人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

本日の疑問

2007-10-17 23:33:52 | 出来事
近年では迷惑メールが日常茶飯事となってしまっていますが、「今後のメールを拒否したい場合はこのアドレスにメールを」の類のものが文章の最後にあることがありますよね。なにをいまさらご丁寧に・・・と思ったのですが、これってやはり拒否メールだした方が色んな迷惑メールが増えるんですよね?それとも法律に則ったフリをしているだけで意味はないのでしょうか?

ご存知の方、よかったら仕組みを教えてください。

ケアレスミス

2007-10-08 22:51:38 | 人生論・閃き
アメリカの小学校の通信簿では「学力の成績」だけでなく、「努力の成績」というものがありますが、私は「学力の成績」がA評価でも「努力の成績」がB評価だったことが良くありました。(注:S評価というものはアメリカにはありません。)

「そんな理不尽な。努力しなくてもAが取れるなら努力しなくてもいいなじゃないか。それを学生の責任にするのは先生の教え方や内容のレベルに問題があるのではないか。」と思い、先生に指摘を受けたときは少なからず反発していました。だって、努力しなくてもできることは努力のしようがないじゃないですか。今思えば、先生もカリキュラムをこなさなきゃいけないので歯痒い気持ちもあったような気がしますが・・・。

(注:自慢しているわけではありません。小学校の成績の自慢をしている社長なんてタカが知れていますよね・・・。)

しかし通信簿に頻繁に書かれていた注意点が一つありました。それは「ケアレスミスが多い」ということ。もうちょっと高みを目指すならより良い「A評価」を目指しケアレスミスを減らせというのです。

今考えてみると、このような教育方針は大学生や新入社員になら大賛成ですが、小学生に対しては反対です。20年前の自分をかばおうというわけではなく、理由は以下のとおりです。

子供の脳は色んなものを吸収するスポンジだと良く言われています。そんな貴重なときに「2度確認する」ということを徹底するより、その時間で5倍の内容を学べるのならそちらを優先したほうがいいと思うからです。「確認するなんてあまり時間かからないじゃないか」という指摘もありそうですが、皆さんも実感されているとおり、

確認作業ってとってもつまんないんです。

子供にとっては更につまらないことです。そんなことでやる気や好奇心に歯止めを掛けてしまって良いわけはないと私は考えます。

たしかに注意深さというのは習慣ですが、そんなものは高校以降でも十分身につきます。注意深さは「三つ子の魂」に含まれるものではないと考えます。

「概念や内容を理解しているのなら次に進みたい。」「細かい正確さに拘るより新しいことにチャレンジしたい。」これらは子供らしく勉強家らしい発想です。大人でも、何かを新たに始めるのであればこういう姿勢であってほしいものです。

小学生以下の子供や初心者を教える場合、「理解不足や勘違いは指摘してもミスや失敗は指摘しない」というモットーはいかがでしょうか。後者は答案などの結果が戻ってきたときに明らかですしね。