人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

見当識

2007-06-28 03:02:34 | 人生論・閃き
「見当識」という言葉にはなじみがない方が多いと思います。神経内科で痴呆などの存在を調べるためにこれの検査をしたりしますが、「自分の周りのことを把握しているか」ということです。

例えば、病院で診察しているときに「あなたは今朝何を食べましたか」と聞くのは記憶の問題ですが、「ここはどこですか」と聞いて「病院です」という回答が返ってくれば見当識は正常と言えるでしょう。「いや~、きれいなところですよね、なんだか、なんていうんですっけね~(笑)」となると疑問視されるわけです。

診断上はこの程度の見当識で痴呆が否定できたりするのですが、例えばビジネスなどではより高度な見当識が要求されます。

りんごを売るのなら、そのりんごを永久に失ってしまうことを覚悟しなければならないし、それがどんなにきれいなりんごでも正中断(タテに真っ二つに切られるということです)されて剥皮(皮がむかれることです)されて噛まれて唾液塗れになって嚥下されて酸や酵素の影響下で最終的には吸収されるかビリルビンなどと混じって排泄されてしまうことを覚悟しなければなりません。

更に、その過程で買い手が下痢を起こしたりしたら責任を問われるかもしれません。そんな状況で157円を受け取ってりんごを売るという「見当識」、これは大変重要なことですが、何人の八百屋がこんなこと考えているでしょうか。

別にリスク管理だけの問題でもありません。娘が今日は妙にやさしくて、ガラになく肩を揉んであげようかなどと言い出したとします。何がほしいんだ?と考えてしまうのが自然ですが、これも見当識に入ると思います。ある意味、勘というものも含めてもいいのかもしれません。

状況把握に長けている人はチャンスを掴み、危険から逃れ、「成功者」となる確立がかなり高い人だと思います。日頃はあまり意識しない能力かもしりませんが、自分の見当識を磨いてみてはいかがでしょう。方法としては、何か行動を興したり事象が起こったときに、「これが意味することは何か」「これに続く事象とは何か」などと頭の中でシミュレーションしたりすることだと思います。

アフィア(株)が4歳になりました

2007-06-24 03:42:46 | Afia
おかげさまで、アフィア(株)は6月24日に4歳の誕生日を迎えました。

人間であれば幼稚園に行って友達を作ったり、スポーツや楽器をはじめたり、と何気に忙しくカルチャーショックな毎日かもしれません。

そして会社としても、あらゆるステークホールダーの利益に関する課題が次々と現れてくる時期なのかもしれません。

会社では、ものごとの優先順位が良く見えるようになったと思います。比べ難く大小のイメージが沸かないことが多かったのですが、今は微調整する程度でこれであまり悩まないようになりました。

例えば物理的には、原子<単糖<タンパク<ウィルス<細菌<蚊<マウス<ヒトの肝臓<ヒト<車庫<学校<市<県<国<地球<太陽系<宇宙・・・大と小の相対関係を理解することは意外と難しく、それが労力や時間などの概念である場合はなおさらです。しかし、その理解があるとないかでは判断のスピードが全く違うと思います。

これからも人としての生き方、ヒトとしての健康、そして会社としての流れの中で、楽に楽しく全力を尽くせるようになりたいと思います。

それでは、今後ともアフィアをよろしくお願い致します。

好きになりたい

2007-06-23 10:01:50 | 恋愛
好きな人がいないときは、「誰かを好きになりたい!」と思うことが多いと思います。恋愛は辛かったりしますが、やっぱりしたいものですよね。

同じように、打ち込む趣味などがない人は、「何かに熱くなりたい!」と思うのかなと思ったのですが、そうではないケースが多く見られます。

これにはおそらく色々と理由がありますが、恋愛は本能であることに対して自己実現というものはそのレベルには達していないものなのかもしれません。それに、あまり好きな言い方ではありませんが、好きになるのも恋愛するのも比較的楽です(それ以降はそうでもないかもしれませんが)。ディズニーランドに行ったり誕生日プレゼントを選んだりするのと、10年以上も一日3時間泥まみれになってラグビーの練習するのとどっちが「楽」かなんて問うまでもありません。

新しい趣味などを始めないもうひとつの理由として、人は「現状維持」を好む傾向があることが挙げられます。習慣になればジョギングも低カロリー食もそれほど辛くはありませんが、最初は大変ですよね。何かに慣れたら腰が重くなってしまいます。

この観点からすると、「誰かを好きになりたい!」という気持ちの方が例外ということになります。特に困っているわけでもないのに、自ら変化を求めるということだからです。それほど強い気持ちは本能で片付けてしまうのではなく、やはり大事にするべきですよね。

優越感を感じる手段

2007-06-21 02:10:32 | 人生論・閃き
誰でも優越感に浸りたい気持ちはどこかにあると思いますが、優越感を感じる手段2種類について考えたいと思います。

優越感というと偉そうで嫌なヤツが感じてそうな悪いイメージが多少あるかもしれませんが、決して悪いものではありません。スポーツをやっている人、出世したい人、ほとんどがある意味優越感を求めているわけですから。

優越感というぐらいなので、何かに「優越」している状態を感じなくてはなりません。自分自身のイメージや自分に対する予想を上回った場合は満足できても、定義上は優越感ではないので、やはり他人に比べる必要があるわけです。

優越感を感じる手段として、

① 直接他人と比べる→差を実感する、見せつける(直接法)
② 多少異なる行為から差が明らかになる(間接法)

というものがあると考えます。直接法は、例えば一緒にスポーツなどをすればいいわけです。間接法はもう少し遠まわしで、例えば斬新なアイディアを提供することで人間の深さの差を感じるイメージでしょうか。

正直、①を選ぶ人は「イヤなヤツ」、②を選ぶ人は「根が暗くて感じ悪いヤツ」である場合はあります。

しかし、①は人の見本になることができ、②は感動を与えることができます。「その地位に昇りたい」「あの立場から物事を見てみたい」と人に思わせることができれば、それは貴重な社会貢献です。TPOや示し方を考えれば、自慢した方が相手のためになるかもしれないということです。

自慢などされなくても、人間には必ずあらゆる要素で差があり、それをある程度認識できるはずです。これを、方法を問わず感じて自分への興奮刺激に変換することができる人は成功するのではないかと私は思っています。

これはただの「負けず嫌い」なのかもしれませんが、「勝負から逃げない負けず嫌い」の人は将来有望なのかもしれません。せっかく市場の原理が働く環境におかれているので、競い合いながら高みを目指しましょう。

追う日々、追われる日々

2007-06-20 04:21:59 | 人生論・閃き
夢を追う日々って、実は追われる日々なのかもしれません。

やみくもに何かを追っていても近くなる気がしないし、非効率の場合が多いので、計画を立てるわけです。そして、小刻みにチェックポイントみたいなものが設けられます。ベートーベンを弾けるようになりたかったらまずバイエル、とか、卒業するためには試験をひとつひとつ乗り越えていく、とかでしょうか。

要するに、大きいものを追うために小さいものに追われていることになります。小さいもののせいで大きいものが見えなくなってしまう場合がありますが、計画を立てるということは「小さいものをきっちり見ていれば大きいものが自ずと達成されていく」という過程を作ることなのでしょう。

それは安心感を与えてくれるだけでなく、目の前のステップ以外は夢を見ていればよいため過程を楽しく感じさせてくれるものでもあると思います。入学・入社にもこのような安心感と楽しさがあるのだと思います。

追う日々=追われる日々=安心で楽しい日々。サルの6倍もあるといわれる人間の前頭前野のみがなせる技ですね。

祝!500件目のブログ

2007-06-16 15:28:42 | 出来事
まさか、500件目まで辿り着くとは・・・。いつもご愛読ありがとうございます。

こういう節目にはついつい過去を振り返る機会と考え、以前書いた記事などを読み返してしまいます。あまり成長していないのか、それとも人として心にもっとも近い内容を取り上げているからかはわかりませんが、今でも大事に思う内容がほとんどでした。

ひとつ気付いたことは、ほぼすべての記事が「人生論」というカテゴリーになってしまっていること。「人生論」という名のブログだから当たり前ですが、逆に「人生論」という名のブログに「人生論」という項目があるのはあまりユーザーフレンドリーじゃないですよね。

そこで、いつになるかわかりませんが、人生論という項目をいくつかに分けてカテゴリー化したいと考えています。いつもどおり、ご意見は歓迎します。

次の100件のブログでは、もう少しフリー作文を取り入れていきたいと思います。フィクションが書かれる社長ブログなんてあまりないし、実はフィクションを書くのも好きなので。とはいっても、ストーリーではなく、(今までどおり?)走り書きのようなものになってしまうと思います。

さすがに500件目のブログとなると、本当に「祝!」という気持ちになります。アフィアの4周年記念も来週なので、たまには思い切りお祝いしたいなーという気持ちです。たまに羽根を伸ばすことが如何に大事かがやっと少しずつわかってきた今日この頃ですから・・・。

それでは、今後ともよろしくお願い致します。

ケミストリー

2007-06-09 00:15:16 | 人生論・閃き
ケミストリー。直訳で「化学」ですが、Guys&Dollsという1950年代のミュージカルでは恋愛の瞬間で感じる「何か」を「化学反応」に例えています。今の同名のアーティストグループもここからアイディアを得たのでしょう。

ケミストリーを感じるのは恋愛だけではなく、友情や師弟関係など色々とあります。そして、人間同士じゃなくても。たとえば、「この考え方、この表現方法はしっくりとくる」というのは広義のケミストリーに入るのではないでしょうか。

理解が「おおおおお、それすんごくわかるぜ~」だとすれば、ケミストリーは「おおおおお、それ、もっと知りてえ!」という気持ちが付加されるものだと思います。

ケミストリーを感じるもの、それは恋人であり、天職であり、夢であると思います。

化学反応に「基質」と「酵素」が必要であり、それは「感化される自分」と「きっかけ」と言い換えられるでしょう。ということは恋人作り、天職探し、夢の実現には

①感動できること
②きっかけを作れること

が条件なのではないでしょうか。

前者は自然に持っているものと思われるかもしれませんし、後者は偶然起こるものと思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないと思います。

ビルゲイツが現在の地位に上り詰めるまで、1,024Kbの偶然が起こったのでしょうか。そんな「メガ」ラッキーな人だったのでしょうか。きっと、大半は本人が起こしたものです。ハーバード大学を中退してまで起こしたものです。

思うに、1を得てはじめて2に興味を持ち、2を得てはじめて3に興味を持てる場合が多いのです。1の時点で3の可能性を認識していない場合も多いでしょう。そうやって色々と積み重ねていって、炭素がダイアモンドとなるのでしょう。

そういう意味では、「1を得る」ことが上記①②両方にとって、自分ができるほぼすべてであると言えるでしょう。結局は告白する、オーディションする、ときには思い切りリスクを負う、ということです。

この理論から行くと、何事でも一緒なわけですね。ケミストリーを得るには、ひよこのように、中から殻を突いて外を見るしかないわけです。

徹夜カード

2007-06-07 22:30:14 | 人生論・閃き
いつの間にか、徹夜をすることが習慣になってしまいました。大学時代には月2-3回ほど徹夜していて、勤務しているときも平均すると同じぐらいだったと思います。最近では、少なくても週1回、月に5-6回はあるように感じます。

長時間労働で有名な投資銀行をやめたのに、なぜ徹夜の数が増えているのでしょう・・・。

これは当然健康的ではないし、慢性的な「徹夜」は慢性的な高カロリー食や喫煙以上に危険なことだと最近感じています。徹夜するときは当然忙しいし、成長しているのが実感できるし、人のためにもなっているはずなのですが、この生活スタイルはやはり改善すべきものだと思います。

そこで、徹夜してもいいや、仕方ないや、と思わず、月3回に限られる「徹夜カード」を自分に発行しようかなと考えています。そして毎月、計画的に、いつそのカードを使うかを検討し、生活の改善を実行するものです。

そしてこれを来年には月2回に減らし、その後は年15回ぐらいの水準(もちろんすべてを使う必要なし)で維持したいと考えています。

翌月持ち越しはなしで考えていますが、いつか当直などでどうしても徹夜が必要になるケースもあると思いますので、そのときまでにポイントをためておくイメージを持っていたいと思います。

他にも仕事中毒の症状が出ている方は、ご検討されたらいかがでしょうか。「そろそろ若いといってられないかも」と思っている方は特にですが、遊びで徹夜する場合でもカードの自己発行をお忘れなく。

3分ください

2007-06-04 01:28:08 | 人生論・閃き
会社でよく上司などに言う言葉ではないでしょうか。学生からすれば「わざわざ聞く必要ないじゃん」と思うかも知れませんが、社会人になったら「偉い人の時間は貴重なのだ」となんとなく考えて、ビクビクしたりすることもありますよね。

3分ってとても長い時間なのです。硬いカップラーメンが美味しいカップラーメンになる時間です。天気予報のお姉さんの、1.5日分の仕事です(テレビ上では)。そして、人によっては100万円稼げる時間です。(できる人は教えてください&私に新しいサクソフォンを買ってください。毎度、178,500円(税込)になります。)

「だから人の3分を尊重しろ」、ということよりも、「3分の時間って大事にしてるかな?」と自分に問いかけてみてください。カップラーメンを作る最中に100万円が稼げる人もいるのですよ?一日3分のメールで(たぶん)愛情が永遠になるのですよ?きっと、とても小さいことでも、積み重ねで大きな何かに繋がるのだと思います。

ということで、私に3分ください。そして、私にくれた3分だと思って、自分の夢に1日5ミリずつ近づくようなことをしてください。

楽=贅沢?

2007-06-03 03:03:00 | 人生論・閃き
人は年をとるにつれて、楽=贅沢と考えるようになるのかもしれません。これは人生の段階によって、何がボトルネック(制限となる要素)になるかが異なるからだと考えます。ざっとこんなイメージです。

20歳ぐらいまで:金
40歳ぐらいまで:時間
60歳ぐらいまで:体力・気力
それ以降:健康

例えば、一日中サッカーか酒井法子のことを考えて過ごせばよかった高校時代。それって今から考えるととっても贅沢な時間です。しかし高校生のときは、幸せと感じても「贅沢」とは思わないし、むしろ贅沢とは高級レストランだったりベンツだったりします。

そして30代ぐらいになると毎週高級レストランに行けたり、ベンツに乗れちゃったりするわけです。贅沢ですが日常化しているため、これより「2週間の有休」と言われたらありえないほどの贅沢に聞こえるものだと思います。

透析をやっている人がスポーツ後にアクエリアスをゴクゴク飲んでいる人を見たらそれを贅沢そのものと感じるでしょう。

私は「3日続けて8時間睡眠」と言われたらよだれ・・・は出ませんが、心の中でよだれ(?)が出ます。

これを意味なく「精神的唾液」と名付けましょう。

人によって何もしないことが贅沢だったり、ディズニーランドでミッキーとの握手が贅沢だったり、一杯のかけそばが贅沢だったりします。誰かの誕生日には、相手が精神的唾液を流すような、相手に適した贅沢をあげることができるといいですね。