人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

今日の努力の行方

2010-05-30 12:28:45 | 人生論・閃き
シナリオ①

今日仕事で頑張れば、1,000万円もらえます。
今日子供の試合に見に行けば、その子はオリンピック選手になれます。
今日病院に行けば、健康寿命が10年延びます。

こんなシナリオ下に置かれたら、仕事で頑張れます。迷わず子供の試合や病院に行きます。でも、こんなことが確実に言えることってほとんどないとお思いだと思います。

もう少し現実的にすると、

シナリオ②

今日仕事で頑張れば、「1%の確率で」1,000万円もらえます。
今日子供の試合に見に行けば、「1%の確率で」その子はオリンピック選手になれます。
今日病院に行けば、「1%の確率で」健康寿命が10年延びます。

どうしますか?個人的にはやってみますが、これは意見がわかれるところかもしれません。

しかし、このシナリオが毎日用意されていたらいかがでしょうか。1%の確率も、1年365日つづけたら平均で3回は実現することになります。

実は思う以上にシナリオ②が、そしてシナリオ①でさえも当てはまるのが人生だと思っています。そして、以下のシナリオ③は更に高い確率で当てはまると考えています。

シナリオ③

今日頑張れば、「20年以内に」1,000万円もらえます。
今日頑張れば、「20年以内に」「誰かの」健康寿命が10年延びます。
今日頑張れば、「20年以内に」必ず報われます。

すぐ結果を得たいのがヒトの性とも言えますが、シナリオ③でも十分魅力的とは思いませんか。このシナリオの「今日」はまさに今日のことです。毎日のことです。

さて、学校で学んだことがすべて人生で役に立つわけではありません。人生いろいろなので、役に立つことだけを教えるのは無理です。だから体系的に学び、そのうちの一部が直接人生で役に立ち、総合的に学んだことで応用力がつき、更に役に立ちます。

同じように、今日の努力が結果につながるのか、明日の努力が結果につながるのかはわかりません。でもどれかが結果につながりますし、継続していたことにより努力の間のシナジーが生まれ、やはり応用力がつきます。

これは、毎日非常に倍率の良い宝くじに投資する口座にお金を振り込んでいるようなイメージだと思っています。今日の努力は、貯金という面と、大きいアタリが出得る宝くじの面もあるということ。そして複利で利子にも利子がつくので、早く振り込んだ方がお得です。だから「明日から」ではなく「今日から」やった方がお得なのです。(付け加えると、「明日」になった瞬間「今日」になってしまうので、「明日」は一生来ません。一生「今日」です。だから「今日」やらなくてはいけません。)

逆に言うと、怠けたら延びるはずの誰かの健康寿命が伸びなかった(実質的には短縮された)ということになります。1,000万円の機会損失を被ることにも。

もちろん休養や息抜きも大事ですが、こういった意識を持てば、意味なく何もしない日が減るのではないでしょうか。

最後に、実感=実際ではありません。「あなとのおかげで20年以内に誰かの寿命が延びる」と言われてもあまり実感が湧かないかもしれませんが、実感がなくても意味があることは世の中にたくさんあると思います。優勝しなくても実力は伸びている。売上が伸びなくても、商品を買って喜んでいる人は確実にいる。感謝されたり表彰されたりしなくても他人のためになっている。それが重要なのではないでしょうか。

見えない結果に満足できるようになったとき、「ヒトと他動物との違い」の定義に項目がひとつ増え、遺伝子に頼らない「進化」が起こると私は考えています。

かたち

2010-05-16 14:20:19 | 出来事
昨日、カリフォルニア州弁護士協会のホームページにて2010年2月の司法試験合格者の一覧が限定公開されました。受験者番号とファイル番号を打ち込むと、一覧に名前が記載されているかを確認できるシステムです。

受験者として恐る恐る番号を記入して「検索」ボタンを押すと、記載されている場合は「上記の名前は一覧に記載されています」と一行のテキストがあるだけ。10回ぐらい読み直し、「受かってるっていうことだよなぁ・・・」と迷いながらも少しホッとしました。謎めいた記載方法で喜びの波に乗り遅れてしまった感がありましたが、そのページをそのままメールに貼り付けてロースクールのアドバイザーに送ると「おめでとう!」との返信が戻ってきたので、やっと素直に喜ぶことができました。

早ければ1か月以内に宣誓を行い、晴れて「弁護士」と名乗れるようになります。

さて、ロースクール入学前には一度だけ、日本の司法試験を受けたことがあります。これには合格できず、(仕事をしながらですが)1年近く勉強したのに「かたち」にできませんでした。しかし、これが私の法律知識の土台となったことも事実であり、かたちにならなくても有意義なこともたくさんあるのだということを改めて感じました。

会社経営、医学部通学と並行で4年間、通信制ロースクールに通いました。その3つの中で割いた時間が圧倒的に少なかったのが法律の勉強でした。日米では民法か判例法かという大きな差があるものの、基本的人権から禁反言まで通じる概念は数知れません。日本法を独学した1年間は決して無駄ではなかった、と自信を持って言えるようになりました。

このように、人の努力にはかたちになるものとならないものがあります。しかしかたちにならなかったからといって、何も実らなかったということにはなりません。どこかで生きているはずです。

また、世の中では目標や夢を明確に設定することが要求されます。これは面接から中期経営計画まで幅広い場面について言えることですが、それはコミュニケーション上相手に理解される必要性と、達成したか否かも明確になり、客観的な評価が容易になることだと思います。

しかし、明確な言葉にできない夢や目標もあります。最近になって思えるようになったことですが、こういった目標も重要であり、人の支えにも励みにもなり、主観的には同等の喜びが得られるものだと思います。言葉にできなくてもなんとなくイメージがあればよく、他人にうまく伝えられないものこそが核心を突くものであることも多いと思います。

「人生で何がやりたいのかわからない」という人は、おそらく「どの職業を選ぶべきか」「どこのどういった地位・立場・状態を目指すべきか」ということが明確にイメージできないのだと思います。こういったことは誰にでもありますが、どっちの足で踏みだすかなどあまり考えないのと同じように、あまり考えずに何かを試してみるのが近道なのではないでしょうか。正直、事後的に(多少強引に)色んな経験を結ってひとつの「かたち」とすることもできると思います。それでもいいと思いますし、歴史上の人物もよく実践していることだと思います。

私はすぐに弁護士として仕事する予定はありませんが、資格取得や好奇心を満たすだけのために勉強したわけではありません。まだ公開できない、まだ明確な言葉にならない目的があります。そのために、有形・無形を問わず、色んなものを求め続けたいと思います。