人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

リマ症候群

2010-01-29 02:22:33 | 人生論・閃き
リマ症候群とは、誘拐・人質事件で犯人が被害者に親近感を感じて、いざというときに発砲できなかったりする精神依存状態です。逆に被害者が犯人に親近感を感じるのをストックホルム症候群といいますが、これはよく映画で出てくる現象ですね。

「人は一人では生きていけない」と言われますが、それは不安のときなら尚更のこと。被害者だけでなく犯人も不安なのです。そして近くにいる人に依存し、安心したくなります。

ぶち切れている恐いお兄さんも、叱ってばかりの教育ママも、わがままな女子高生も、ある意味相手に依存して安心しようとしているのです。お兄さんは自分の世界感の共感を求め、または自分の劣等感を克服しようとして、自分が尊敬・恐怖に値すると認めてもらいたいと考えています。教育ママは自分が思い描く、子にとっての「幸せ」に近付いて安心させてほしいと考えています。女子高生だって、他人が大したことないと思っても悩み事は多いし、わがままを理解してくれる人に強がりながらも間接的に弱みを見せたいのかもしれません。

実際自分のことしか考えていない人もいますが、それは自分がいっぱいいっぱいであるからかもしれません。他人を気遣いたくても、その表現や実行の仕方がわからなかったり恥ずかしく思えたりするのかもしれません。裏切られた経験があって、上手に信用することができないのかもしれません。

このようなことをすべて理解してか、あえてリマ症候群にかかってくれる親友がいます。理不尽なことをいっても、布団で包んだような温かい共感の言葉で返してくれる。我慢してくれる。そんな人だから更に甘えてわがままを言ってしまうのに、それでも更に厚い布団を用意してくれます。

「こんな人になりたい。」心からそう思える対象は今まであまりいなかったのですが、この人は間違いなくその一人。最近は実践してみているのですが、どうしてもうまくいきません。相手がそれを気付いてくれないことがほとんどで、依存度は増すばかりになります。より多くの時間がかかり、我慢の勝負と化してしまいます。急性疾患より慢性疾患の方が不可逆となるケースが多いのと同じです。

他人は変えられないと言われますが、そうでもないと思います。しかしそれは長い年月を要することが多く、それでも変わらない人も多いのではないでしょうか。ショック療法が必要なのか、ひたすら辛抱と忍耐が必要なのかもわかりません。いばらの道です。

それでも、わがままばかりの人が少しずつ変わってくれるとすごくうれしいものです。一皮むけたのかな。自分の中で何かを解決できたのかな。少し余裕や自信が持てるようになったのかな。何かが伝わったのかな・・・。

だから無数の布団を用意してくれた人のためにも、自分を変えたいし、ほかの人を良い方へと導けるようになりたい。そして自分がストックホルム症候群にかかっているのではなく、必要とするのと同じぐらい必要とされる関係になれるまで成長したい。そんな恩返しに、一番喜んでくれるような気がするから。

社会貢献

2010-01-24 19:34:03 | 人生論・閃き
本当に大事なものはお金で買えないといいますが、生きていくのに必要なものはほとんどお金で買えます。これは資本主義、労働分担の大前提のひとつとなっているので、「美しくない」と言われても否定できない事実です。

1,000億円稼いだ人がワインを飲み葉巻を吸うだけの毎日を過ごしていたとしても、所持金の半分を有意義な目的のために寄付したとしたら、おそらく我々が血汗涙をどれだけ流しても貢献という意味では敵わないでしょう。こういう人のおかげで何万人の子供が救われたり教育を受けれたり、がん治療が発展したりするものです。

昔はこのような考えが強く、とりあえず大金持ちになろうと思っていました。もちろんしたい仕事をしなたらですが。お金があったら、貯金しておけばいい。そして50歳になり世間を知り、より賢くなった時点までその用途の決定を先延ばしにする。現在の自分が信じられないのではなくて、未来の自分はそれ以上に信頼できるはず、と。

今でも「現在の自分より未来の自分を信じる」というところはありますが、ほかの点においては考え方が変わってきています。寄付でもなんでも一斉にやってしまうにはリスクがあります。50歳の自分といっても、やはり周りやトレンドに流されたり、短期的な要因に影響されたりするはずですし、そのときの自分だけに大事なものがすべてではないはず。将来的にだけでなく、今助けを求めている人も大事。だから今大事と思えることに対しても、少しでも貢献していきたいと考えています。

今している寄付行為は二つ。アフィアを通じた日本赤十字への寄付と、母校であるペンシルバニア大学への寄付です。社会貢献としては、アフィアを通じて微力ながらお客様の事業をサポートし、職を編み出し、納税していること。また、最近サボりがちですが、このブログも読者の自己啓発を促すためのものであり、一応は社会貢献でしょうか。

羅列してみてもこれだけ。「今はこれで精一杯」という言い訳を盾に、将来は更に忙しくなることを知って知らぬフリをしてしまっているのかもしれません。お金以外の形でも貢献するという道を選んだのだから、それに見合う結果を出したいところですので、少しステップアップしなければならないと思う今日この頃です。

さて、最近世間で「社会貢献」に対する意識が高まっていたように思えましたが、実はそうでもなく、一部の人が頑張っているだけのような気がしてきました。

最近10数名の20代に対して「余命6カ月と知ったらどうする?」という問い掛けがなされた場に居合わせましたが、「家でダラダラする」「遊びまくる」「お金を全部使う」「旅行する」などという自分オンリーを考えた答えが大半を占めていました。ショックでした。

国民全員が1円寄付したら1億以上になります。年に100円でもいいので、寄付してみませんか。献血したりドナーカードを持ったりしてみませんか。笑顔を増やしたり、目を合わせたり、つらそうな人に声をかけたりしてみませんか。万一誰かにつらい思いをさせているようなら、それをやめてみませんか。

・・・半分は自分の反省点を挙げただけのようにも思えますが、よかったらご一緒に。

1か月記念

2010-01-22 23:29:10 | 出来事
昨日、禁酒1か月記念を迎えました。

今まで週1~2回程度の飲酒で、機会飲酒+αといった程度でしたが、年に何度かは二日酔いに悩ませられることがありました。つらいというより、翌日の時間ロスがとにかくもったいなく感じていました。

そこで禁酒する決心をし、忘年会シーズン、クリスマス、カウントダウン、元旦など1年で最も飲酒の機会が多いはずの時期にそれを貫きました。

直近のきっかけとなったのは「病的酩酊」なるものの初体験でした。症例報告の意味も含めて記しておきます。

まず(かなり大雑把な)定義ですが、

単純酩酊はただの酔っ払い。
異常酩酊はただならぬ酔っ払い。

異常酩酊には複雑酩酊と病的酩酊がありますが、

複雑酩酊はただの「ただならぬ酔っ払い」、
病的酩酊はただならぬ「ただならぬ酔っ払い」。

わかりやすくしようとしたのが逆効果になったように思えますが。

病的酩酊の特徴として「急激の生じる全健忘」があります。全健忘とは文字通り、なんとなく記憶が曖昧という次元ではなく完全に記憶がないことです。ただし、過去の記憶を失うわけではなく前向きの健忘です。

背景にはイッキ飲みがあります。「しない、させない」を徹底したいところなのですが、「させない」はできても「させられない」はなかなか難しいもの。普通なら断れることでも、元々単純酩酊の状態から断れるか、断りたいと思うかはまた難しい問題です。させる側も、普通は飲ませたりしないのにノリでそうなってしまったというところでしょう。「しない、させない」だけではこのような頻繁に生じるシナリオの考慮が不十分であることが明らかです。

さて、一部記憶のない出来事について語ったり自己診断するのも不思議ですが、相当量を飲んでから相当量のワインをイッキすることになりました。そして2杯目を飲み始めて、途中で「もう絶対ムリ」と思った瞬間からプツンと記憶がありません。まさに「急激に生じる全健忘」。気づいたら次の日の正午で、自分のベッドで服を着たまま目を覚ましました。そのとき当然二日酔い(+)でしたが、食欲(-)嘔気(+)嘔吐(-)。おそらく脱水のため頻脈気味でしたが、発汗等その他の自律神経症状はありませんでした。

治療としては、近医でリンゲルの点滴を受けることを検討しましたが、自分の代謝能力に任せて水分補給のみの経過観察にしました。

病的酩酊では乱暴になったり人格が変わったりして、犯罪に走ってしまうケースもあるそうです。今回は、人格の変化といえるほどの症状があったとは聞いていません。よくみられる症状である妄想・幻覚もなく、もちろん犯罪(-)です。

それでも、犯罪にしろ病気にしろ、何かが起きえた。危なかった。

ということで今後お酒を再び嗜むこともあるとは思いますが、今のところは禁酒とし、将来的にもイッキは絶対避けようと思います。

諸先輩方、友人知人の皆様、その点ご理解のほどよろしくお願い致します。

2010年の元旦メッセージ

2010-01-01 00:00:00 | 出来事
本年明けましておめでとうございます。
アフィア株式会社・東海大学医学部の岡本でございます。
例年通り、年賀状に代わる「年賀メール」をお送り致します。

2009年は、私にとって「ソナタの年」そのものとなりました。春には臨床実習を開始し、夏には3ヶ月間ニューヨーク医科大学にて内科実習に参加し、秋には再び日本で実習・学問に励み、冬にはカリフォルニア州の通信制のロースクールを卒業しました。

さて、本年のテーマは、「根気の年」にしたいと思います。

2010年には大きな決断と多くの試験を控えていますが、その中でも揺るがない軸とリズムを保てるように努めたいと思います。短期集中型である自分に安定した成長基盤を備え、特別なイベントや締切がないときでも前に進んだ実感を掴んで行きたいと思います。

2010年が皆様にとって幸せ多き年となりますよう心より祈念申し上げます。
本年も、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

平成 22年 元旦
岡本 武士

ご参考:
2009年(ソナタの年)の元旦メッセージ
2008年(序曲の年)の元旦メッセージ
2007年(統合の年)の元旦メッセージ
2006年(余裕の年)の元旦メッセージ
2005年(初心の年)の元旦メッセージ
2004年(結果の年)の元旦メッセージ
2003年(飛躍の年)
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Happy 2010! I trust all is well with you and your family.
As in the past years, I have condensed Christmas cards and New Year greetings into a single message.

2009 turned out to be “in sonata form” as planned: I began clinical rotations in the spring, ventured out to New York for rotations during the 3 summer months, resumed rotations in Japan in the fall, and graduated from Concord Law School, an online law school in California, in December.

My theme for 2010 will be: A Year of Perseverance.

Despite the major decisions to be made and numerous exams to be taken which will undoubtedly make 2010 a roller coaster, I would like to focus on also acquiring the ability to take the slow-but-steady route in achieving long-term goals. I have always produced the greatest output in the face of deadlines and necessity, but would like to aim for similar results on an everyday basis.

Finally, I would love to hear from you and correspond on an individual basis. Communication is a two-way street; I have put my latest "out there" and would be delighted to have your latest "out here."

Best regards,
Tak Okamoto

January 1, 2010