フェアって、何だろう。
アメリカ教育の下で育った身としては、平等性はかなり高位にある徳です。人はとなりの人と異なる面が多い。立場も環境も異なり、肌の色も今朝食べたものも違う。それでも平等な社会を目指すためには最低限の権利を保障し、主観的なフェアさと客観的なフェアさの折衷案を目指す。
客観的な平等を求めるなら共産主義の方が近い。主観的な平等を求めるなら民主主義の方が近い。でもどちらも理想的ではないから、色んな調整が入ります。
ミクロで考えてみると、こんな簡単なことも理解できていなかったように最近感じます。親身な人との付き合いにおいて、自分が「2」、相手が「8」の点があればお互い「5」に寄り添った方が「フェア」というか、一番よい結果が生まれ、親近感も沸き、安心できるのではないかと思っていました。
しかし同じ「3」の変化でも、2.5倍になるのと5/8に減らすのではかなり違うのかもしれません。環境などの要素で難しいのかもしれません。8がより「望ましい形」なのなら2の人が8まで上り詰める方がフェアなのかもしれません。そして、別に同じ位置にたどり着く必要がないのかもしれません。
以前にも書きましたが、「星の王子さま」では「同じ方向をみつめること」が愛だとされています。これに憧れがあるのかもしれません。
神経言語プログラミング(NLP)では、"Don't shove NLP down their throat" (NLPを相手の喉の奥に押し込むな=強要するな)と教わりました。それは自分がどんなにすばらしいものだと思っていて、それがどんなに相手のためになると思っても、相手の価値観を尊重し、望んだときにだけ考え方を共有していくべきだという考えです。宗教や教育もこうあるべきだと思いますが、個人個人の接し方もそうなのかもしれません。
私によって喉の奥に何かを押し込まれたように感じた方がいらしたら、この場を借りてお詫び申し上げます。逆に私の喉の奥に何かを押し込もうとしている方がいらしたら、この場を借りてお許し申し上げます。
今はこんなところまで「フェア」にこだわってしまっていますが、少しずつ変わらせてください。
アメリカ教育の下で育った身としては、平等性はかなり高位にある徳です。人はとなりの人と異なる面が多い。立場も環境も異なり、肌の色も今朝食べたものも違う。それでも平等な社会を目指すためには最低限の権利を保障し、主観的なフェアさと客観的なフェアさの折衷案を目指す。
客観的な平等を求めるなら共産主義の方が近い。主観的な平等を求めるなら民主主義の方が近い。でもどちらも理想的ではないから、色んな調整が入ります。
ミクロで考えてみると、こんな簡単なことも理解できていなかったように最近感じます。親身な人との付き合いにおいて、自分が「2」、相手が「8」の点があればお互い「5」に寄り添った方が「フェア」というか、一番よい結果が生まれ、親近感も沸き、安心できるのではないかと思っていました。
しかし同じ「3」の変化でも、2.5倍になるのと5/8に減らすのではかなり違うのかもしれません。環境などの要素で難しいのかもしれません。8がより「望ましい形」なのなら2の人が8まで上り詰める方がフェアなのかもしれません。そして、別に同じ位置にたどり着く必要がないのかもしれません。
以前にも書きましたが、「星の王子さま」では「同じ方向をみつめること」が愛だとされています。これに憧れがあるのかもしれません。
神経言語プログラミング(NLP)では、"Don't shove NLP down their throat" (NLPを相手の喉の奥に押し込むな=強要するな)と教わりました。それは自分がどんなにすばらしいものだと思っていて、それがどんなに相手のためになると思っても、相手の価値観を尊重し、望んだときにだけ考え方を共有していくべきだという考えです。宗教や教育もこうあるべきだと思いますが、個人個人の接し方もそうなのかもしれません。
私によって喉の奥に何かを押し込まれたように感じた方がいらしたら、この場を借りてお詫び申し上げます。逆に私の喉の奥に何かを押し込もうとしている方がいらしたら、この場を借りてお許し申し上げます。
今はこんなところまで「フェア」にこだわってしまっていますが、少しずつ変わらせてください。