されるわけではなく、結論ありきでいいわけに甘えるだけだ。・・・すっきりした結論となった。

・・・そして翌日。

いつもどおりアイツの肩にわざとぶつかる・・・。

クリ○マス前後

2005-12-04 09:30:31 | 人生論・閃き
クリ○マス前後といっても、12月24日と26日のお話ではありません。

ここで、クリ○マスとはクリティカルマスのことです。ビジネスでも、例えば高校で新しく百人一首部を作るときでもそうですが、クリティカルマス前後の活動は全く違ってきます。経営者は独占欲を断ち、ガバナンスを考えたり権限委譲を行ったりと色んな変化があります。

百人一首部でも、部員集めだけでなく日本百人一首選手権(あるのだろうか?)に参加するメンバーを選定したり、合コンを設定したり(?)、部活っぽいことをするようになるのでしょう。

クリティカルマスに到達する前と後は別世界なので、それぞれ向き不向きの人がいると思います。「新しいものを作りたい!」と思う人はクリティカルマス後の活動を退屈にk難じるかもしれませんし、安定性を求める人であればクリティカルマス前にはかなりストレスを感じてしまうのでしょう。

そして、人によってクリティカルマスに達したか否かという境界線も異なってくるのだと思います。

大学を卒業して社会人になる人たちのほとんどが、クリティカルマス後の世界に入って行きます。とりあえず言われたことをやってればいい世界へ、ちょっと失敗しても会社が消えてしまわない世界へ。しかしこれは、世界にどのような可能性があるかわからなかったり、親がとりあえず商社なら安心するとか、やっぱりアパレルは憧れるとか、自分の根本を特に考えて選んだわけではないと思うのです。

そこで、ベンチャーをたちあげたり、定期的な異業種交流会の主催者になったり、クリティカルマス前のことをしてみてはいかがでしょう。

ということで、新しい組織作りにチャレンジしてみましょう!クリスマス後はクリスマスプレゼントの心配がないから安心できますが、イブのワクワク感を一生放棄しようとは思いませんよね!

自分に、他人に、甘く?厳しく?

2005-12-02 04:32:22 | 人生論・閃き
「他人に甘く、自分に厳しく」が理想系とされる場合が多いと思います。自分は努力を続けながら他人の不備は理解してあげる。一見いいことですよね。

しかし、それはただ他人を見下しているだけという場合もあるのではないでしょうか。「他人は腐ってもいいから甘やかす。しかし自分は上へ行く。」というメンタリティー。結果は同じでも、かなり自分勝手な考え方です。

逆に「他人に厳しく、自分に甘く」ではどうしようもなく見えても、指導者としてはそれでいいのかもしれません。時と場合によるということですね。

ただ、どちらでも説得力があまりないのです。なぜ自分は自分を特別に扱うのか、これが説明できないからです。

本当は、自分を特別に扱うのは当然のことですよね。自分なんですから。自由に操れ、一生離れられない存在。過去のすべてを共にし、これからもすべてを共にしていく存在。特別に決まってます。

では、世間はなぜそのような扱いをなかなか認めないのでしょう。人は平等だからだ、差別するな、といったりしますが・・・議論がズレていますよね。(昔アメリカで「やっぱり日本人の女の子が一番好きかな」といったらフェミニストの友達「人種差別だ!」と言われたことがありますが・・・同じような議論です。そんなわけないですね。)

とはいえ、21世紀では自分の行動を理論的に正当化する必要がある場合は多いので、結局自分といえども他人の前で明らかにひいきするわけにも行きませんね。

では両方に対して甘くしますか?80歳になったらそれでいいと思いますが・・・もうちょっとガッツがほしいですね。

では、全員が両方に厳しくすればいいのでは?世界の発展は進むでしょう。より早く9.6秒台で100メートルを走る人間が現れるかもしれません。ちょっと疲れそうな世界ですけど、生きがいを感じるには一番だと思います。資本主義も、本来このような環境で一番育つはずなのですよね。

反面、戦争も増えるでしょう。これは困りますね。

このように甘さと厳しさの組合せを4種類を考えてみると、すべて一長一短であり、「他人に甘く、自分に厳しく」などというのは何もないときの原則的なルールを、思考の効率のために作っているだけに思えます。

よって、臨機応変が答えなのかもしれません。というか、そうなのでしょう。しかし、そこまで臨機応変できる人はいませんよね・・・。臨機応変を目指していた私が色々考えて気付いたのは、臨機応変への光の道ではなく、自分の「甘く・厳しく」の別に関する基準でした。臨機応変と思っていたものは、細分化されたルールにすぎなかったのです。

すなわち、私は無意識に、なんとなく「他人に甘く、自分に厳しく」をしつつ、例外を幾つか持っていました。家族などの極めて大事な人、上司などのうち自分より上だと認める相手に対しては厳しい。そして、自分への10の厳しさが功を奏した場合に、「ご褒美」として自分へ2-3の甘さを見せる。

これが正しいというのではなく、自分のルールがわかったということだけでも収穫だったように思えました。そして、気付きさえすれば少しずつ変えることができます。結論、私の問題は、ルールに忠実すぎることだと思いました。

→ 戦略(ルール)の選択や選択過程の問題ではなく、適応度合の問題。

簡単なものにたとえると、彼女ができて、その人が「他人」から「家族などの極めて大事な人」の定義に含まれてしまうと、その相手に対して急に厳しくなることがあるのだと思います。これは私だけではないと思いますが、こんなことではフラれる種にはなるので気をつけた方がいいですよね・・・。

とにかく、今回とりあげた概念を考えるプロセスで、「甘く・厳しく」のひとつのルールをストイックに通す必要はないのだという教訓を得ました。

皆さんの「ルール」はどうなっていますか?
自分に、他人に、甘く?厳しく?

また、変える必要はありませんか?何が問題ですか?(選択肢・選択過程・度合・頻度・安定性・期間・例外の有無など)

意見・発見があれば、是非お聞かせ下さい。